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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2010/12/04(Sat)

(No.83) 社長の人間観である経営姿勢と経営観を確立させよう (3/3)

 「利他と喜他が最高の哲学である」と“信念化”が出来たあかつきには、次の事を実践なさって下さい。
 
 社長から社員末端に至るまで、「どうすれば自分の仕事を通して、お客様に“満足感”や“心地良さ”を与えられるか?」を考えれば、次から次へと良い考えやアイデアが生まれてきます。

 その前提として、社長自身が「心地良い」状態にいること、また、社員も「心地良い」状態にいることが大事であり怒ったりイライラの状態では決していけません。心はいつも、静かであることが大切です。特に上に立つ者が、感情的になったり心がグラグラ揺れていたら周りが動揺します。だから、どっしりと構え何があっても動じない様にコントロールすることが求められます。

 また逆に、社長に悩み、心配事、資金繰り難、受注売上の心配、赤字の連続、トラブルの連続、経営陣の不仲、夫婦の不仲、親子兄弟の喧嘩、不仲や争い等では、「心地良い」状態ではありません。

 この様な状態では、何をやってもうまくいかず、成長どころか発展など絶対に望めないものです。心の状態、精神的状態が経営にも大いに繋がっていることは、現代科学でも実証されております。
 「生は心一つの置きどころ」とはよく言ったものだと思います。

 では社員の「心地良い」状態とは、どうすれば良いのでしょうか?それは、社員に明確な目標を与え、適度な緊張感を感じさせると同時に、伸び伸びとして、明るく積極的な社風や組織風土(当コラム№66~70参照)を築くことが必要です。
 
 具体的には、「こうでなければならない」ではなく、「こうしようではないか。こんな風にしよう」という働きかけが大切でしょう。押しつけはダメであります。それでは、各自が自分で考えなくなってしまうからであります。

 今回のテーマは、社長の経営姿勢と経営観という経営の本質に触れるテーマであります。社長の人間性と人間観に直結する重大かつ重要な視点でもありました。

 最後にまとめとして、人間観とは、十人十色で百人百様であります。有限である肉体は滅んでも、精神や思想や哲学は無形なるが故に永遠の命をもつものであります。
 
 人間は有限だが企業体とは(つぶれる事もありますが)本質は無限であります。企業を永続させる最大のキーポイントは、社長の経営姿勢と経営観であることを忘れないで頂きたいと存じます。
 
 どなたも永続を望まれて経営されているはずであります。目先を離れて遠くを計ることであります。

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2010/12/11(Sat)

(No.84) 人は何のために働くのか? (1/2)

 人は何のために働くのでしょうか? また、働く目的をどこに求めたらよいのでしょうか?
それにはいろんな考え方があるでしょう。
 
 食べるため、生活の糧を得るのに収入が必要なため、親の事業を継ぎ会社を存続させるため、他人が就職しているので自分も仕方なく働いている、人生の生き甲斐を見つけるために、自分の自己実現の欲求を達成するために等と十人十色の回答が得られると思います。

 一般的に考えますと、人はある程度の年令になると職を持ち、それから以降の人生の大半を働いて過ごしていきます。もしも、働くことに価値観や意義や幸福感を感じられなければ「自分の人生とは一体何なのか?何のために私は働いているのか?」という不安や疑問が一生ついて回る様に思われます。
 
 その点で仕事とは人生そのものであるといっても過言ではないと思います。仕事に生き甲斐や価値や意義を見出せなければ、人生の意味がほとんど薄れていくのではとさえ思われます。
 
 以前に、当経営コラム№28(仕事をする際の心構え)でふれましたが、仕事と人生は別ものではなく、一対で一体で切り離すことができないものです。充実した仕事が充実した人生を作るのだと考えられます。

 「人生の目的は、仕事を通して魂を磨くこと、心を高めること」「くことが人間性を深め、人格を高くする。働くことは人間を磨くこと、魂を磨くことだ」と、稲盛和夫氏も教訓を述べておられます。自己の人格的な成長は働くことによって得られるのですと教えられています。
 
 また、中村天風氏は、「人間はこの世の中の進化と向上を実現化すという使命をもって生まれてきたのだ。この使命の遂行こそ働くという行為であり、人間本来の眼目である。この様な使命の遂行観に基づく自己実現の実感こそが生き甲斐なのだ」と述べられています。
 
 天風氏の自己実現とは、与えられた使命を仕事を通して達成することの意味であり、昨今言われている自己実現とは意味が異なっています。仕事の目的として、今よく使われている自己実現とは、むしろ個人の夢を達成するものであり、天風氏の様に深い使命観に基づいたものではないと思われます。
 
 また、生活の糧という目的は、現在2度目の就職氷河期であるため、ある面は仕方がないとは思いますが本来の目的とは異なるもので最低限のものと言っても良いと思います。

 本テーマである「人は何のために働くのか?」と問われた時、米国では「価値バリューを上げるために働く」という答えが多い様です。彼等は働き、経験を積んで知識や技術、スキルを増やすことで、自分の価値が上がっていくという考え方をするのです。

 そして価値が上がると、次々と転職をします。転職をすることで自分の年収がどれだけ増えるか、また年収を増やすために転職を重ねるのです。
 
 エリートビジネスマンであれば、退職するまでに約10億円を貯金することを目的目標とします。これが彼等の基本的な発想なのです。
 
 そこには天命や使命に従って働くという考え方は全くありません。それよりも、リタイアした後の人生をいかに楽しむかが彼等にとっては大きな目的なのです。俗に言うアメリカンドリームであります。

 (次回に続きます)
 
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2010/12/18(Sat)

(No.85) 人は何のために働くのか? (2/2)

 ところが、2008年9月の大手証券会社リーマンブラザーズの破綻によって、金融界にパニックが生じ他の産業にも多大なショックが走り影響が大きすぎて、国全体の経済や政治や米国民の心理がガラッと変わってしまいました。
 
 そのリーマンショック以降アメリカンドリームと呼ばれていた思潮がどんどん遠ざかり、夢のまた夢という概念に落ち込んでしまいました。

 人生とは、目標や思いが狙い通りにはいかないものなのですね。万国どこにいても共通の様です。どんな人生を生きるかは人それぞれです。だから、米国の仕事観や価値観を一概に否定する訳では決してありません。
 
 が、彼等が求め続けた自己実現の思いがこうした結果に至るのであれば、あまりにも寂しい心境になるのは仕方ないことなのでしょうか。

 東洋思想では、仕事とは天命や使命に従って働くことだと考えています。若い方々には理解して頂くことは難しいかもしれませんが・・・・。
 
 仕事という字は、「」も「」も、「つかえる」と読みます。誰に仕えるのかといえば天につかえるのです。天につかえ、天の命に従って働くというのが、東洋に古来からある考え方なのです。
 
 かっては、働きに出ることを「奉公に出る」と言いました。「公に奉ずる、公に仕える」という意味です。西洋には全くと言っていい程、見当たりません。仕事そのものの中に、生き甲斐や働き甲斐を見出していこうという考え方は、どうも東洋独自のもののようです。

 米国では理想や目標をもち、それを達成して行こうという意志はあります。しかし、それは必ずしも公のためにやっている訳ではありません。むしろ自己実現という言葉の通り、「自分のため」の理想なのです。私利私欲に基づいた自己中心主義なのです。
 
 もち論、アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)、ビルゲイツ(マイクロソフト創業者)、ウォーレン・バフェット(著名投資家)等々、世のため人のためになる慈善事業を行っている人々も存在します。
 
 が、必ずしも仕事の中で実現しようという姿勢ではありません。むしろ仕事の中では、お金を稼ぐことに徹し、世のため人のためになる事業はリタイアしてからやるという考え方なのです。これは仕事そのものの中に、世の中の発展に尽くすという考え方がある日本とは、明らかに異なっています。米国と日本では仕事に対する目的や価値観が異なっているのです。

 現在の日本の経営観を眺めてみますと、米国流の考え方や発想が、日本人の経営観や仕事観の中にかなり浸透しているものと考えられます。戦後の歴史を振り返ってみますと、65年の間に米国流のマネジメントを学び真似したために仕方のないことだったし、また当然の結果であると推測されます。

 しかしながら、将来にわたって、このまま米国流の仕事観に基づいて仕事を進めていくのが果たして、日本人にとって良いことなのかどうかが気になる点であります。
 
 米国の状況を観察すれば一目瞭然ですが、米国では仕事についていけない人、脱落してしまう人がどんどん出て来ています。それと同じ様に、日本でも格差が生じて、ニート、フリーター、非正規社員が増加し、米国と同じ様な状況を呈しています。困ったものであります。

 最後に、仕事そのものに対する考え方が、今後も米国流、西欧流になればなる程、こういう人達が増えて行くのは必然なのだと思えることです。数十年後の日本の国の姿が見える様です。
 
 それを日本人は受け入れる覚悟があるのかどうかが、今まさに我々全員に問われている点であると私は危惧致しております。

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2010/12/25(Sat)

(No.86) 真の謙虚さとは何か?(易経 地山謙に学ぶ)

 私たちは、傲慢で高慢な人を嫌います。人間として好きにはなれません。傲り高ぶり、自分の意思ですべてが決まると豪語し、権力や地位を振り回し人のアドバイスや周りの意見も聴く耳を持たない人のイメージです。反対に謙虚な人には、人間的魅力を感じ引かれるものです。
 
 しかし、世の中には、謙虚であれば必ず好かれてすべてが通る、悪いことはないと教えられて、本当はとても傲慢なのに謙虚なふりをする人も多いのではないでしょうか?それは表面だけで真の謙虚ではないといえます。

 易経の中の「地山謙」の漢字の並びを見てみましょう。上が地で、下が山になっています。自然とは逆さまでひっくり返っています。(漢字は本来縦書きですから、上と下の表現ができます。)山の上に地があります。変だと思われませんか。本来は山地と書くのですが、逆になっています。山と地ならば、山が高いに決まっています。それなのに山が下にあるのはどういうことなのでしょうか?
 
 これは山が自ら快く地の下にへりくだっているという状態、意思を示しているのです。本来上にあるべきものが下にある。つまり、うわべだけの見せかけで謙遜しているのではありませんよ、といっているのです。

 結論から言いますと、快くへりくだるというのは社長の地位にいて高くなっている自分に恥ずかしい気持ちがあるからなのです。例えば、物事を学べば学ぶほど自分の今までの学びが基本的に足りないことを思い知らされます。

 「学んで己の無学を知る。これを学ぶという」との諺がある通りです。広くて奥がものすごく深い人間学や経営学を含めて不十分さや知らない事の多さや力のなさを嘆くものです。(現実では、新しい物の見方や気付きが新たに生じた時は目からうろこの体験もします)
 
 すると恥ずかしくて、ふんぞり返ってなど居られなくなるものです。そして、もっときちんと勉強せねば、もっと早く気付けば良かったという気持ちが起こります。
 
 地山謙という教えは、こういう気持ちを持った時に本当の謙虚さが出ることを教えてくれているのです。

 普通ならば頭が良ければ、その利口さを見せたいし、誇りたいものでしょう。出自(家柄)や生まれが良いとしたら、どこどこの名家の出だと自慢したいものでしょう。過去の実績があれば、その実績を認めてもらいたいものです。成功者だとしたら自分の成功体験を人に語りたいものです。それが普通の人間の姿であります。
 
 快くへりくだるという中には、自分が足りないことを知っていますから、もっと学ばなくては、もっと学びたい、もっと自分の徳を積みたいという真の謙虚さがあります。自分はまだまだ恥ずかしい存在だと自覚していますから誇れないのです

 この教えは、社長・トップ・リーダーたる者が自らを誇れば、逆に侮られることを教えています。社長としての統率活動もうまく進まないことでしょう。反対に真に謙虚に控えた場合は幸いを得るとも教えています。
 
 従って、易経で「君子は終わりあり」と述べていますが、「その謙虚な態度を終りまで貫いてくずさない。それが君子(社長・トップ・リーダー)なのですよ」ということを教えているのです。

 私なんか、職業柄いつもドキッとさせられる教えであり、いつも潜龍元年、今年も今も潜龍元年との戒めを思い起こし、まだまだいくつになっても半人前半人前だと自戒している箴言であります。
 
 経営者の皆様、いつかどこかできっと役に立つ教えであります。どうか活学を。
 
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