• プロフィール

    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

  • 検索フォーム

  • QRコード

    QRコード
  • FC2カウンター


2010/07/03(Sat)

(No.61) 苦が大きい程、人は成長して行く

 苦しみが大きければ大きい程、人は成長し進化していきます。困難が多い程、人間は成長できます。納得のいかない苦しみが自分を磨いてくれます。

 古い教えには、「艱難辛苦(かんなんしんく)、汝を玉にす」、「逆境は神の恩寵的試練である」と残っています。
 
 災いは人生最良の師。艱難は世の経験を積んでない人に対する良薬である。楽は苦の種、苦は楽の種。若い時の苦労はお金で買ってでもせよ。どんなプロでも、どん底の時がある。底まで沈めばもう落ちない。底をけってバネにして浮上できる、と教えています。

 「人物修練の基本は、人生の艱難辛苦、喜怒哀楽、利害得失、栄枯盛衰そういう人生の事実、生活を勇敢に体験すること」と安岡正篤師も述べておられます。

 苦境逆境の時、喜ぶことができる人、幸せを感じる人、感謝できる人、この人を“上級者”といいます。自己にふりかかる全ての事象を、絶対必要、絶対必然、絶対最善と思える人です。上級者と呼ばれる強い精神、心を持った人間になりたいものです。

 苦悩感なくして幸福感はない。窮乏があって満足がある。苦痛があって平安がある。塩はなめてみないとわからない。体験の大切さで、頭ではありません。満腹感の者に食事のありがたさはわかりません。

 「敗事は多く得意の時により、成功は常に苦心の日に在る」これは、順境の時につまづきの芽があること、逆境に陥っても心掛け次第で、それを成功への転機にできることを説いています。

 「天が重要な任務をこの人に与えようとする時は、必ずまず、その人の心を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、肉体を飢えしめ、その仕事を失敗させてその意図を食い違う様にする」とあります。これは天が、その人を発奮させて、性格的に辛抱強くさせ、今までできなかったことをできる様にするための試練を課しているのであると解釈できます。

 そもそも、人間は物事に失敗して行き詰まって初めて悔い改めるものであり、心に苦しみ、思案にあまって悩み抜いてこそ、初めて発奮し立ち上がるものであります。その煩悶(はんもん)や苦悩が顔に出、うめき声を出すようになって初めて心に悟るものがあるのです。

 人生は思うようにばかり行かないもので、得意絶頂から失望落胆や失意どん底、つまづき、挫折など様々な想定外の出来事やアクシデントが起こるのも人生であります。一難さってまた一難。山また山の連続です。

 順風満帆で常に順調であるに越したことはありませんが、易経には「亢龍悔いあり」との教えがあり、天に高くのぼりつめた龍や栄達を極めた者は、もはや昇り得る道もなく、衰えるおそれがあるから慎んで生活しなさいと戒めています。どんなに順でもいつかは衰退が待っている、夏はいつまでも続かないから、「夏にいて冬を忘れず」と教えています。

 最後に、私たちのまわりには、まだまだ不況の嵐が吹きまくってますが、いつまでも続くことはないでしょう。終りのない不況はなく不況の次は好況が待っています。循環しているのです。

 ピンチの時は辛いでしょうが、大チャンスと考えて下さい。考え方、とらえ方一つなのです。安逸を貪っていると知恵は退化していきます。とても困った時に本当の知恵と勇気が湧いてくるのです
 
 努力という畑に辛抱という棒を立てて下さい。その棒にきっと花が咲くことでしょう。“努力”だけではだめで、もう一つ“辛抱”という言葉を自分の力に加えてみては如何でしょうか。

[補足]
 
 努力とは、ある目標や目的を達成するために途中で休んだり、怠けたりせずに持てる力の全てを傾けることです。辛抱とは、環境の苦しさに押し流されないで向上心を持ち続けることです。
Home | Category : 人間学 |  コメントアイコン Comment0  |  Trackback
2010/07/10(Sat)

(No.62) 人間は深い部分でつながって生きている

 「自分さえ自社さえ成功すれば」「自分さえ自社さえ幸せになれれば」「自分さえ自社さえ生き残れば」そう思って働きバチの如く努力して突き進んだ結果、手にしたのは空しさだけだった、果ては会社は過去のものとなったという話はよく耳にします。

 人はまた会社はなぜ自分の自社の幸せのみを追い求めるだけでは幸せになれないのでしょうか?

 その答えは?自分だけよければとの考えは真理に反するからであります。また、私達人間は一見バラバラに存在している様に見えても、樹木でいえばそれぞれの枝が一本の幹でつながっている様に、全ての人達は深い部分でつながっている、深い部分でお互いに結びついて生きているからです。

 お互いに支えあって生きているのです。相互に依存し関係を保ちながら生かされている存在なのです。その様にして広い世界、広い社会は成り立っているのです。ヒトとヒトの間で生きているから“人間”というのです

 ヒトは一人では生きていけない存在なのです。いや俺は一人の力で生きている、自社の力だけで生きているなんて考えている人は、残念ですが、視野がせまく世間にうとく、まだまだ表面的な考え方しか出来ない人なのです。人間観、人生観、世界観が深く醸成されていないからです。

 この世の中は、一見弱肉強食の醜い様相を示しています。多くの人達は自己中心主義で「自分さえ成功すれば」「自分さえ楽な生活ができれば」と目の前の欲望に翻弄されて毎日を送り二度とない人生を終えていきます。人生は一回きり、人間は死亡率100%の生き物なのです。

 しかし、はかない存在のように思えても、その根底は大宇宙につながり一つの命を分かち合って生きる存在であることを忘れてはいけません。微生物、植物、動物、人間で形成している生態ピラミッドを認識するだけでも人間観、人生観が広がります。

 そのことを知り「大河の一滴で差し支えない」「宇宙の一微粒子の存在で良い」「宇宙の片隅のチリの一つに過ぎない」と満足するところに幸せを掴むヒントがあるのです。知足(足るを知ること)といって無いものを数えず、あるものだけを数えて満足する意です。

 生かされた命に感謝して、お互いに助け合って、支えあって生きていく。相互依存状態で生きていく(当コラムNo39と関連)。今の厳しい時代は、そのことを学ぶ大切な機会なのではないかと思う今日この頃であります。

 自他を区別しない精神的な面での渾然一体感を教え、また自他は現象としては違うが、根源においては一つであり相互に依存し合っていることを示している、「自他一如(じたいちにょ)」の言葉が今こそ生かされるべき時代が到来しているんだと感じています。

 人類にとって経済的一面では厳しくつらい時ですが反面、精神的一面では、絶対必然であり、絶対最善でベストであるのかなぁ、天が人類に何かを気づかせようとしているのかなぁと思ったりしております。(当コラム№32と関連)
 
 もち論不況を早く脱出して好況に転ずるのを心から期待している者の一人であります。

Home | Category : 人間学 |  コメントアイコン Comment0  |  Trackback
2010/07/17(Sat)

(No.63) 「人間的魅力」を高めると「仕事力」もアップする

 現代は小手先の技術やテクニックに走り過ぎ求め過ぎだと思われます。本と末で分ければ、末ばかり追いかけて生きているのを感じています。

 学校では試験の成績や偏差値を上げることに目の色を変え、何か資格さえ取っておけば就職もすんなりできるだろう、また、与えられた仕事もスムーズにできるだろうと思っている様です。町の本屋さんには、ハウツウの実用書がずらりと並べられてます。選択するのも大変だろうと思います。

 もち論、知識・技術・資格・方法論も大切であります。しかし、どんなに立派な知識・技術・テクニック・資格を身に付けても、その人自身が人間として立派でなかったら絶対に良い仕事はできないのです。(当コラム№21参照)

 「あの人は有名大学をトップで卒業したすごい秀才だが、人間的には最低な人」などと言われると、せっかく首席で卒業した価値が出てきません。知識や技術を否定する訳ではありません。それ以上に大事なことは、人間性や人格を高めることです。「人間力」と表現してもよいと思います。「人間力」とは、即ち「人間的魅力」のことであります。

 では、人間としての魅力は、どうしたら高めることができるのでしょうか?それは極めて簡単なことであります。少し考えてみましょう。

 まず嫌われる人とはどんな人なのでしょうか?それは、自分のことしか、目先しか、損得しか考えない人です。
 
 逆に魅力のある人とはどんな人なのでしょうか?それは、世のため人のため、みんなのためにと思って、周りにいつも関心を持ち、周りに対して思いやりの心を持って行動できる人です

 では、次に人間的にみて最低と思われる人、全く信用できない人とはどのような人なのでしょうか?私見として述べますと、それは、嘘をつく人、約束を守らない人、礼節をわきまえない人、お礼を言わなかったり挨拶をきちんとしない人、人をだます人、人の悪口ばかり言いふらす人、人の意見を聞かない人、聞く耳を持たない人、不満ばかり愚痴ばかりを言う人、人を褒めない人、全てを否定し少しでも肯定しない人、要領のうまい人、策ばかり弄する人、損得ばかりの人、まだまだあるかも知れませんね。

 前述しました、周りに関心を持ち、周りの人達のために、すぐに行動を起こせる人間は魅力的な人です。
「私には関係ない」と思って行動しない人は、自分のことしか頭にない人で、魅力ある人とは言えません。

 「人間力」や「人間的魅力」を高める基本は、みんなのためにと考えて、周りに関心を持ち、みんなのために惜しげもなく行動を起こせる人になることです

 実はこの基本がひいては、「」の出発点になるのです。「志」の原点は、みんなの利益のために(利他)という考え方です。自己の利益を大きくしようという考え方(利己)は、分からないではありませんが、本来の「志」ではなく、それは私利私欲にすぎないのです。

 自分だけの成功を願い思うだけでは「志」とは言えないのです。周りや地域社会全体が良くならなければ、業界全体が良くならなければ、日本全体がひいては地球全体が良くならなければいけないのです。これが「志」の原点になるのです。

 「志」の原点は、繰り返しますが、「人間的魅力」を高める基本と同じで、みんなのためにという心ではないかと思います。利他性を追求する心ざしのことなのです

 自分に「人間的魅力」がなければ、どんなに熱心に働いても成果は上がりません。「仕事力」がアップしないのです

 具体例で説明しますと、営業の世界では、「人間的魅力」のない営業マンは嫌われます。自分の利益しか考えない、自分のノルマ達成しか考えない営業マンは、朝から晩まで歩いても、熱心に歩けば歩くほど、お客様からは、「うるさいなぁ、しつこいなぁ」と嫌われます。店舗販売での接客でも同じことが言えるのです。

 逆に、お客様に行けば行くほど成果が上がるのは、魅力的な人です。どういう人が喜ばれるかというと、相手の利益に熱心な営業マンです。熱心であればあるほど、評価されます。

 まさに人間としての魅力を高めながら歩けば、その魅力は人を呼び、人を引き付けるのです。魅力がない状態だと磁石の磁力と同じで引き付ける、引き寄せる力が弱いのです。よって成果につながらないのです。

 心当たりがあられる経営者も多いことと思います。経営や事業や商売や営業活動において、基本中の基本の姿勢で最低必要条件であります。明日からでも、意識転換を図られ実務で活用なさって下さい。

 最後に、今の世の中は本と末が転倒し逆さになっています。「人のことは関係ない。自分さえ良ければ良い」この考え方が蔓延しています。「人間は自分さえ、目先さえ良ければ良いとなったら、必ず行き詰まります」(当コラム№15参照)この真理をついた言葉の重みをつくづく感じております。

 世の中を憂えているのは私一人なのでしょうか?今後も警鐘を鳴らし続けようと思います。

Home | Category : 人間学 |  コメントアイコン Comment0  |  Trackback
2010/07/23(Fri)

(No.64) 確乎不抜の志を打ち立てる (易経より)

 潜龍(せんりゅう)の時代は内面的な蓄積をする時なのです。潜龍・・・・社長職を継承なされてまだ日が浅い方、または将来、社長職を継承なさる二代目三代目の若い時代。もしくは、今は平社員で、幹部でもない人だが、将来起業して社長になる人を潜龍に例えました。まだ水面下にもぐっていて頭が出ていない状態の人の例えです。

 同時に潜龍の時代とは、静かに将来を思い考える時代です。思うこと、研究すること、思索することは静かな時でないとできません。認められ、出世して、高い地位(社長や役員)につけばつくほどに忙しくなっていき、勉強する時間がさほどありません。
 
 だから、まずはとにかく力を蓄えるのです。蔵するのです。将来、飛龍(名実ともに社長)として、どの様な大きな循環を起こすか、大勢の人をいかにして順調に養って行くかを夢見ながら静かに思う時なのです。
 
 従って、潜龍の時代は修養の時、修行の時、器量を付け度量としての徳を身に蓄える時、大いなる志・“確乎不抜の志”を打ち立てる時なのです

 その様な時に早成を願って事を構えたら、失敗するのが当たり前、恥をかくだけではありません。二度と立ち上がれない程の痛手を受ける場合もあります。焦ってはいけません。
 
 この潜龍の時代を大抵の人は嫌います。でも実は飛龍(名実ともに社長)になった時のスケールは、その深さも厚みも潜龍の時代に、かなりの部分が決まるのです。
 
 いかに“確乎不抜の志”が大切であり、また将来にまで影響するかということであります。人は促成栽培ができないのです。「社長になってからで間に合うさ」では遅すぎるのです。その様な方は人の数倍の努力と時間が必要になります。

 また、逆に、潜龍の時代に志を立てていても、その志が正しくなければ、例えば自己中心、損得中心、目先のみ、私欲のみなど利他性の欠如であれば、どんなに成功しようとも、全ての行いは空しいものです。永続は難しいのです。
 
 ですから潜龍の時代は、目立たず下積みの仕事が多く、大勢の人は嫌がりますが、実は誠に大切で重要な時なのであります。
 
 今から約5000年前の中国古典の「易経」には、「すべては“志”からはじまる」と何度も書かれています。
「志」とは、仕事や経営や人生を左右するほど、影響が大きい重要なキーワードであります。(当コラム№23 と №31参照)

 「」の字の説明をします。十の心を一つにするの意味があります。十とは沢山の大勢の人々ということです。沢山の人々の心を一つにまとめ、引っ張っていくという意味で、トップやリーダー・社長という地位にある人を指した言葉でもあります。「志」とはトップを務めるための必須の条件の一つでもあります。

 私事で恐縮ですが、還暦を過ぎても、まだまだ半人前で修養中の身で、「いつも潜龍元年。今が潜龍元年」と自戒しております。

Home | Category : 人間学 |  コメントアイコン Comment0  |  Trackback
2010/07/31(Sat)

(No.65) 「徳」には見えないパワーが潜んでいる

 古典には「」という字が何度も何度も出てきます。「君子の徳」とか「徳の修養」という言葉があります。「徳の修養」といったら、「徳を修める。徳を養う」の意ですが、「徳って何ですか?」と改めて聞かれると、ちょっと話しづらくなってしまいます。

 当経営コラム№3で、人間最高の目標は「徳」を養うことである孔子)との、言葉を紹介致しました。また、「徳」の意味することを、次のように説明致しました。

 ①修養によって身に付けた善行など人間の良い行いのもととなるもの。
 ②人格が優れ行いが良いこと。
 ③良い行いができる性格、身についた品格。
 ④人を感化する人格の力。
今回は、その続きを述べてみることにします。

 この「徳」の字は、「行い」+「直(まっすぐ)な心」で必ず実行が伴うという意味になります。「直」の字は「真(ま)っ直(す)ぐ」と「目」が合わさった字に、「衝立」を付けたものです。「衝立に隠されているものを真っ直ぐに見る」という意味があります。

 真っ直ぐに見ることによって見抜く、心の眼で見る。そこから「洞察力」という意味も出てきました。ものの本質・力・方向性を「洞察力」で察知する、要するに「徳」という字そのものが「パワー」とか「」という意味を持つようになりました。この「洞察力」は、経営者にとって必須の力と言われています。

 話は転じて、「下(した)観(み)て化するなり」の言葉があります。観に「示す」、「見られている」という意味があります。どの様なことか事例で説明します。

 ある会社の業績が低迷しておりました。そこで社長が本当に一所懸命になって、「地域社会のため、お客様のため、従業員のために喜んでもらえるだけの商品を作ろう、提供しよう、そういう会社にしよう」と、誠心誠意努力をされました。すると「下」の部下や従業員はそれを見て良い方へ変化した(化けた)という事例です。部下や人が変化するのは知識や技術・テクニック・策を弄することではないのです。

 口で、どんなに綺麗ごとを並べても、行動が伴わなければバレてしまうものです。まして部下は変化などしないものです。
何も言わなくても、働く姿やその背中に誠(「徳」)は表われるものなのです。前述の「徳」のもつ「パワーや力」が影響力を発動するのです。

 この様に本当の誠(社長の「徳」)を見ることによって、社員は感動して理屈抜きで心が通じるのです。そして知らず知らずのうちに化けていくというのが、「下観て化するなり」の説明です。

 企業は社長の人間性でほとんど決まります。事例の会社は結果として必然ですが、業績が回復し成長発展を続けておられます。

 どうか参考になさり、「徳」の実践をなさることをお薦め致します。

Home | Category : 人間学 |  コメントアイコン Comment0  |  Trackback
Home Home | Top Top