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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2010/01/30(Sat)

(No.39) 人間と企業の成長過程について(1/2)

  人間の成長過程には、しかるべき順序とプロセスがあります。
近道してステップアップしようと思っても、絶対に不可能であります。
手抜きをしても、いずれ化けの皮がはがされるのが落ちであります。
 
 社長業、経営者業、ピアノ演奏、テニスの実践、皆同じであります。
それは自然の理に反しているからです。
自分の無力を認めることが成長の第一歩で、「千里の道も一歩から」とは良く言ったものであります。

  本日のテーマである人間の成長過程には、大きく三つの段階があります。
   一段目は、“依存”の状態
   二段目は、“自立”の状態
   三段目は、“相互依存”の状態であります。

 まず、一段目の“依存”について。“あなた”という概念を持っています。あなたが結果を出してくれる。結果が出ないのは、あなたのせいだ。他人に頼らないとダメですの状態です。
 人は皆、最初は依存しきった赤ん坊として人生を始めます。他の人によって方向づけられ、育成され、養成されます。
  しかし、年月が経つにつれ、人は徐々に肉体的に経済的に知的に、そして精神的に成長していくことになります。

  基本的に自分のことは自分でやり、自己決定のできる独立した人間に成長していくのです。
これが、二段目の“自立”の状態です。“”という概念が中心です。私はできる。私の責任だ。私が結果を出す。私は選択できるの状態です。
自立だけでも大変な成功です。しかし、自立は最も高いレベルとは言えません。
 現代社会の概念は自立を最上位の王座につかせています。残念ですが・・・・。
現代社会において自立が強調される主な原因は、今までの深い依存状態、他人にコントロールされ、利用され、操られることに対する反動でもあります。

 次に三段目の“相互依存”について。これは最後の最高の段階であり、相互依存の状態といいます。相互依存は“私たち”という概念であります。
私たちはできる。私たちは協力するの状態です。
 自分の努力と他人の努力を引き合わせて、最大の成果を出すという概念であります。
私たちが保有している才能と能力を合わせれば、もっと素晴らしい成果を出せる」という考え方のレベルであり、最高のレベルであります。
 “相互依存”は自立より、はるかに成熟した高度な概念であります。

  次週に続きます。経営に応用して、考えていきます。
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2010/04/10(Sat)

(No.49) 人をつくるために見識を高めよう (1/2)

 最初に「教育とは馬に水を飲ませるのと同じくらい難しい」と言われます。馬が喉が渇き、その気にならなければ、飼主が懸命に飲ませようとしても、どんなにおいしい水でも馬は飲んでくれません。
また、その本人が勉強や学問の必要性が分からなければ、両親や上司や指導者が強制したり押しつけても、さっぱり効果はあがらないとの意味でもあります。
 
 師や指導者のほうから「教えるから学んでくれ」というのではなく、学ぶ側から「知りたい、学びたい、もっと力を付けたい、力量をアップさせたい」と敏にしてかつ教えを求めることから始まるのです。
向上心・向学心や知的欲求がなければ、いくら教えても吸収しないものです。心が動かない、心がその気になっていない、心のスイッチがオンになっていない、意志が働いていないからです。
 
 知識や力量・能力に関して何とかしたい、レベルアップせねばと、喉が渇いた時は熱心に多くを吸収します。求めようとしない者に対しては誰も何もできないのです。要は“押しつけ教育は実をなさない”のであります。
 人をコップに例えますと、寝ていて横になっているコップを立ててあげることが必要なのです。立ててあげないと、いくら注いでもこぼれてしまいます。しゃんとを立ててあげる、つまり“動機付けをする”ことが最重要ということであります。

 ところで、企業の力の源泉は人間であります。お金でも技術でも商品でも営業力でも設備でもありません。本質は人間が握っているのです。事業を活性化するには人を活性化することなのです。企業の強さは人間力の高さと強さで決まります。人間の質、人格、人間性を高め磨くことなのです。

 また、「企業は人なり。事業も人なり」「企業は人により栄え、人により滅ぶ」、「一国は一人を以って起こり、一人を以って滅ぶ」と言われますが、人とはトップのことであります。その訳は、中堅中小企業は社長で90%~95%、ほとんど決定されるからです。要は会社というものは社長次第でどうにでもなる。また、リーダーや指導者の存在がいかに重要なのかを示唆したことばであります。

 一般的に、教育や人材育成は多くの企業で取り組んでおられますが、「教育は下からではなく、上の方から順にやる」のが鉄則であります。末端の若い新人教育には時間と費用をかけますが、経営者・経営陣には、ほとんど何もかけない企業が多いようです。忙しくて勉強なんかする時間がない、不景気だから教育や研修に時間と費用をかける余裕もないなどと目先のことに終始して、さもこれが一番正しいんだと言わんばかりに重要度の認識が低いために理屈をおっしゃる経営者が多いようです。

 古い言葉に「修己治人」という教えがあります。部下を指導したり変える前に己を修めて己を変革させなさいとの戒めの言葉です。他者に影響を及ぼすリーダー学の本質をついた決定的な教えであります。他人を変える前に自分を変えなさいとの教訓です。

 また、江戸時代の儒家、藤原惺窩(せいか)は、「人を正しくせんとならば、まず我を正しくせねばならぬ(理)なり」と言っています。同じ様に、「経営者は優れた教育者たれ」との言葉もありますが、心に響く戒めであり箴言であります。“経営者と同時に教育者の役割がある”との意味です。日頃の自分を顧みてドキッとさせられる言葉ですね。

 本来、この様な状態が理想的であり外部講師や先生に依頼せずとも、社長がいつも日常の言動で部下や社員を育成できるものなのです。効果もすごくあがり経営の成果業績につながっていくものです。全てが良循環していきます。

 次に、一流と呼ばれている会社は創業時から人づくりに注力しています。松下(現パナソニック)は「ものをつくる前に人をつくる」会社と言われ、あまりにも有名な話しです。創業者の幸之助氏は、ご自分の人間観として語っておられますが、「人間はダイヤモンドの原石と同じで、人間は磨けばどこまでも光るものであり、磨かなければ決して光りはしないのです」と述べておられます。また、「人間は偉大なもので磨けば磨くほど、どこまでも成長していけるものだ」とも話されています。

 最後に、教育は英語でeducation(エドュケーション)といい、語源はエドュカーレ(ラテン語)といい“引き出す”の意味であります。そうです“教育の本質は無限の人間の潜在能力を引き出すこと”なのです。与えること、教えることではないのですね。押し込むより引き出すことなのです。

次回に続きます。
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2010/04/17(Sat)

(No.50) 人をつくるために見識を高めよう (2/2)

 言葉で「人間の大いなる潜在的保有能力を引き出して発揮能力にまで高めてあげる」と言うのは、いとも簡単ですが、現実に実現するとなるとかなり時間がかかるものです。
 「継続は力なり」と言われ反復を何年も繰り返すことと、「間を置く反復」が大切なのです。仕事を放棄して毎日が教育や研修ばかりでは会社は存続することはできないからです。

 経営者が解熱剤のアスピリンのように即効性を求められる気持ちは理解できますが、ベルトコンベアーで生産する様な“工的教育”で即効性のある教育はほとんどありません。植物をじっくり育てる様な“農的教育”で時間や手間がすごくかかるものであります。要は、人づくりは、促成栽培ができないのです。だからこそ早く早目に着手することが必要なのです。

 次に教育の効果についてふれたいと思います。
  ① 最初は知識の変化
  ② 技能の変化
  ③ 態度行動の変化
  ④ 意識せずとも習慣になっている状態
    (しつづけることをしつけと言い躾と書き身が美しいと書きます。習慣が最高の状態です)
の4段階があります。

 知識のみが増えて頭の体操に終ったら駄目であります。行動の変化に結びつく教育が求められます。理入より行入をめざすことです。「知行合一」の教えの通りで、本当に知るとは必ず実践実行が伴うものとの意味であります。“経営は実践行動科学である”と言われ、学校教育と企業内教育は本質的に目的が異なっているのです。

 最後に今後の人材育成について、3つの提言として、まとめてみます。

◆提言その1.〔計画的な未来教育投資

 企業の力は教育投資に比例すると言われます。未来に効果が生じ収益や付加価値を稼ぎ出す人材(財)に投資する考え方です。未来投資費としてのメドは総人件費の数%を投資することを提案致します。この投資額は、企業の力と比例するため多いにこしたことはありませんが、大手企業を真似する必要はありません。最低何%は投資すると決める方法が良いでしょう。
 
 物品を購入するのを消費(ケースによっては浪費もあるが)と呼びますが、人材育成は教育投資です。経営は“投資と回収のバランスを取ること”です。投資が先で回収が後です。投資なくして回収ばかりを求めてもうまく運ばないのです。多くの中小企業がこのパターン、考え方をなされる経営者が多い様です。投資と聞くとお金のことばかり連想されがちですが、時間を割くことも投資の一つですからご注意下さい。
 
 企業によっては一時的にはバランスを少しだけ崩しアンバランスな状態に陥ることもありますが、短期や目先にこだわらず長期的展望に視点を移して計画的に実行なされば、きっと将来ウエルバランスの状態に戻ることができるものです。リスクも全然考えなくてもよい投資ですから安心して投資して下さい。

◆提言その2.〔人材開発は重要な経営戦略の一つ〕

 教育とは人材開発のことで今後の企業の存亡をかけた最重要の経営戦略の一つであります。また、人材開発人材育成なくしては経営戦略の実現はあり得ないと考えて下さい。人材育成と経営戦略は、コインの裏表の関係と同様、切り離しては到底考えられないのです。
 
  経営戦略とは詳細は割愛致しますが一言で表現しますと、将来の方向性のことであります。経営体質を構成している各項目を強化改善する為に行動計画が文章化されている中期計画のことを指しています。(当コラム№16参照)数値計画は目的で結果であり、経営戦略は手段であり原因であります。戦略的な人材開発をご提案致します。

◆提言その3.〔経営者の人間観の確立〕

 「社長の器(人間観と人間性)以上には企業は大きくならない。また、大きくしてはならない」との名言があります。 その人の人間観以上には人は成長できないからです。連動して企業も成長できないのです。本日の人材育成のテーマは、人間観に関するテーマそのものであります。

 どうか今一度社長ご自身の人間観を振り返り自分で自分を見つめ直し、自分の人間観を高める努力をなさって下さい。人間観の確立をなさることをご提案致します。「人間観の確立をすることは、経営者にとって一番大切なことである」と松下幸之助氏は格言を残されておられます。(当コラム№13参照
人間観の確立を実現すれば、人間を見る目がガラッと変わるものです。経営方針も変わっていくものです。もち論成果も変わっていくのです。

 最後に再びくり返しますが、会社というものは、社長の見識次第で良くも悪くも、どうにでもなるものであります。どうかご参考になさり、人づくりにチャレンジして下さい。
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2010/04/24(Sat)

(No.51) 部下と己をいかにして動機づけるか (1/2) -叱ること、褒めること-

 管理者の仕事は経営者が意思決定した事柄を実行することにあります。そこで管理者は職務遂行のために目標計画を立て部下に仕事の割り当てを行い、実行をせまり更に業務の進行状況を管理するといった一連の行動、つまり管理活動をとることになります。
 
 換言すれば職務を円滑に進行させるために管理者は組織の持つ力を最大限に引き出し、その力を職務遂行に向けて集約させる働きをすることが求められています。
 
 従って、組織の力を最大限に引き出すためには、管理者は組織構成員の各々に動機づをして個々人の能力が発揮されやすい様にする必要があります。
 
 この時、組織構成員に対する最も効果的な動機づけ、統制法が「叱る」ことと「褒める」ことであります。

 まず、「叱る」から説明致します。「叱る」と「怒る」は似ている様ですが全く異なる行為であります。

 「怒る」とは感情で相手を非難している状態をいいます。「怒る」と顔の表情、言葉のトーン、目付き等、感情は何らかの表情で察知できるものです。こちらが感情で迫れば相手も感情で反応するものです。不快感のみが残り部下の心が萎縮してしまい、次回から怒られないようにするために上司に報告などしなくなってしまいます。その結果、管理者は部下に対して正しい指導ができなくなってしまいます。極力怒ることは避けて下さい。(叱って下さい。)

 一方「叱る」とは相手が間違った行動をしたときに相手の成長を願って愛情を持って理性的に問題点を指摘してあげ考え方や行動の改善を促す行為であります。こちらが愛情を持って「叱る」なら相手は感情的にも受入れやすいと思います。
その結果として叱られた相手は、その理性を受け止めて、あるべき方向に向かって新たな行動を開始していきます。

 次に「褒める」を説明します。「褒める」とは相手が正しいことやあるいは立派なことをした時に、その事を認めることであります。「褒める」ことは部下にとって非常に強い動機づけにはなりますが、一方、管理者にとっては非常に難しい行為であります。

 管理者が部下を「褒める」際には部下の行為が真に正しいものであるか否かを見抜かなければなりません。部下のわずかな側面だけを見て評価を下すことは真に正しい評価とは決して言うことができません。また正しい評価をしない管理者に対して部下の反感が高まってしまい動機づけどころか部下のやる気を失わせてしまいます。
 
 要は「褒める」行為は、価値判定行為であり、相手に価値判定の基準を示すことになるのです。ですから日頃からウカウカと褒めてはいけません。
 
 例えば、営業組織の中で、月末に数字さえ達成すれば上司は褒めてくれるとなれば、月初に達成した人は月末まで努力せずに無駄な時間を消費することなどが考えられます。パチンコをしたり友人と喫茶店でダベッたりするものです。

 そこで、管理者が部下を動機づけようとする場合、「褒める」ことよりも「感謝する」ことの方が簡単であります。しかも動機づけの効果も変わらないものを得ることが可能です。

 「感謝する」ことは相手の力量に関係なく実行できます。管理者自ら状況を作り出すことができます。部下に仕事を頼んで部下がその仕事をやり遂げたら「感謝をする」というように管理者が意図的に「感謝する状況」を作り出すことができます。
 
 「褒める」よりは「感謝する」技術を身に付けて下さい。「ありがとう、感謝しているよ」などの言葉を身に付けて下さい。
この様に管理者は部下に「感謝する」ことによって積極的に動機づけを行うことが好ましいと考えています。怒りっぽい管理者は叱って下さい。簡単に「褒める」ことは注意信号です。できれば「感謝」をして下さい。

次回に続きます。
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2010/05/01(Sat)

(No.52) 部下と己をいかにして動機づけるか (2/2) -叱られること、褒められること-

 管理者は部下を動機づけ統制する立場にあります。また、これと同時に管理者は上司である経営者・社長から動機づけ統制を受ける立場でもあります。部下と上司から挟まれています。
 
 前回とは逆の立場で、今回は「叱られる」「褒められる」場合について考えていきます。

 「叱る」とは前述したように、理性的に相手の問題点を指摘して、相手に考え方・行動の改善を促すことでありました。
 
 管理者が上司から「叱られた」時は、上司である経営者や社長の心情に応えられるように行動すべきであります。一般的には次の3つのことを行う必要があります。

上司・経営者の理性を受け入れること・・・・・・
 
 上司が管理者を「叱る」時は、個人的な感情で言っているのではありません。管理者の考え方や行動が適切でない場合に、それを気づかせようとしているからであります。このことを、率直に受け入れなければいけません。

上司・経営者の愛情を感じること・・・・・・
 
 上司が管理者を叱るのは、管理者に、より素晴らしい人間や管理者になって欲しいと願うからであります。その愛情を管理者はしっかりと受け止めて上司の期待に応えるように懸命の努力をする必要があるのです。

行動の変革をすること・・・・・・

 「叱られた」結果、管理者は指摘された問題点を早急に改善しなければなりません。そして同じ間違いを二度と繰り返さないように気をつける必要があります。

 「叱られる」ということは、管理者が大きく成長するためには、またとないチャンスであります。これをきっかけに正しい考え方をして正しい行動がとれるように改善の努力をする様に心掛けることが大切であります。

 次に「褒められた」場合を考えていきます。管理者が上司・経営者に「褒められた」ということは、管理者の行動が正しいことが上司に認められた証しといえます。管理者は大きな自信と誇りを持って良いと思います。しかし、決して傲慢になってよいということではありません。
 
 そして管理者は「褒められた」状態を継続させるように努め、さらにはその状態を向上させるようにしてこそ、上司は管理者を「褒めた」甲斐があるというものです。
 
 また、次に上司から「感謝された」ら、管理者はどの様な態度を取るべきでしょうか。その時には謙虚な気持ちで上司の心を受け入れて、上司に対して心から感謝しなければいけません。
 
 最後にまとめますと、管理者が部下を「叱り」、「褒め」、「感謝する」のは、相手の更なる成長を願う気持ちから出ているのです。その管理者が上司から「叱られ」「褒められ」、そして「感謝された」時には自分の成長を願ってくれる上司の心情に応える様に行動する。これでこそ一人前の立派な管理者といえるのです。

 管理者の皆様、何か一つでもご参考になさり日頃の管理活動で実践なさることを期待いたします。「上司と部下からの板ばさみでつらい」という声が聞かれないわけではありませんが、あなたのこれからの人生を考えた上で申し上げるならば「管理者(の存在)とは事業家・経営者に向けての一過程の期間である」と言えます。どうか将来に希望をもって頑張って下さい。
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2010/06/26(Sat)

(No.60) 人間力・仕事力をつけるには(年間の振り返り)

 今まで各種にわたり人をつくる、人材の育成養成というテーマで述べてきましたが、1年間の振り返りをしてポイントだけをまとめてみたいと思います。

(1) 経営者は優れた教育者たれ (№5)

(2) 物をつくる前に人をつくれ (№6)

(3) どこまでも、まず人間をつくれ。それから後が経営であり事業である (№6)

(4) 「玉、琢かざれば器とならず。人、学ばざれば道(真理)を知らず」 (№6)

(5) 教育は下からではなく、上から順に行なうことが鉄則 (№7)

(6) 自分を磨き上げるために“良い砥石”(道具)を持たなければならない。 (№8)
刃物はいつかはサビによって切れなくなる。同じく、人間もいつかは切れなくなる時がくる。よって、良い砥石をもって磨かないといけない。

(7) 縦の工夫と横の工夫 ~自己を深く掘り下げよ~ 力をつける2つの方向性がある。 (№9)
現在はあまりにも“横の工夫”のみに力点が置かれているので危惧される。ちなみに、経営学は横の工夫。

(8) 人間はダイヤモンドである。人間は磨けば必ず光る。人間とは偉大で無限の可能性をもっている。 (№14)

(9) 他人の過ちから学べ。自分で全ての過ちを経験するには時間が無い。黄金の耳(謙虚に教わる心)をもって疑似体験をせよ。 (№17)

(10) 人間は哲学(人生観や世界観)の泥棒にならないといけない
教えられたものはすぐに忘れる。自分で苦労、苦心してぬすんだものは忘れないもの。敏にしてかつ求める。自分を向上させる全てに敏であれ。敏なれば功あり。 (№18)

(11) 知識技術資格はすべて仕事や人生の道具。いかに立派な道具を揃えても使う本人が人間として立派でないと絶対にいい仕事はできない。 (№21)
徳と才の運用バランスで人間性が決定される。徳がないと才が活かされない意。

(12) 思考には四原則がある。人生や経営に活用せよ。人の改善は意識の改善です。意識を変えれば人生が変わる。その意識とは普段使っている“口ぐせ”“ことばぐせ”のこと。 (№22)

(13) すべては“志”からはじまる。しかし、人生は二度なし、人生の一過性に真に気づかないと志は立たない。“志”とは、仕事や経営や人生で重要なキーワード。 (№23)

(14) 知識教育より知恵教育が重要 (№24)
先の見通しができるか否かが尺度の根本になる。知識だけでは見通せない。信号をキャッチできない。

(15) 人間学と経営学は車の両輪、どちらかが欠けても前に進めない。 (№26)

(16) 肉体の親と魂の親が必要。 (№31)
魂の誕生を第二の誕生と呼び、志を立てること(魂の誕生)の大事さを教えている。真の師と巡り合うことが必要であり、魂の誕生を境に人物が錬磨されていく。魂の誕生をなすには、師友の存在は欠かせないもの。

(17) 知っている人をつくるより、できる人をつくる方が重要。 (№33)

(18) 長所や強みや得意分野に注力して伸ばせば良い結果が得られる。欠点是正や不得意分野を克服させようとすれば悪循環に陥る。 (№34)
人間も経営も同じ。長所伸展法という。

(19) 経営者は、創業当時から“人づくり”に注力しておかないと時間が経てば経つ程、人が育ってないのを実感する。創業から“人づくり重点経営を!!” (№36)

(20) 創業時は誰でもある。まず自分には力がないことを知りなさい。と教えている。しかし力はなくても“確乎不抜の志”は必要です。謙虚に学ぶ姿勢さえあれば必ず指導者や協力者が現われてくると教えてます。 (№38)

(21) 人間の成長過程には順序とプロセスがある。
依存の状態から自立の状態へ。最後は相互依存の状態の3つ。それぞれのキーワードは、“あなた”、“私”、“私たち”。このステップは企業の成長過程にも当てはまります。 (No.39)
創造性を高める決め手といわれる「分離再結合の原理」です。

(22) 知識主義で頭でっかちでは、何の役にも立たない。知識主義は第二の学問で、精神修養主義、精神の形成が第一の学問である。
その為に、見識から胆識へと段階があり、成熟させないといけない。心のベースに“志”をしっかり堅持していることが条件である。 (No.41)

(23) 自分の視野が広がり思考や発想を豊かにし経営能力・人間力・仕事力を高めるには、人脈の質の高さを求めよ
量の多さではない。自分よりレベルの高い人達との交流を図れ。
過去の人で面会は不可能でも私淑する人物を持ちなさい。
人脈とは現在生きている人以外にも含めることを云います。 (No.43)

(24) 人間・人生で最高の目標は、「徳」を養うこと言われています。人は皆生まれながらにして「徳」を授かって生まれていますが、その良心を発揮するのが難しいのです。人間として守るべき、また実践すべき徳目を五つに分けて「五常の道」として学ぶのです。また、それらは経営や人生において欠くことのできない貴重な教えであります。(No.44~47) 一生の宝物となる教えです。

(25) 教育とは英語でEducation(エドュケーション)といい、語源はエドュカーレ(ラテン語)といい“引き出す”の意味。教育の本質は無限の人間の潜在能力・保有能力を引き出してあげ発揮能力まで高めてあげること。与えること教えることではありません。押しつけ押し込むより引き出すことなのです。(No.49・50)

 以上各種述べてまいりました。一つでも自分の胸の中にストーンと落ちるものがあれば、本物の教訓として今後活かされていくでしょう。人間は本来忘れる動物です。だからこそ、間を置く反復が大切なのでしょう。

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2010/10/02(Sat)

(No.74) 金を残すは下 人を残すは上

金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上  されど金なくして事業は成り立ち難く、また“事業”なくして“人”育ち難し」 と言われています。

 この言葉は金・事業・人の3つが相互に関連し合っていることを上手に示しています。
が、企業経営は何といっても究極は人が主役なのです。“人で始まり人で終わる”、“人により栄え、人により滅ぶ”、“一国は一人をもって起こり、一人をもって滅ぶ”と言われています。
 
 利益や金・損得優先主義では長く続いた企業はほとんどありません。
人を大切にする、人の心を大事にする経営は続きます。人を物品のように扱い社員に愛情や思いやりのない経営者では中小企業の場合は命取りになります。弱い立場の人、困っている人を大事に考える人間性が求められ、また、その様な経営者が評価される時代に入っています。経営手法の潮目に変化が生じています。

 経営理念で“顧客満足第一主義”を謳いながら基本中の基本である従業員すら満足にさせていない企業に何が望めるのでしょうか?いつかは化けの皮が剥がされるのです。「経営理念 壁に残して倒産す」笑い話しにもなりません。いくら理念が立派であっても、絵に描いた餅は食べられない、理念だけ言葉だけでは生きられないのです。有言実行が求められています。完ぺきでなくても、実践することが求められます。
 
 繰り返しますが、“事業は人にあり”です。この“人”とは社長トップのことを示唆しているのです。次に部下を養成しかつ満足させねば始まりません。
 
 人を育て(特に人の心を)そして活かすことが、いつの時代も最重要で永遠のテーマなのです。
実は不況の時こそ力を注ぐべきテーマなのです。信じ難いでしょうが・・・・。好況になり忙しくなってくると教育や研修の時間がなかなか取りにくいものなのです。

 話は転じますが、“ものをつくる前に人をつくれ”また“人間はダイヤモンドの原石である”と松下幸之助氏は教えられています。(当経営コラム№6、№14参照) 人は磨けばどこまでもキラキラ光る素質があり、磨かなければ原石のままであり、宝の持ち腐れになるとの意味です。
 
 物や、労働力としての肉体は借りることができます。しかし、肝腎の心は借りることができないのです。“心は磨くもの”なのです。
 
 心を磨けば人格(人間性・人間力)が向上し、社員の人間の質が高まります。その効果は各方面ですぐに色々と出て来るのです。良循環していきます。
 
 もし、あなたの会社で過去に人育て(知識・技術でなく特に心の教育)を実践なされてないとすれば、そのツケが現在、現象として現れているはずです。因果はめぐるものです。
 
 今からでも遅くはありません。意識と思考(思いと考え方)を変えて下さい。また、社長の人間観もです。その人が持っている人間観以上には人間は成長しないのです。人間観とは非常に大きな価値観なのです。人間的成長とは、心の世界が見えるようになることです。

 最後に結論として、教育(人づくり)は下からではなく上から順に行ことが鉄則です。(当経営コラム№7参照)「修己治人」といって、まず己を修めてから、次に部下を指導し、又、人を治めていくのが成長のステップであります。順番があるのです。逆を行っている人が多い様です。 ご注意を。

(参考)
    ・他人に教えるとおりに自分も出来るよう、自分を仕向けよ。
    ・自分を調えて、初めて他人を調えることが出来る。
    ・まことに自分ほど整えることの難しいものはない。
                                 (法句経 ダンマパダ159より)
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2010/10/23(Sat)

(No.77) 君子はゆっくり着実に成長する (易経 風山漸より)

 「風山」とは高い山上にある樹木のことです。「(ぜん)」の字はもともとの意味は、さんずいがついているところから、水際を水が浸していくように、ゆっくりとだんだんと進むという意味でした。つまり、「ゆっくりと徐々に進む、順を踏んでだんだんに進む、確実に進む」などの意味になります。

 自分が高い山の上で成長していく樹(会社経営では社長)になったとイメージして下さい。山上の樹は平地の樹と違って、まず風当たりが厳しいです。ともすれば、なぎ倒されそうになります。ですから、上に伸びる前にまず地中深く根をしっかりと張らなければいけません。急がずに着実に地中に根を張ることです。

 そしてその後、幹や枝がゆっくりと成長していきます。 また、山上の樹は平地の樹に比べて目立ちます。位置が高いために仰ぎ見られる存在です。
 
 もうひとつ特徴があります。平地の樹は、すくすくと育っていく状態がよくわかります。ところが山上の樹は遠くて広いため、なかなか大きくなるのが身近には見えません。
 
 成長するまでに時間がかかります。ゆっくりと育っていきます。しかし十年か二十年経ってから見ると、びっくりするほど高く立派に育っていきます。

 卑近な例で経営面で応用しますと、能力を着実に身に付けようとか、社長の器を大きくしようとすれば、他人より早く成功しようとか会社を早く大きくしようと、どうしても焦りがでてまいります。
 
 早成を求めず競わないことです。早く行くよりは遅れ気味で、むしろ控え目に着実に進んだ方が逆に育つという意味にもなります。ハッと気がついた時には実に見事に大成している。目に見えなくても確実に伸びて、最後は大木になり、人々から仰ぎ見られるような存在になっているという意味です。人間の成長には、踏むべきステップが必ずあるとの教訓なのです。

 求める心が先に先に走りますと必ずつまづきます。ところが静かに時に応じて、そして時を見て進んでいく場合は、そこに間合いが生じます。むしろ自分から間合いをはかって、ゆっくりと徐々に進んで行くことによって、変じて通じて久しく行くということになっていきます。創造変化し、能力が向上し、器が成長し、周りとの協調もでき永続的に発展もする。
 
 これが「漸」の教えであります。実際の経営でも活用できる教えであります。若い社長様方は特に吟味して頂ければありがたいです。

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2011/01/22(Sat)

(No.90) 保有能力と発揮能力はどの様に違うのか?(1/2)

 管理者や社員の能力向上について経営者の方々はいつも頭を使われていると存じますが、基礎的な要素について考えてみたいと思います。

 まず能力について、それには2種類があります。保有能力と発揮能力の2種類です。

 保有能力とはその人が保有している能力であり、特定の知識を身に付けている状態、あるいは特定の技能・スキルを身に付けている状態であれば、その能力を保有している、即ち保有能力があるということができます。

 これに対して、発揮能力とは保有能力のうち発揮しえた能力のみを指します。たとえ高い能力を保有していたとしても仕事を遂行する上において、その能力を効果的に発揮しないことには発揮能力がないと判断される訳であります。

 保有能力を効果的に発揮するためには、知識なり技能といった保有能力を、本人がその気になりさえすればいつでも自由に使いこなすことができるように習慣として身に付けている状態でなければなりません。さらに、本人が保有能力を真に発揮しようという心なり気力といったものを持たなければ、現象として現れる発揮能力にはなりえないということになります。

 従って外から眺めていて、保有能力とは、「彼は昔この様な職種を体験していたので、おそらく何々ができるであろう」とか、「彼は出身校はどこを卒業しているので、おそらくこの様なことは知識として保有しているはずだ」とこの様な状態を意味するものであります。
 
 また、発揮能力とは、一緒に仕事をやってみたり、その人の上司や周りの人々からの評価の言葉の中で、「彼は何々を常にやっている」とか、「彼は何々はいつも仕事上で出来ているとか出来ていない」とかの状態を意味するものであります。

 以前、当経営コラム№47でもふれましたが、学校現場とはまるっきり求められるものが違い、経営や仕事の現場では、実践や行動が求められるため、いかに実行力や発揮が大切であるかということなのです。古い言葉を使えば“知行合一”という考え方で、「本当に知るとは必ず実行が伴うものである」ということを意味した教えであります。また、いかに実践行動が難しいものであるかを示唆しているものでもあります。

 現在の日本は、戦後の教育制度の改革で、知識主義に価値を置き過ぎたため、頭でっかちであり、高学歴主義が続き、たくさん暗記している人が試験にパスしてエリートになる時代が長く続いている様な気がします。

 今まで述べた保有能力を身に付けた状態で、発揮能力まで進まずに宝の持ちぐされや実行にまで移されていない事柄やテーマがあまりにも多過ぎる様な状態ではないかと思っています。宝の持ちぐされの状態である保有能力をいかに発揮能力まで高めるかがポイントになってくると思われます。


(次回に続きます)
 
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2011/01/29(Sat)

(No.91) 保有能力と発揮能力はどの様に違うのか?(2/2)

 私は、簡単に能力を2つに分け、保有能力と発揮能力と説明致しましたが、一気に発揮能力まで高まるのではなく、保有能力からスタートして発揮能力へと進んで行くものであります。

 例えば、小さな事例で説明しますと、ある人が専門用語や公式や理論を知らない状態だとします。上司や管理者は、知らないから、知らせるもしくは教えることになります。その人は、知らない状態から、知っている状態にステップアップします。次に管理者の行動は、本質やコツや目的などを理解させるという仕事が続きます。その部下は、知っている状態から理解している状態へと更にステップアップします。今度は、理解している状態から、その部下が、実務や仕事の場面で使える、またはできるようにする実習や演習をする必要が生じます。単に頭の中にあった識の変化から、技能面への変化へと向上が見られる段階まできました。

 いよいよ次は、あることができる状態から、実務や仕事の場面で実行させる、実践させる、活用させる、という仕事が待っています。この段階で少し背中をポーンと押してやったり勇気付けや動機付けをすることも同時に必要になるでしょう。いよいよその部下に、態度や行動の変化が見られるようになってきました。この状態が発揮能力という言葉が当てはまる状態であります。ここで終わりかというとそうではありません。

 部下は実行しているという状態ですが、常に続けている、継続しているという状態まで習慣化はできていないのです。管理者はその部下に対して、続けさせる継続させる、いつでもことさらに意識することなく、当たり前になっている、もしくは習慣になるまで指導する仕事が待っているのです。そのプロセスや段階を経て、その人は、行い続けている状態、習慣になっている状態に至る様になり、育成ができ、今後も成長が続くように変化進化創造が続けて行けるようになります。いかに実践行動が難しいかをご理解頂けたものと思います。

 この事例のステップをまとめると次の通りであります。
 ① 知らない     → 知らせる。教える  (保有能力の段階)
 ② 知っている   → 理解させる      (   〃   )
 ③ 理解している  → できるようにする   (   〃   )
 ④ できる      → 実行実践させる    (発揮能力の段階)
 ⑤ 実行している  → 続けさせる       (   〃   )
 ⑥ 続けている   → 習慣にさせる      (   〃   )

 この①~⑥のステップを車の免許を取って日頃運転するケースや皆さんの企業でいろんなケースに当てはめて考えられると、全て応用や対応ができますので、ご活用頂ければと存じます。また、家庭内のお子様の育成やスポーツにも応用ができるステップであります。

 経営者や経営陣を育成するのも同じ様な考え方が基本的には応用できるものであります。が、ただ経営者・社長としてリーダーシップを発揮するには、経営学だけの発揮能力では、人や部下や組織を統率するというわけにはまいりません。

 常々私が提唱してます様に、経営学は時務学(当経営コラム№44参照)の一部分に過ぎず末であり、どうしても本となる人間学を身に付け人間力を磨かないと一人前で立派な経営者はできそうもありません。本あってこその末であります。

 社長業を立派に務めるには、管理者や社員の発揮能力以上の発揮能力が求められるため努力する時間も格段に多く必要となるのであります。当然ですが、社長の地位についてからでは、相当時間がかかります。その様な方は一般的には人の10倍の努力が必要になられるでしょう。

 理想的には、社長になられる十年位前から準備なさることを提言致します。後継者の育成には、あまり知られてませんが最低十年はかかるのであります。地位の承継だけなら明日でも可能でありますが・・・・。
ご一考を。
 
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2011/04/30(Sat)

(No.104) 読書にはどんな力が潜んでいるのか? (1/2)

 経営で言う赤字は、「やるべき事をやらずに、やってはいけないことをやっている」時に陥ってしまう状態であります。 その具体例として、

①帳尻合わせのための在庫や仕掛工事高の調整をし、その結果、次の期にその影響で赤字になる
②商品開発や設備投資はお金がかかるからと言って手を付けない(開発や投資は身の丈に応じていることが条件であります)
③人材育成も時間と費用がもったいないからと考えて長い間取り組まない
④中長期的視点での企業努力をせずに即効果の出る短期的視点でのリストラを行う     等があります。

 つまり、人間である社長が「人間としてやるべき事をやり、やってはいけない事はやらない」という、古典が何回も何回も戒め何万語も費やして教えている事に他ならないと思います。貴重な教えを実行していない結果として赤字を呈しているのです。

 リストラ(リストラクチャリング)といえば本来は事業の再構築のことですが、現在は解雇などのことを言うのが多い様です。今まで長い間一緒になって汗をかいてきた仲間の首を切って、その減少した人件費で利益を出そうとする様な姑息な気持ちで経営をしている社長やリーダーに人はついていくはずがありません。
 
 部下が心の底から心服して働く気も起きない様な社長やリーダーでは当然のことながら業績を上げられるはずがありません。だからこそトップやリーダーには人間的魅力が求められるのです。
 
 経営をうまく推進していく力である経営の実力には、経営知識や経営技術以外に人徳という人間性や人間力が含まれていることを知っててほしいと思います。とはつまるところ、その人の人間観ではないかと思います。

 上司であれ部下であれ、人間としてその案件や事柄をどう扱ったら良いのか、どう判断し、どう対応したら良いのか、それがしっかりしていれば、地位や権力を与えられても、威張り散らしたりはしないものでしょう。

 今まで数多くの社長と接してきましたが、社長になったら何か自分が偉くなったと錯覚している社長が多かったような気がします。本来は何も変わらず、ただ名刺上の肩書の名称がほんの少し文字が変わっただけなのにです。

 肩書社会の虚構と言って、人間という動物はあさましいもので地位や肩書きや表面上のことだけであっという間に人間が変わってしまうものなんですね。社長に就任した当初は、喜びと嬉しさがこみ上げ、重たい責任に気が引き締まり、謙虚さがあり言動や振る舞いが人間らしかったのに、日が経つにつれその意識に変化が表われ、力まかせに力一杯に出そうと肩に力が入り変わっていく人が多い様です。

 それも悪い方にですね。権力や権限を振り回し威張り散らして傲岸不遜の態度をとり、人間的魅力があっという間に吹き飛んでしまいます。人間力が数段格下げになっていきます。

 では、先ほど申し上げた人間観を磨くにはどうしたら良いのでしょうか?次回は、読書で人間観を磨くことについて考えていきます。

(次回に続きます) 
 
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2011/05/07(Sat)

(No.105) 読書にはどんな力が潜んでいるのか? (2/2)

 経営者として組織を統率していく源泉である経営力の養成に向けて、人間観を磨き人間力を高めるには一体どうすれば良いのでしょうか?

 それは自らの仕事に懸命に取り組むことはもち論、仕事以外の合間を縫って良書を読むことが非常に重要であると考えています。

 ある人が読書の効用として、「他人の過ちから学べ、自分ですべての過ちを経験するには時間がない」と言ってますが、その立場立場を全て経験することができない分、多くの書物を通して沢山の人の心を知ることが、社長としてリーダーとして人間学・人物学習得のため、とても大事なことだと思います。

 中でも特に2500年超という歴史や風雪に耐えた古典には時間と空間を超えた普遍性があります。今を生きる我々が読んでも全く古くないし、なるほどとうなずくことが多いもので人間の心の本質は2000年以上前から全く変わっていないことが分かります。
 
 読書離れと言われて久しいですが、できれば心に響く書物で人間的にしっかりした人物になる本、自己を育ててくれる本、自分を変えるような本や学問を薦めたいと思います。だからまずは、とにかく本を読むことを薦めます。

 大体本を読む習慣がないと人の話を聞かない人が多い様です。何故ならば、本を読むという事は、二時間なり三時間ずっと著者の考えや話に付き合わないといけません。話を聞かないといけません。

 つまり、読書とは他者との対話なのです。単に読書するんじゃなくて筆者の考え方を聞き、更に行間を読むことで自らの環境や状況とすり合わせをしながら読むわけであり、双方の意思を疎通する力であるコミュニケーション力を高めることにもつながるのです。

 中国の古典では人の話を聞く力を持った人のことを“黄金の耳”を持った人つまり君子の条件であると教えています。話すより聞く力を重視しているのです。聞く力を養いたいと思います。

 今、世界中どこの国でも母国語の言語技術教育を重視しているのに、日本だけが重要視していないようです(反論が聞こえてきそうですが・・・)。例えば小学6年の国語の授業時間は約30年前は年間245時間(1979年)だったのが、今は175時間に70時間も減っています。母国語の言語技術を磨かないと前に進めないのにです。残念でなりません、と同時に、将来を憂えてしまいます。

 理性よりも大切なものである感性について言えば、感性は言語技術があってこそ初めて表現できるものと言われています。また、その感性は経営者や社長にとって理性の倍近く必要な能力であると言われています。読む力、書く力、話す力、聞く力の言語技術が基本になるのです。

 読む力は考える力の源泉で語い(語の総体のこと)も増え読解力が身につき、論理的思考力(理性)も養うことができ深まります。教科書もより理解できるので他の教科の力も向上するのです。

 日本語の基本が身につかないのに、よその国でやってるからと小学校の高学年で英語教育をするらしいですが、いかがなものかと首をかしげたくなるのは私一人なのでしょうか?不要不急のことを教えるより幼少期は読み書きそろばんの基本をじっくり身につけさせる方が得策なのにですね。

 全体的に学力低下が叫ばれているのは当然の成り行きであると一人でひっそりと考えております。さて皆さんのお考えはいかがでしょうか?

 最後にひと言。
たかが読書と侮らず、されどやっぱり読書であります。読書の効果ってすごい力があることをご理解なさったことと存じます。
 くれぐれも三日坊主になられませぬ様に。継続が力なのです。

 [ 補足 ] 読書の効果について

       1.論理的思考力(考える力)
       2.聞く力(黄金の耳、社長やリーダーの条件)
         コミュニケーション力、意思の疎通力に通じる
       3.語いの増加、読解力、人の心を読む力
       4.感性の表現ができる(言語技術があってこそ)
       5.人間力と経営力(古典などの良書を通して)
       
       などの向上が期待できるものです。
        ただ良書を読みさえすればいいわけではありません。知ったことを実践して、
       現実の生活で実現していくことが大切であることは申すまでもありません。

      
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2011/05/14(Sat)

(No.106) 知と情の関係について (1/2)

 私達にとって、とても大事な“知”、知るということについて、“情”というこれまた欠くことのできないものと対比させながら考えてみたいと思います。

 人間とはどちらか一方だけで成り立っているのではなく、知と情で生活や仕事を行ない人生を歩んでいきます。どちらも欠くことのできない大切なものであります。

 とは、知識のことですが領域はとてつもなく広く、挙げたらキリがないほどです。幼少時代に覚えた知識から社会人になってから覚えたり身につけたり、経営者になってから学んだ知識とか、一般市民としての常識や仕事に関する専門知識など、その人の環境や与えられた仕事や職業に応じても各人各様であるでしょう。

 それに対してとは、一般的で簡単な分類は“喜怒哀楽”で表わされることが多いと思います。人間の心理は複雑多岐でつかみどころがないほど厄介なものですが、ここでは四文字の喜ぶ、怒る、哀しむ、楽しむで代表させて頂きたいと思います。

 ところで、知と情を陰陽の物差しで区別致しますと、知は“陽”、は結びの力なので“”になります。知と情がうまく調和している状態を“”(ちゅう)と言います。中とは、陰と陽を正しく活用して発展させることの意味であります。中には“結ぶ”という意味もあり、これに近い意味であります。

 陰であるは先天的で自然発生的なもので、情の力がこもって厚いのが基本であります。
の方は、後天的で派生しますから樹木に例えれば、枝、葉、花であり本末でいえば末に該当します。

 ですから人間は、内に情が厚くそして頭が良いというのが一番望ましい理想的な状態でしょう。
もし知が情に勝ると、よほど気をつけませんと軽薄になり利己的になっていきます。才も同様であって、これまた派生的なものですから、利口であるとか才能手腕が優れているからといって、これに走り過ぎますと危険であります。

 よって才知があればあるほど、反省修養が大切になり才知以上に情を養う必要があります。知と情がどちらかに偏りアンバランスな状態では、危険性が高まり人間性や人格という点では好ましい状態とはいえないでしょう。

 陰とか陽とか述べましたが、何のことか理解が進まないと思いますので、少し説明を加えたいと思います。これは昔からある東洋思想や東洋学問の概念であります。

 一般の人は、陰陽というと“相対立するもの”であるととかく断定しがちでありますが、相対立すると同時に“相待つ、相求め合う”ということ、即ち陰は陽を待って、陽は陰を待って初めて中(調和、発展していく、進歩向上していくとの思想であります。「陰陽相対(待)性原理」として確立されたものであります。

 西洋にも同様な概念が存在し、英語でいえばレシプロカリティ(reciprocality)という単語で、“相互性、相応性”という意味であります。

 (次回に続きます)
   
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2011/05/21(Sat)

(No.107) 知と情の関係について (2/2)

 前回で、「陰陽相対(待)性原理」とは西洋流にいえばレシプロカリティで、相互性、相応性という概念でありますと説明致しました。

 この概念が非常に大事でありまして、陰と陽をそれぞれ良いとか悪いとの個別で見るのではなく、それぞれが対立と同時に相待って、相求めて、進歩向上していく、矛盾を統一していく働きをしているという意味を理解することが大切なのであります。
 
 ですから陰、陽について偏見を持たないようにしなければなりません。どうかすると陰は悪く、陽は良いとか、陽性であるということは、陰性よりも良いというような錯覚をしがちですが、この考え方も非常に危険であります。

 危険といえば、どちらかというと陽の方が危険であります。だから陽の字には、うそ、偽り、うわべという意味があるのでしょう。

 とかく世間では、陰が悪くて陽が良いのだというようなことも常識になっておりますが大変な誤りであり、また従って非常に危険なことであります。陽は陰を待って初めて陽であり、また陽があって陰が生きるのであります。

 ところが、どちらかというと陰はわかりにくく、陽の方がわかりやすいものなのです。従って特徴も欠陥も、すなわち長所短所ともに陽の方が目立ちやすく目につきやすいために認識しやすく、陰の方が認識しにくいものであります。そこでいろいろな間違いや判断の誤りが生じやすいものであります。

 知は陽、情は陰と述べてまいりましたが、それぞれが独立して働いているように考えがちですが、常に発展分化していく知は、情があって初めて有効に活かされ、情は知の力を借りて結びや統一や調和の力を発揮して人間力として外面に表現されるものであります。先ほど述べたように、知と情は相互性、相応性(レシプロカリティ)の関係を持ったものなのです

 以前にも触れましたが、「徳の上に立った才の運用」(当経営コラムNo.99参照)という教えに近い考え方であります。

 基本になる徳目、五常の道(当経営コラムNo.44~No.47参照)や五倫の道(当経営コラムNo.97~No.99参照)などが固まってないと、いかに優れた才能を保有していても有効に活かされないと述べましたが、情という根本の力が厚くないと、知や才や才能は有効に活かされないのです。

 また発揮能力として周りの人々は認めてはいただけないし、仕事もうまく進んでいかずに、途中で塞がったり行き詰ったりするものと解釈して頂きたいと思います。

 最後にまとめますが、物には必ず本末があります。徳や情や人間性、人間観、人格などのトータル人間力という基本のが固まってこその、知や知識、技術、資格、才能、仕事力、経営力などのが活かされるのだと考えて頂ければありがたいと存じます。

 ベースに人間力、その上に仕事力と経営力が乗っかっています。互いに相互性、相応性を保ちながらなのです。
   
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2015/12/12(Sat)

(No.345) 効果的な管理者人材の育成方法は? 

ある中小企業の社長との会話の中で、管理者育成の話がテーマに上りました。その社長が10年前に独立を果たした時は、従業員は僅かに3名だったとのことです。その後、順調に成長を続けられ、現在では40名弱の従業員がおられるそうです。
 
ところが最近、社長がつくづく悩んでいると言われるのです。よく伺ってみますと「頼りになる管理者が一人もいない」ということでした。顧客企業からコストダウンや品質や納期など、様々な要請を受けても、責任を持ってその要請に応えるという姿勢を持った管理者がいないとのことでした。
 
だから「社長自身が何もかも一人で処理しなければならない」というのが現状である、とのことでした。「今やわが社にとって管理者の育成が急務となっています。是非とも効果的な管理者人材の育成方法をご教示頂けないか」との内容になりました。
 
この様に企業が一定規模に成長していきますと、必ずやこの企業のような事態に遭遇します。そしてその時に企業の経営者がどのような態度をとるかによって、その後の企業の成長が大きく左右される様になります。
 
ここで私が、最初に申し上げたいことは、管理者人材の育成方法についてよりも、管理者人材の育成に当たられる社長ご自身の態度についてであります。今、社長が管理者の不足を嘆いておられるのは、社長ご自身がおっしゃっておられるように、今まで管理者育成の努力を怠ってこられたからです。この結果、この会社では多少とも創造的な仕事や活動は、全て社長ご自身がやらなければ誰もできないと言う状態になってしまっているのです。
 
  では、この状態が意味するところは一体どういうことなのでしょうか?それは、もはやこの会社は、現状のままでは決して成長することはできないということを意味しています。もし今の状態のまま、なお環境に助けられて企業規模が成長拡大を続けますと、必ずや近い将来において破局的事態に陥ることになるでしょう。
 
  企業が自己の保有する経営管理能力を上回る規模に達してしまいますと、不測の事態やアクシデントに対する抵抗力が急激に弱まってしまうからです。それ故に、この会社においては今後取り組まれるべき管理者人材の育成は、企業の成長力を強化するためのものでなければなりません。
 
先ほど説明しましたが、顧客からのコストダウンの要請に応え得る人材の獲得などという当面の課題解決のためであってはならないと思います。その様な観点から管理者人材の育成を考える時、管理者層に対して施すべき教育は、決して知識や技術ではないことに気がつきます。何よりもまず管理者としての自覚であり、また自己の活動によって、この会社を絶対に支えねばならないという意識自覚が必要になります。
 
この会社の社長が、現在の順調な社業の中に問題を見出し、危機感を抱くことができるのは、自分がこの会社を支えなければ誰も守ってはくれないという強烈な自覚があるからでしょう。この強烈な自覚は、自分が会社を守り社員を幸せにしてやらねばならないという使命感につながっているでしょう。
 
  もし、管理者諸氏が会社や部下に対する真の使命感を感じて仕事に向かえば、ほとんどの企業において解決しない課題は存在しないと言っても良いほどです。そこで、管理者諸氏に対して実施すべき教育の最初のものは、自分の現在の管理者としての仕事の仕振りが、いかに甘いものであるかを知らしめることでなければなりません。
 
ほとんどの管理者諸氏は、自分なりに努力していると一人合点しています。しかし、それが上司や部下から見るといかに不充分な存在であるかということを痛烈に知らしめなければなりません。その上で上司や部下が、彼に対していかに大きな強い期待を抱いているかを分かってもらう必要があるのです。
 
私たちYMCグループでは、その様な教育プログラムをLSI研修(リーダー向け自己革新プログラム)と呼んで用意致しております。YMCグループのホームページに載せております。
 
概要を簡単に説明しますと、各人の生きがいについて徹底的な討議を行ないます。そして、各人が真に生きがいのある人生を送るためには、会社や部下に対する使命感に燃えた日々を送ることが最も効果的であり、それが物心両面における幸せを手にする近道であることに気づいてもらいます。その結果、彼等は昨日までの自己に別れを告げて、新たに自己の変革に取り組む決意をなさり、自己革新のプログラムを自ら作って行くという内容になります。
 
過去の実績から言えますことは、凄く効果性の高い管理者人材の育成方法のひとつであります。ご参考までに。
 
 
 
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2015/12/19(Sat)

(No.346) 人はどうすれば成長するのか? (1/2)

いかなる教育であっても、逆境から学べるものに比べたら、敵カナウものはありません。つまり逆境が最高の教育になるのです」と、英国首相であったベンジャミン・ディズレーリが語っています。有名な文章であります。
 
その他にも、似たような古い教えが残されております。「艱難辛苦カンナンシンク、汝を玉にす」とか「逆境は神の恩寵的試練である」(逆境は試練に違いないが、お恵みでありプレゼントなのですの意)などの言葉が浮かんでまいります。
 
  今回は、これらの文章が私たちに何を示唆しているのかについて、私なりに考えたことを述べてみたいと思います。教育とは?人づくりとは?人の成長とは?周りの環境との関連は?などの視点で考えてみたいと思います。
 
まず教育に関して最初に申し上げたいのは、いつも触れていますが、「知行合一」の教えになります。「本当に知るとは、必ず実践実行が伴うものである。よって実践を伴わないのは本当に知っているとは言いがたい」ということです。また「いかに実践行動が難しいものであるか」を示唆した言葉でもあります。「言うは易く、行いは難し」とはよく言ったものであります。
 
人間は成長しようとして勉強します。本を読み、知識を覚え溜め込んでいきます。記憶したかどうかを測定する為に学校現場ではペーパーテストをします。その人の記憶力、もしくは記憶した量を、又は正しく記憶できているか否かを評価します。
 
しかしながら、膨大な知識を頭に詰め込んでも、日常の生活や実務で活用されずに実践しなければ全く役に立ちません。それは太陽の下で灯すローソクの火と同じであり役には立たたないということになります。
 
「楽しみは 色々あるが 世の中で 書を読むばかり 楽しきはなし」 読めば読むほど知らないことがわかっていきますから、読書家の人は楽しいばかりでしょう。しかし
 
「読むばかり 実践せねば 意味はない 知行合一 凄い教えだ」 と言うことなのです。小学生中学生には厳しいかもしれませんが、社会人になればなるほど、実践や行動が求められる為にピンとくる言葉になるでしょう。
 
次に言えることは、「人間は自分の得にならないことをやらなければ、成長はできないということです。もちろん自分の得になることも大事ですが、それ以上に自分に何等得にならないことにも励んでいただきたいのです。
 
それは「益はなくても意味がある」といわれている通りです。無益なことは必ずしも無意味ではなく、必ず意味があるということなのです。要するに「厳しい環境が人を育てる」という理由から、又「苦が人を育て、成長させる」という理由でそう言われているのです。苦しみが大きければ大きいほど、困難が多いほど人間は成長し進化していくのです。自分で納得のいかない苦しみが己を磨いてくれるのです。
 
つまり、誰であっても苦や困難なことはできれば避けたいでしょうが、それらは自分を成長させてくれるチャンスになるのです。だから万が一、苦しい現実に遭遇した時は、逃げることをやめて、自分をいたわった上で辛さをじっくりと味わうこと、辛抱することが大切なのです。
 
苦難こそ 成長の鍵 チャンスなり 苦難を避けず 逃げずに向かえ」なのです。さらに加えれば、
苦に会えば ただちに変えよ 感謝して 喜びにして 受け止めること」です。ピンチはチャンスだ、ありがたきかなであります。考え方、とらえ方一つなのです。
 
(次回に続きます)
 
 
 
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2015/12/26(Sat)

(No.347) 人はどうすれば成長するのか? (2/2)

  一般的に人は皆、己の成長を望むはずです。自分の成長を本気で求めるならば、楽な道を選んではいけません。より困難で厳しい道を自ら選ぶことが大事になります。また、困難で厳しいからと決めつけて、失敗を恐れて諦めて何もしないことの方がよほどいけません。誰であっても、人間ですから失敗することもあるでしょう。しかしその失敗が成功のエネルギーになっていくのです。信じられないでしょうが。
 
失敗は 他人ヒトから見れば 見えるだけ 私にすれば 成長過程 失敗経験は己にとっては欠くことのできない成長のプロセスなのだと、なんとも心の強さを感じる、前向きでプラス志向の考え方ですね。
 
「迷ったら 困難な道 選ぶのだ 楽は後から 苦を先にせよ」 とあり、先苦後楽の教えです。
 
「困難は 解決策を 連れてくる 迷ったときは 困難選べ」といわれます。また、
 
「困難は 幸福の門 有り難い 禍い転じ 福となるのだ」 禍福は糾アザナえる縄ナワの如しとか、「人間万事塞翁が馬」(中国の故事)と言われ、何が禍で、何が福かは誰も予測ができないとの意味です。
 
「苦難には それと同じか それ以上 大きな恵み 含まれている」 目先では感じられませんが、時が過ぎれば感じられるものです。「あっ、あの時の体験で今の俺は作られたのだ」などです。
 
一般的に、苦難や災いは避けるものであって忌み嫌うものです。だがマイナスの裏には必ずプラスが同時に存在しています。つまり、苦難や災いは人生最良の師になり、艱難は世の中の経験を積んでない人々に対する良薬になるのです。だから昔から「楽は苦の種、苦は楽の種。若い時の苦労はお金で買ってでもせよ」と言われているのです。
 
「苦難避け 進んでいけば 楽だけど 先に天国 後には地獄」とも言われています。天国がずっと続けばラッキーで幸せでしょうが、後できっと地獄が待っているのだとの怖い教えです。意外に順境の時につまづきの芽が発生することや、もし運良く成功しても決して傲慢にならずに、常に謙虚であれと教えているのです。
 
さらに付け加えるなら、「人間は、楽な環境に身を置いている間は、決して成長することはない」とも言えます。補足をすれば、自分の能力を遥かに越えた能力が求められる環境に身を置いた時にこそ、初めて人間は成長するということなのです
 
必ずしも逆境であるとは言えないでしょうが、これは成長の第一条件になります。早速ご自分の現在の環境を振り返って見てみましょう。将来の自分の姿が見えてくるはずです。
 
もう一つの成長の第二条件は、覚悟」をして「決断」をすることです。これら二つの条件が揃えば、あなたは、将来飛躍的な成長を遂げることができるでしょう。逆に何の覚悟も決断もしない人であれば、残念ですが、いつまで経っても成長できないままで終わるでしょう。
 
だからリーダーやトップリーダーの方々が部下や相手の成長を望まれるならば、その人に覚悟をさせて、決断をさせることがポイントになるということです。その人に何をどのように覚悟させ、何をどのように決断させるかは、人によって凄く個人差がありますので難しいテーマになるでしょう。人間力か仕事力か経営力かその他のテーマかなどに分かれていくことでしょう。
 
将来ああなりたい、こうなりたいという願望だけでは、人は成長しないし実現することはないということです。「俺はこうするのだ」と腹を決めて決意した時に、世の中のものの見方や情報のキャッチの仕方など全てが違ってくるものなのです。その人自身の魂の中に成長の種が芽生えてくるのです。もしあなたがリーダーならば、「リーダーは願望ではなく決意しろ」ということになるでしょう。
 
人生は失敗すること、負けること、挫折すること、苦悩することが圧倒的に多いものです。それがあるからこそ我々は成長することができます。また強く逞しく生きていけるのです。
 
冒頭のベンジャミン・ディズレーリは自分の体験を通して、これらを逆境という一言の表現にまとめて教育を語っておられます。「逆境が最高の教育になるのです」と。彼は波乱万丈の人生を体験し、首相まで務めた人ですから、「人はどうすれば成長するのか?」を自分の体験を通して、また周囲のたくさんの人達の状況を観察しながら確信されていたのでしょう。私の考えや思想哲学と相共鳴する人物であります。
 
 
 
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【執筆者よりのご挨拶】
今年も1年間、お読みいただき誠にありがとうございました。来る2016年があなたにとって,良い年であります様に心からお祈り致します。どうか良い年をお迎えください。
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2016/01/30(Sat)

(No.352) リーダー成長論を龍の話し「乾為天」から学ぶ (1/5)

今回も引き続いて「易経」に学んでいきたいと思います。「易経」というと、占いの本というイメージを持たれる方が多いかもしれません。「四書五経」といわれる古典のうち最も古いこの「易経」は、簡単にいいますと「時と兆しの専門書」になります。
 
」とは何月何日ということではなく、(時間、タイミング) トコロ(環境、状況) イ(立場、人間関係)という三つの要素が三位一体となった「時」のことになります。天・地・人と言われる時間、空間、人間関係の三要素と言ってもよいかもしれません。
 
  「兆し」とは目には見えない本質的転換の兆候のことを指しています。この「兆し」は普通の人には分からなくても、国を治め、民を治めるリーダーはその「兆し」をしっかりと見極めて治世に当たらねばなりません。古来「易経」は君子の心得、また帝王学としても読み継がれてきました。
 
  この君子を今の時代に置き換えますと、国や地方のリーダーである政治家、会社のリーダーである経営者はもちろん、指導者層の方々や、その道のプロも当てはまると思います。飲食業の人ならば、たまたま入った店が「今はお客様が少ないが、この店はいずれはやる」とか、「今は話題になってはやっているが、恐らく一年以内には廃(スタ)れる」とか、その理由も含めて、その「兆し」を見極められてこそ本物のプロというものでしょう。
 
  しかし、この「兆し」はどうやって見極めたらよいのでしょうか。易には三つの意味があります。「変易」ヘンエキ(森羅万象すべて変化する) 「不易」フエキ(その変化の法則性は変わらない) 「易簡」イカン(変化の法則性を知れば天下の事象も分かりやすく応用するのも簡単である)この三つです。
 
 「君子占わず」という言葉があります。君子は占いに頼らないという意味ではなくて、「易経」をよく学んで変化の法則性を知れば、「兆し」を見極め、その時々において適切な判断や行動をとることができるという意味です。
 
  もう少し易の基本概念についての補足説明をしておきましょう。「易経」は 「吉凶」(キッキョウ)の概念に触れた最古の書物です。現代では占いや初詣のおみくじで「」が出ると良いことが起こり、「」が出ると悪いことが起こると考えられていますが、「易経」にはそんなことは一切書いてありません。
 
  少しばかり横道にそれて申し訳ありませんが、私達は一般的にほとんどの人が、おみくじの結果を見て「小吉だ、中吉だ、大吉だった」と一喜一憂いたします。近々生じるかも?知れない現象を、良いこと悪いことの大きさで小・中・大と判断しています。誰も不思議がったり悩んだりする人はあまり見かけませんよね。もう当たり前の習慣として日本の文化として浸透しているようであります。
 
  ここで、吉凶の本来の意味を申し上げますと、小は陰を、大は陽を、中は当たる、もしくは結ぶの意味を示しているだけなのです。大きさが小さい大きいという意味ではありません。もし小吉が出れば「陰徳を積まれた方が統一や含蓄に効果が発揮されていいですよ」となり、もし大吉ならば「陽的な活動をすれば発展分化が進みますよ」との意味になります。「何だそういうことだったのか、いい悪いではなかったのか」と初めて聞かれたなら、ほっとなさったかもしれませんね。
 
  残った中吉は少し難度が高くなりますが、とは「矛盾を総合統一して、新たな価値を限りなく創造していき、一段と進歩させる働き」の意味ですから「陰と陽を正しく活用して発展させてくださいね」となります。「右でもなく左でもない、程よい真ん中が良いですよ」の意味ではありません。このという概念は政治家や経営者に、ぜひとも必要な能力であり、それらのすべての方々に求められる力になります。学問的には中学といいます。
 
(次回に続きます)
 
 
 
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2016/02/06(Sat)

(No.353) リーダー成長論を龍の話し「乾為天」から学ぶ (2/5)

 前回は易の基本概念について述べてまいりました。まず吉凶の概念について触れ、小吉・中吉・大吉などの本来の意味について説明をしてまいりました。皆さんが驚かれるような内容だったのではと思います。

 

 吉凶の概念についてのまとめをしておきたいと思います。結論としてあるのは、「トオ亨らない」それだけであります。「亨る」(トオル)とは「物事が通じる、成り立つ」ということであり、「」になります。小吉も中吉も大吉もすべて「物事が通じる、成り立つ」ということであり、良いとか悪いとかではありません。

 

 反対に「物事が通じない、成り立たない」のは「」になります。そこで吉と凶の分岐点で分かれ道についてですが、「易経」では吉凶の間に「」(カイ)と「」(リン)の二つがあり、悔は吉に存し、吝は凶に存すなりと書いてあります。つまり「吉凶の分かれ道は悔吝(カイリン)にある」と述べてあります。あなた方が「悔」(カイ)と「吝」(リン)のどちらを選ぶかで道が分かれていきますよと教えているのです。

 

(この「吉凶悔吝」の詳細については当経営コラムNo118と 当経営コラムNo119をご参照下さい

 

どういうことかと言いますと。例えば小さな失敗をした時に、大いに後悔して改めれば大事には至りません。「」(カイ)のことです。「悔」とは後悔するの意味です。しかし「まあこのぐらいはいいや」と改善を惜しみ嫌がりますと、やがて考えもしなかった大事件へと発展していきます。「」(リン)のことです。「吝」とは惜しむ、ケチルという意味になります。企業でいうクレームが最も分かりやすい一例ではないかと思います。

 

今まで触れてきました吉凶以外の、もう一つの「易経」の根本概念は「陰陽」になります。大事なポイントは「陰と陽は別々のものではない」ということです。便宜的に陰陽に分けているだけで、この二つはもともと一つのものなのです。これを押さえておくと「易経」が理解しやすくなります。

 

一つのものに陰の面と陽の面があるという考え方です。マイナス・プラスの連想から、陰が悪くて陽が良いという考え方はいたしません。陽は陰によって陽の力を、陰は陽によって陰の力を発揮する。だから「陰陽が一つにならないと何も生まれない」と説いています。仮に世の中のものすべてを陰と陽に分けますと、天は陽で地は陰、男性が陽で女性は陰、経営者は陽で従業員は陰、明るい、賢い、強いは陽で、暗い、愚か、弱いは陰になります。その他にも、たくさんありますが省略させて下さい。

 

陰と陽は表裏一体であり、その両方がなければ物事は成り立ちません。男性だけ女性だけでは社会は成り立ちませんし、会社も経営者がいて従業員がいるから営んでいけます。人間もまた陰陽両方の気質を持っていて、時に合わせてどちらかが強くなったり、弱くなったりするものです。

 

また陰陽は転化をします。例えば母親と息子の場合、性別でみると息子が陽で母親が陰になりますが、親子としてみると母親が陽で息子は陰になります。このように視点や状況が変われば転化し、また陰と陽は常に対立し合って、また同時にお互いに相待って作用し、補完し合うことで変化が生じるのです。

 

物事はすべて、極めると質的転換が起こります。「吉凶悔吝(キッキョウカイリン)も常に変化し、最終的に吉が極まれば凶に転じ、凶が極まればやがて吉に転じます。人間は順境にあっても逆境にあっても、その状態は十年も二十年も続くわけもなく、必ず変ずるのです。必ず変化するからこそ、人間も社会も成長と発展があるのだといえるでしょう。

 

今まで「易経」の基本概念について触れてまいりました。吉凶の概念と陰陽の概念の二つについて説明をしてまいりました。次回から本題の「乾為天」(ケンイテン)の教えについて入っていきたいと思います。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/02/13(Sat)

(No.354) リーダー成長論を龍の話し「乾為天」から学ぶ (3/5)

今回から本題のテーマに入っていきたいと思います。「易経」には「乾為天」(ケンイテン)という教えに龍の話しがあります。この話しは全体系64編の中でも一番最初に出てくる教えになります。ご承知の通り、龍は架空の実在しない動物であり想像上の生き物になります。

 

その「乾為天」(ケンイテン)には、その龍が成長発展していく六つの段階が書いてあり、そのプロセスは君子が志を達成していく過程そのままに当てはめることができます。この「乾為天」は読むたびに新たな発見があり、我々に多くの示唆を与えてくれる内容であります。

 

もし、経営者や社長の方であられれば、自分の過去と比較しながら読まれると大きな気づきを得られることでしょうし、まだお若い方で中間管理職の方であれば、今後の成長発展に大いなるヒントになるであろうと思われます。

 

   ところで皆さんは、龍が描かれた絵画や掛け軸を御覧になられたことがあると思います。龍のそばには必ずが描かれています。龍には雲を呼び恵みの雨を降らせる能力があるのです。天からの雨を地が受けて、百花草木、生きとし生けるものはみな潤い、勢いよく育っていきます。陰陽が交わり新しい生命が生まれます。その象徴として龍を君子に例えて文章ができているのです。

 

この教えは、人間界においても陽の立場にある人、例えば政治家・経営者・指導者の方々などは、そういう役割を果たしていかなければならないのですよという教えなのです。しかし、すべての龍にその能力が備わっているわけではありません。最初はみな「潜龍」(センリュウ)からのスタートになります。一歩一歩成長の段階を進んでいくのです。では今から、龍の成長過程である六つのステップについてひとつずつみていきたいと思います。

 

第一ステップは「潜龍」(センリュウ)といいます。「潜龍なり、用うるなかれ」と書いてあります。将来、天を駆け巡る「飛龍」(ヒリュウ)になる素質はあっても、生まれたばかりの龍は地に潜んでいます。「用うるなかれ」とは、実力も経験もない「潜龍」の段階の者を重い役職につけてはならないし、今の自分自身を「潜龍」と思うなら、決して早成を急いではなりませんよと言っているのです。

 

しかしこの時期に、ただ寝て待っていろというわけではありません。ここでは将来に向けて「確乎不抜の志を立てる」ことが重要な仕事なのです。その志は野望や野心とは異なり、社会に大きく貢献するための高い目標のことです。この「潜龍」時代に掲げたの大きさ如何で、将来どんな働きをなせるか否かが決まっていくからなのです

 

「易経」には「すべては志から始まる」と何度も出てきます。「やはり人間は志を立てて、立志することが何よりもまず重要なのだ。ほかの一切は全てそれからだ」と約5000年も前から教えられていたのですね。驚くばかりです。

 現代流に言えば、「明確な目標を持って努力しなさい。その理由は目標が変われば、とり得る手段としての行動が変わってくるからです」とか「もしその人が、将来実現したい状態である目標が明確でないとすれば、現状に安住したままになり、目標と現状のギャップである問題が見えないままで進むことになりますよ。それでは問題意識が働きませんからリーダーや事業経営者であれば、あまりにも危険過ぎますよ」となるでしょう。

 大脳生理学的に言えば「思えば必ず実現する。だから目標が必要である」「思わなければ何も実現しない。だから目標やビジョンが必要である」となるでしょう。

 

 しかし「潜龍」時代は世間に認められるには、まだまだ時間が相当かかり、まったく相手にされない不遇の時期になります。つらい思い、悔しい思いをたくさんしますが、だからこそを強くできるとも言えます。また自分自身もまだまだ世間の物差しを知らないからこそ、どこまでも壮大な志を打ち立てることができるのも「潜龍」時代の大きな特徴になるでしょう。

 

誰に認められなくても自己が打ち立てた確乎不抜の志に従い、徳を積んでいきますと、その光は自然と地から漏れ出ていきます。するとその光を見出して地上へと引き上げてくれる存在が出現してきます。こうして「潜龍」は次のステップである「見龍」(ケンリュウ)へと成長していくのです。

 

「潜龍」の次の第二ステップは「見龍」(ケンリュウ)といいます。「見龍、田デンにあり。大人を見るに利ろし」と書かれています。「見龍」の「見」には地上に出て姿が見える、自分の視野が開ける、そして自分を見出してくれた人にまみえる(出会う)などと、色々な意味が含まれています。

 

見龍」の時期にすべきことは、大人(タイジン)に学ぶことです。その大人とは自分を見出してくれた人であり、学ぶとは「真似マネぶ」ことです。どんな分野でも最初は見様・見真似で覚えていきます。人を真似ることは恥ずかしいことではありません。ただひたすらに、大人を真似ることで基本や型を体得していく時代なのです

 

ではその見習うべき大人とはどのような人物なのでしょうか。「易経」では当たり前のことを当たり前にできて、正邪をわきまえる人と言っています。夢や志を想像していた地中から現実の世界へ出てきたばかりの「見龍」は、大人の言動をその目に焼き付けることで物事の正邪を学んでいきます。大人を真似ることで、あるべき倫理観を養っていく時代なのです。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/02/20(Sat)

(No.355) リーダー成長論を龍の話し「乾為天」から学ぶ (4/5)

将来、天駆ける「飛龍」(ヒリュウ)になれるかどうかは、スタートである「潜龍」のと、次の第三ステップである「君子終日乾乾す」(クンシ シュウジツ ケンケンス)の時代をどう過ごすかにかかっていると思われます。つまり「飛龍」への分かれ道になるかもしれない大事な時期にあたるのです。

 

この第三ステップでは「君子終日乾乾し、夕べに惕若(テキジャク)たり。危うけれども咎(トガ)なし」と書かれています。「」(ケン)は「易経」でいうところの天であり、陽を意味します。明るく積極的なイメージです。それを「乾乾」(ケンケン)と重ねているので、とにかく積極果敢に努力して物事を推進していく姿を表しています。惕若(テキジャク)とは恐れ震えて反省することを意味します。この第三ステップのことを簡単に略して「乾惕」(ケンテキ)の時代ともいいます。

 

 この「乾惕」(ケンテキ)の時代である第三ステップは大人(タイジン)から一歩離れて独り立ちし、第二ステップの「見龍」時代に身につけた基本や型を実践で生かし、応用力をつけていく時期になります。と言ってもやることは「見龍」時代と変わりません。さらに同じことを、積極果敢に高揚感を持って繰り返すのです。繰り返しに繰り返しを重ね継続し、それが極まった時に量から質への転換が起こり、そこで初めて独自性というオリジナリティーが出せるのです。マネジメント能力を身につけるのもこの時期になります。

 

 この「乾惕(ケンテキ)」の時代にマネジメント能力を養っておかないと、後で苦労します。アマチュアからプロになる変わり目、素人から専門家になる変わり目が「乾惕」(ケンテキ)の時代になります。

 

しかし基本が当たり前にできるようになるとマンネリ化し、小さな失敗やトラブルが起きやすくなります。そこで悔い改めればになり、反対に「まあこのくらいはいいや」と惰性に流されていけばになります。

 

そうならないために必要なのが、「夕べに惕若(テキジャク)たり」なのです。先述しましたように、惕若(テキジャク)とは恐れ震えて反省することですから、日が昇っている間は「乾乾」(ケンケン)と努力する反面、日が沈んだら心静かに「今日の自分はあれでよかったのだろうか?」と正しい恐怖心、健全な警戒心でもって反省をするのです。この反省を怠ってはいけないのです。

 

 またこの「乾惕」(ケンテキ)の時代は、同時に言葉を修める時期でもあります人は言葉により周囲の信頼を得て、どんな人物かを判断されます。将来リーダーやその道のプロになった時、自分の真意を周りの人々に簡潔明瞭かつ力強い言葉で伝えなければなりません。その素養を培う時期なのです。将来から見てもこの「乾惕」(ケンテキ)の時代はとても大事な時期になります。

 

 龍の六つの成長過程で一般的に最も長いのが、この「乾惕」(ケンテキ)つまり「君子終日乾乾す」の時代になります。「易経」にはとは世間に押し流され、常に変容し、しぼみやすいものであるとはっきりと書かれてあります。ひたすらに同じことを繰り返すこの時期、多くの人は飽きたり手を抜いたりして「こんなものでいいや、努力はやーめた」と志を忘れてしまいがちなのです。昔も今も人間はちっとも変わっていないのです。

 

日々「乾乾」(ケンケン)と努力を重ね、自己反省を怠らず、第一ステップの「潜龍」の時代に打ち立てたをさらに強くした者のみが、次の「躍龍」(ヤクリュウ)の段階(第四ステップ)へと進んで行くのです。

 

この第四ステップは「躍龍」(ヤクリュウ)といいます。「あるいは躍オドりて淵にあり。咎なし」と書かれています。さあ、いよいよ大空へ飛び立とうとする「飛龍」(ヒリュウ)の直前の段階で、あとはその機をつかむばかりの「躍龍」の時代です

 

あるいは躍りて淵にあり」とは、ある時は躍り上がったり、またある時は第一ステップの「潜龍」時代に潜んでいた深淵に戻ってみたりして、躍動感がある反面、まだ一定でない、不安定であることを意味しています。淵に戻って「潜龍」の志を確認し、第二ステップの「見龍」の基本を思い出し、第三ステップである前段階の「君子終日乾乾す」の時代で身につけた技やオリジナリティーを復習して大空へ飛び立つシミュレーションをしている段階になります。

 

いつ大空へ飛び立つのか、その兆しを捉え、見誤らないことが一番大事になりますとはいっても「躍龍」(ヤクリュウ)の時代には思いがけない偶然が必然のごとく起きてきます。必要な人や情報が向こうからやってくるなど、とにかく不思議な出会いが続いていきます。ジグゾーパズルで足りなかったパーツが自然と埋まっていくように、「飛龍」(ヒリュウ)になるべくすべてが自然に用意されていくのです。

 

ですから「自分はまだまだ飛龍には時期尚早です」といっても無理な話なのです。機が熟すれば風に押し出されるようにして「飛龍」へと変化します。逆に「早く飛龍になりたい」と躍起になったところで、時中(シンクロニシティ)が働いて時がピタッと合わなければ、これもまた無理なのです。下手に動くと取り返しのつかない失敗へと繋がりますので、兆しや機を観る目をしっかりと養うことが「躍龍」時代に身につけるべきことになります

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/02/27(Sat)

(No.356) リーダー成長論を龍の話し「乾為天」から学ぶ (5/5)

いよいよ第五ステップに入りました。天駆け、慈雨を降らす「飛龍」(ヒリュウ)の段階へと成長してきました。スタートの「潜龍」時代から抱いてきたを達成し、これまで身につけてきた能力を発揮して社会に貢献していく時代になります

 

飛龍天にあり。大人を見るに利ろしと書いてあります。龍の傍らには必ず雲があると先述いたしましたが、「飛龍」になれば雲だけではなく、いいことも悪いこともどんどん集まって、それがすべていい方向に転じる勢いがあります。

 

陰陽でみますと、第一ステップの「潜龍」から段階を経るごとに陽は強まり、第五ステップの「飛龍」(ヒリュウ)になると陽はさらに強まります。物事は極まり過ぎると質的転換が起こるとは先に述べました。従って「飛龍」の時期は、陽が極まっていく時期なので、あえて自ら陰を生み出すように努めなければなりません

 

 そこで「大人を見るに利ろし」が必要になるのです。ここでいう大人(タイジン)とは、「見龍」の時の大人とは異なり、自分以外の人、物、事、すべてということになります。つまり「自分以外のすべての人の言動や、あり様から学び、じっくりと意見に耳を傾けなさい」といっているのです。私がよく口にしますが、「人みな我が師である」ということです。

 

 「教える・話す」行為は陽であり、「学ぶ・聞く」行為は陰になります。その人は「飛龍」になれるほど抜きんでた実力の持ち主でありますから、それだからこそ、あえて他者に学び、人の話をよく聞いて絶えず自ら陰を生み出すことが求められるのです

 

 同時に第一ステップの「潜龍」時代に打ち立てたを決して忘れないことが大切になります。志を忘れた時、人は欲望へ身を任せるようになります。また、「飛龍」のステップにいても新しいことに挑戦すると、その場では「潜龍」になります。例えば会社の社長であっても、新規事業を始めればその業界では「潜龍」、何かお稽古事を習い始めれば、その道では「潜龍」なのです。

 

 私のことで恐縮ですが、私は自己を戒めるために、「今はまだまだ潜龍だ」「今年も潜龍元年だぞ」と常に意識するように心がけております。人間という生き物は、一人前と思ったら、その瞬間に成長は止まってしまうからです。

 

しかし、努力を怠って自ら陰を生み出せずに、陽を極めた「飛龍」は一転して「亢龍」(コウリュウ)となって行きます。いよいよ最後の第六ステップまて進んできました。第六ステップは「亢龍」(コウリュウ)の時代であり「亢龍悔いあり」と書いてあります。とは驕り高ぶるとの意味になります。

 

志ではなく欲望に身を任せ、人の意見も聞かずにひとり天高く昇っていった「飛龍」には、もはやいつも付き添っていた雲もついてはいきません。雲を呼び、雨を降らせる能力があるからこそ「飛龍」なのです。雲を呼べなくなったら、「亢龍」(コウリュウ)となって凋落していくしかありません。(クダ)り龍と呼ばれます。

 

しかし例えてみれば、青信号が突然赤信号に変わることはありません。必ず点滅したり黄色信号になったりして危険を知らせているはずです。にもかかわらず、その兆しに気づかなかったふりをして「これくらいなら大丈夫だろう」と改善を惜しんだからこそ「亢龍」(コウリュウ)になってしまったのです。「吉凶悔吝(キッキョウカイリン)の話を思い出して下さい。「」(リン)を続けたからこそ「亢龍」(コウリュウ)に凋落して落ちていくだけの龍になってしまったのです。

 

では、一度「亢龍」(コウリュウ)になった龍は、もう二度と空へは飛び立てないのでしょうか?「亢龍悔いあり」と言っていますが、「亢龍」(コウリュウ)になって初めて「いままで俺は間違っていたのか・・・」と本当に悔い改めたとしたらどうなのでしょうか。

 ここで再び「吉凶悔吝」の話を思い出して下さい。「」(カイ)はに存します。一度地に落ちた「亢龍」(コウリュウ)も、とことん悔い改めることでもう一度新しい別の吉へ、ゆっくりと転換していくことができるのです。時間はかかりますが可能です。そう聞くとホットいたしますね。

 

この様に「易」は決して行き詰ることがありません。どんなに追い込まれても必ず道は開けていくと教えています。この乾為天」(ケンイテン)を読まれて皆さんはどんな感想をお持ちでしょうか?あなたは、今どのステップの段階におられますでしょうか?振り返って見られてはいかがでしょうか。

 

 一般に会社における位は、下からいえば平社員、係長課長、部長、取締役・重役、社長・会長、相談役・顧問になるでしょう。「君子終日乾乾」の段階は会社の中では第三ステップの部長クラスになります。まだ経営陣には入っていません。経営陣と従業員層の中間的な立場であり双方の仲介をする役割を担っています。第四ステップは「躍龍」の時代で、取締役・重役であり経営陣に入るでしょう。社長であれば第五ステップの「飛龍」になります。大いに慈雨を降らせて社員を養っておられることでしょう。地域社会にもきっと貢献なさっておられるはずであります。

 

  「飛龍」の時期は、陽が極まっていく時期でありますから、「あえて自ら陰を生み出すように努めなければなりません」と述べました。またその人は「飛龍」になれるほど抜きんでた実力の持ち主でありますから「あえて他者に学び、人の話をよく聞いて、絶えず自ら陰を生み出すことが求められます」とも述べました。自戒の言葉がちゃんと備えてあるのです

 

 つまり自分以外のすべての人の言動や、あり様から学び、じっくりと意見に耳を傾けなさい、といっているのです。傾聴・拝聴です。「黄金の耳」をもったリーダーということでしょう。「人みな我が師である」という姿勢が基本であり、実践が大事であるということでしょう。

 

 自分以外の人、物、事、すべてに耳を傾けなさいということになりますでしょう。「亢龍」(コウリュウ)のステップに上り詰めても「亢龍悔いあり」で、降(クダ)り龍が待っております。くれぐれも「亢龍悔いあり」に落ち込まないように、日頃のご注意を心がけて頂きたいと存じます。

 



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