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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2011/04/02(Sat)

(No.100) 人生や事業、すべては“志”から始まる (1/4)

 一般的に学問や勉強というと、単に物知りになり部下や周りに教えられるようになるためにするものと思っている人が多いと思われます。かく言う私もその一人でありました。

 「学んで己の無学を知る。これを学ぶという」という名言があります。
 これは真の学問とは何か?に答えた核心をついた文章であります。学べば学ぶほど己の無知を知ることができ、己の力の無さを教えてくれるものであり、学問とは己を知り、己を修めるため、自己を人間的に高めるためにするものであると解釈して良いと思います。学んでみて初めて自分の知識も人格もいかに不十分なものであったかが自覚できるものであります。

 私淑する安岡正篤師によると、「人間を変えるものが本当の学問である」「学問は人を変える。人間を変えるような学問でなければ本当の学問ではない」「その人間とは、他人のことではなくて自分のことである。他人を変えようと思ったならば、まず自分を変えることである」と教えられています。私は、この言葉にふれた時、頭をこぶしで殴られた様でガーンと来たのを今でも覚えています。

 「そうか今までの学問は単なる時務学に過ぎず知識技術が中心で、人間に何等変化はなかったのだ。これからは人間が変化する様な本当の学を志さないといけない」と反省いたしました。それ以降、人間学や人物学に傾倒していったのを思い出されます。

 また学問というものは、現実から遊離したものは駄目で、自分の身につけて、その学問思想をもって自分の性格をつくり、これを自分の環境に及ぼしていくという実践性がなければ活学ではないと言われています。
 
 我々は今後、本当に人間を作り、人物を磨き(人間学や人物学にて)、家庭を作り、社会を作る上に役立つ思想学問をし探究して、これを経営・経済・政治・人生全般に適用していかねばならない。いわゆる、実学活学をやらねばならないと教えを残されております。
 
 どんなにご馳走があっても食べてみないと、そのおいしさはわからないもので、それと同じ様にどんな立派な教え(古典や経書)があっても、学んで(実践)みなければその良さがわからないものです。塩の辛さは舐めてみないとわからないとも言われます。

 また学問をする、勉学に励むという行動は、他人から押しつけられたり、他人に強制してもうまくいくものではありません。しょせん、本人の自覚に待つほかないのであります。
 
 教育とは馬に水をやるのと同じで、馬が喉が渇き、その気にならなければ、飼主が懸命に飲ませようとしても、どんなにおいしい水でも馬は飲んでくれませんつまり、その本人が敏感にしてかつ求めないと駄目なのです。また、コップが横になっていると、いくら水を注いでも内部に入らないのと同じで、コップをしゃんと立ててあげる(志を立てる)ことが大切なのと同じ考え方です。

 しかしながら、せっかくコップが立っていても、もう私は充分で学ぶ必要はないと思っている人や、心を空にできない人や、素直に学びたいと思わない人だと水は注ぐことができません。その状態のままで成長がストップしてしまうのです。
 
 要は学問という行動をなすには、その人の志を立ててあげることがポイントで前に進むか否かの分岐点になるということであります。志を立てることを“立志”といいます。その人の周りの人や師や友や上司、古典に残された昔の聖賢にふれて己を動機付けをすることが重要なのであります。
 
  人間が志を立てるということは、例えて言えばローソクに火をつけるようなものです。ローソクは火をつけられて初めて光を放つものです。同じく人間もその志を立てて初めてその人の真価が現われるもので輝き始めるものです。周りを明るくし隅を照らすことが可能になります。

 「立志照隅」または「一燈照隅」と呼ばれる状態に変化成長していきます。言い換えれば、その場になくてはならぬ人になる、存在価値のある人になるということです。その輪が広がっていき「万燈照国」つまり沢山の人々が組織を照らす、引いては国家全体が明るく照らされる状態に拡大すると言われています。

 経営や組織運営でも同じであります。その輪が波紋のごとく広がり良循環していくのです。反対に、志を立てない人間というものは、いかに才能に恵まれ能力のある人でも(断定するとお叱りを受けそうですが)一日一日がただ何となく過ぎていき、その集積が人生へとつながっていくのです。

 10年で3650日、20年で7300日、人生の折り返しでの40年で14,600日、80年で29,200日、人生を日数で計算してみると味けないというか、残された日数を数えて空しい心になるのは私だけなのでしょうか?「光陰矢の如し」とは良く言ったものであります。
 
 従って、志を立てない状態での毎日毎日の生活は、結局は、酒に酔ってフラフラしながら、ただ夢を見ながら人生を歩いているようなものに過ぎないとも思えます。一回限りの人生を有意義で価値あるものにしたいものです。

 (次回に続きます)
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2011/04/09(Sat)

(No.101) 人生や事業、すべては“志”から始まる (2/4)

 “”とことばで書けば簡単で、口で言うのも易しいものですが、真の志というものは他人の誰が引き抜こうとしても抜けないコンクリートのように固まった状態で“確乎不抜の志”を信念にまで高めている本気の状態のことを言います。
 
 本を読んで感心したり人から話を聞いて、その時だけ感激してもすぐ忘れるようでは真の志ではないと言えます。ドキッとするほど本質は厳しい意味を含んだ重たい言葉であります。理想としては若い世代の頃に立志なさることを提言したいと思います。

 また、いかに“立志”をしても、他人を傷つけたり、他人の犠牲や他人の不幸の上に実現しようとするものでは本来の志ではありません。自己中心主義では志とは言えないということです

 逆に利他喜他の精神で、周りに喜びや感動を与え、その人々に共感を得るようなものが本来の志と呼べるものです。最後は世のため人のためという心がなくては真の志とは言い難いと思います。

 また真の志とは、常に心の中に忘れず、意識の中に現れるもので、学問を続け自己を磨き自己を導いて自己を激励するものでなければならないと思います。人間とは弱いもので志もいつか知れずにしぼんでしまうのも事実であるからです。

 話を再び学問に戻しますが、「教学半ばす」(書経)と言われてます。その意味は、学んでみて初めて自分の力量や人格・人間力がいかに不十分なものであったかを自覚できる。また周りや部下に教えてみて初めて教えることの難しさが分かるという意味であります。

 人に教える立場(社長や幹部)になって初めて自分の未熟さや不十分さに気付かせられるのであり、もっともっと学ばねばと発奮し努力するものであります
 
 要は「教学半ばす」とは、教えることと学ぶことは五分五分で、対等で同じ重みで表裏一体の関係であることを示した教えであります。

 書経にはもう一つ「教学を先とする」と説いています。その意味は、組織体を治め統率して経営を順調にするためには、教育や学問が何よりも優先度が高く大切なのですよ、まず己の身を修めることから始めなさいと説いております。
 
 帝王学の眼目であり、かの有名な「修己治人」の教訓であります。

 ここまで真の学問とは何か? 「本当の学問とは人間を変えるものである」との話を紹介し生活や実践で活用する実学・活学の大切さにふれ人間を変えるほどの学問をスタートするには志を立てる“立志”が必要であることを述べてきました。

 私の気持ちは、一人一人の「立志照隅」から「万燈照国」への拡大を望み日本を明るくしたいと心底、思っております。真の志、本来の志とは何か?にもふれ、利他喜他の心をベースにしたものでないと真の志でないとも述べてきました。
 
 私が私淑している古典の一つである「易経」の中には、「すべては志から始まる」と何度も何度も書かれています。「孟子」の中には、「志は気の帥なり」とも書かれています。志はすべての気をコントロールするほど大切だの意味だと思います。

 元気・やる気・気力・気骨の気であります。もともととは中国から入ってきた言葉であり、外国語にはピッタリと匹敵する言葉や単語は見当たりません。クラーク博士(札幌農学校の名師、明治9年着任)の残された碑に「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」とありますが、この英語には良い意味と悪い意味があり、大志とか野心的、野望の意に解釈される単語であります。

 「すべては志から始まる」とは、すべては志と大いに関係してるとの意味であり
①学問や人間形成と志の関係

②実践力を伴った見識である胆識を養うにも、常に変わらない志を保持している志操がないと胆識が発揮されない。(当経営コラム№41参照)経営とは実践を必ず必要とする科学ですので、胆識を備えてないと前には進めないのです。

③プロ経営者と志の関係、つまりプロと言われる人とは“確乎不抜の志”を信念として持っている人で哲学的武装をしている人。またどんな状況でも自分の考えをはっきりと述べることができる人で経営理念として経営哲学として高まった思想を持っている人であります。

④まだまだ沢山あるでしょうが、どんな世界でも成功を収めた人々の共通点として言えるのは原点に志があるということであります。

 それほど志とは大事なキーポイントであり、すべてはまず“立志”からなのであります。
 
 (次回に続きます) 
 
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2011/04/16(Sat)

(No.102) 人生や事業、すべては“志”から始まる (3/4)

 我国の古典で知らない人がいないほど有名な書に、佐藤一斎(さとう いっさい、江戸末期)の「言志四録」があります。40年の年月をかけ88才で没するまで82才の晩年まで書き綴った大作であります。
すべては志から始まる」(易経)

「それ学は立志より先なるはなし」(王陽明)
  (学問をしたいと考えるだろうが、その前に志を立てるより先にあるものはないの意)

志は気の帥なり」(孟子)(気力や気骨つまり精神面で強い心の状態を保持できるのも志があればこそ可能であるの意)
 などの言葉にふれ、触発されて感奮興起し、修養し、一斎自身も

学は志を立つるより要なるはなし」(佐藤一斎)
  (何を学ぶよりも、志を立てることが必要であるの意)と書き残して古典にいそしみ、古典に学び、それを実践して、その当時の時代ではとても長寿である88才まで長生きをなさったのだろうと推察しております。

 つまり、一斎は「肉体も心も健体康心で人間形成や長寿において志ほど重要なものはない。志を高く持つことが極めて重要なんですよ、だから安易に考えず皆さん非常に重要視して下さい」と言いたかったのだろうと思います。

 だから本の書名にも言志四録と“志”の文字を入れたのでしょう。ちなみに四録とは、「言志録」、「言志後録」、「言志晩録」、「言志耋(てつ)録」の四部作で構成されているから命名されたもので、「志の書」とも言われています。

 それでは話を転じて日常の仕事や経営活動や人生において、この“志”というものが、どの様に関係しているのかについて考察をしてみたいと思います。

 まず何事でも同じだと思いますが、基本になる概念というか、「一体自分はどういう人間になりたいのか?どういう人生にしたいのか?何を一体やりたいのか?どういう会社や企業や社会にしたいのか?」などで、俗に言う「目標」(将来実現したい状態)の設定から始まります。

 「ビジョン」と呼んでも良いと思います。「ビジョン」より高い概念が「ミッション」という概念で「使命」といいます。あなたは何にあなたの命を使おうと思っているのかという概念です。(当経営コラム№89参照

 「ビジョン」で生きると、例えば地位が欲しい、収入が欲しい、財産が欲しい、有名になりたい、企業で言うと利益が欲しい、売上の規模がここまで欲しい、社員数がこの規模まで欲しいと願いや欲求が膨らんでいきます(当コラムNo92~No94)。これが一般的な「ビジョン」でしょう。

 しかし、時間をかけて、その立てた目標(ビジョン)がクリアーされたとしますと、人間の気持ちが変わっていくのです。達成した瞬間に心がなえてしまって安心したり安住したりして自分の力を過信して、慢心が発生し成長もストップし、せっかく成長した組織や企業もあとは衰退をまっしぐらに進み、ひどい時は破綻をすることもあります。

 ここで読者の方はお気づきでしょうが、先述しましたように地位や収入や財産はあくまで自己中心で私利私欲の志に過ぎないのです。真の志とは言えないのです。この真の志でないものを目指して生活しますと達成したり実現したりクリアーすると、そこで安心したりホッとしたり満足心が芽生えて気が枯れてしまうのです。もうエネルギーがなえてしまうのです。ここが人間の人生で難しいところでありましょう。

 (次回に続きます) 
 
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2011/04/23(Sat)

(No.103) 人生や事業、すべては“志”から始まる (4/4)

 私利私欲や自己中心を基本にした目標を達成した場合には、次の状態が待っているのです。
つまり、せっかく長い間、創意工夫し切磋琢磨し勤勉努力して過去に打ち立てられたビジョンを達成した人もいるでしょう。しかし、それは瞬間的な成功であり得意絶頂になると、その瞬間がターニングポイント(変化の頂点)になり、あとは少しずつ衰退が待っているのです。驚かれると思いますが・・・。
 
 心理面の動きで考えますと、危機意識や高い欲求水準に支えられたビジョンや目標は、いったん実現すると達成感・安心感が生じます。次には自己能力に対する自惚れ、奢りの心が芽生え現状安住感・安楽感、心のゆとりや余裕から、慢心や甘えの心が生じてくるものです。特に経営者の方が陥りやすい様であります。

 栄枯盛衰は世の常で天地自然の理法で宇宙の哲理なのです。絶対必然の世界と言われます。ここから始まるのが失意どん底や失望落胆や断崖絶壁や危機一髪や背水の陣に追い込まれた場面に遭遇していくのです。俗にいう逆境・苦境・困窮・困難・苦しみであります。
 
 その様な時に七難八苦にめげない、艱難辛苦や千辛万苦を乗り越える、逃げない、臥薪嘗胆に耐える、辛抱できるか否かで再び人間が試練を試されていくのです。

 人生とは生まれて死ぬまで順調で順風満帆ばかりであってほしいものですが、そうはなってない様であります。試練は、各人各様でしょうが人生とは、山あり谷あり、一難去ってまた一難の連続である様です。そういう環境を力強く壁を乗り越え、逃げずに追いかけていきたいものです。

 苦から逃げるからこそ、苦が追いかけてくると言われています。考えてみれば人生とは、いくつもの関所を通っていかなければならない旅の様なものなのでしょうね。

 だからこそ、「逆境は神の恩寵的試練である」とか「艱難辛苦は汝を玉にす」とか「順にあって逆を思うこと」とか「逆境こそ成長の好機である」と古典に書かれていて、現代に生活している我々に教えを残しているのでしょう。有難い限りであります。約5000年間も風雪に耐えてふるいにかけられた教えであるのです。

 聖賢や先人や古人の人生体験や失敗に学ぶ価値がここにあるのでしょう。そういう苦境や逆境に耐え辛抱するためにも、“真の志”というものを確乎たるものにし、固めてからでないと物事は順調そうに進んでも、いつかは塞がりますよと教えているのでしょう。物質や金銭を至上主義にして展開されている現代という時代だからこそ、これらの教えに大いに学ぶべきではと思っております。

 最後にまとめとして、確乎不抜の真の志を立てることが何をやるにも根本の根本であるということであります。 人生全般すべて、または経営や事業すべては、志から、つまり真の志を立てることから始まるのであります。

 少なくとも我々リーダーは、間違っても自己中心で私利私欲に満ちた夢や目標(ビジョン)は掲げないで頂きたいと存じます。それらは真の志とは、ほど遠いもので単なる野心か野望に過ぎないものであります。
 
 あえて理想を申し上げるならば、ビジョン(目標)で生きるよりはミッション(使命)で生きることをおすすめいたします。 その理由は、ビジョンで生きれば達成するのは自力本願ですから苦しみが伴います

 しかし、ミッションで生きると、天から与えられた天命や使命に従って生きていくのですから苦が伴わないのであります。他力本願で他の力が自然に働き私達を応援してくれのです。喜びながら働くことができ、働くことが喜びになるということであります。 
 
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2011/04/30(Sat)

(No.104) 読書にはどんな力が潜んでいるのか? (1/2)

 経営で言う赤字は、「やるべき事をやらずに、やってはいけないことをやっている」時に陥ってしまう状態であります。
 その具体例として、
①帳尻合わせのための在庫や仕掛工事高の調整をし、その結果、次の期にその影響で赤字になる
②商品開発や設備投資はお金がかかるからと言って手を付けない(開発や投資は身の丈に応じていることが条件であります)
③人材育成も時間と費用がもったいないからと考えて長い間取り組まない
④中長期的視点での企業努力をせずに即効果の出る短期的視点でのリストラを行う
等があります。

 つまり、人間である社長が「人間としてやるべき事をやり、やってはいけない事はやらない」という、古典が何回も何回も戒め何万語も費やして教えている事に他ならないと思います。貴重な教えを実行していない結果として赤字を呈しているのです。

 リストラ(リストラクチャリング)といえば本来は事業の再構築のことですが、現在は解雇などのことを言うのが多い様です。今まで長い間一緒になって汗をかいてきた仲間の首を切って、その減少した人件費で利益を出そうとする様な姑息な気持ちで経営をしている社長やリーダーに人はついていくはずがありません。
 
 部下が心の底から心服して働く気も起きない様な社長やリーダーでは当然のことながら業績を上げられるはずがありません。だからこそトップやリーダーには人間的魅力が求められるのです。
 
 経営をうまく推進していく力である経営の実力には、経営知識や経営技術以外に人徳という人間性や人間力が含まれていることを知っててほしいと思います。徳とはつまるところ、その人の人間観ではないかと思います。

 上司であれ部下であれ、人間としてその案件や事柄をどう扱ったら良いのか、どう判断し、どう対応したら良いのか、それがしっかりしていれば、地位や権力を与えられても、威張り散らしたりはしないものでしょう。

 今まで数多くの社長と接してきましたが、社長になったら何か自分が偉くなったと錯覚している社長が多かったような気がします。本来は何も変わらず、ただ名刺上の肩書の名称がほんの少し文字が変わっただけなのにです。

 肩書社会の虚構と言って、人間という動物はあさましいもので地位や肩書きや表面上のことだけであっという間に人間が変わってしまうものなんですね。社長に就任した当初は、喜びと嬉しさがこみ上げ、重たい責任に気が引き締まり、謙虚さがあり言動や振る舞いが人間らしかったのに、日が経つにつれその意識に変化が表われ、力まかせに力一杯に出そうと肩に力が入り変わっていく人が多い様です。

 それも悪い方にですね。権力や権限を振り回し威張り散らして傲岸不遜の態度をとり、人間的魅力があっという間に吹き飛んでしまいます。人間力が数段格下げになっていきます。

 では、先ほど申し上げた人間観を磨くにはどうしたら良いのでしょうか?
次回は、読書で人間観を磨くことについて考えていきます。

(次回に続きます) 
 
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