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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2011/10/01(Sat)

(No.126) 欧米思想と東洋思想の違いについて (1/2)

 欧米思想や哲学宗教は、を問題にして神様に願い事をしたり祈ったりします。しかし、東洋思想や哲学宗教は、とか行動というものを問題にしながら真実を追求したり、真実を説くという特徴があります。そこが大きな違いであります。
 
 ですから欧米思想には、東洋で生まれた座禅のような体を使った修行法などはありません。ただ、聖書やコーランなどの経典に書いてあることを正しいと思って信じ込むという思想哲学宗教であります。例えば仏教などは、そういう言葉による教えではなく坐禅によって各人が自分の心と体を調整しバランスを取りながら、自分で自分を思い通りに動かして生きることが幸福につながると説かれています。

 要するに仏教思想は「行ないの哲学」、「行動の哲学」であり、陽明学が最初に唱えて広がっていった「知行合一の哲学」と同じことを説いていることが分かります。この様に、仏教や儒教や陽明学などの東洋思想や哲学は、根本は同じであることが伺われます。

 欧米思想のように人間より偉い唯一絶対の神様がいて、その神様に近づくために祈ったりするのではなく、東洋思想はあくまでも人間は人間になればよいと主張しています。
 
 ですから、東洋思想はできもしないきれいごとを、とうとうと説くことではありません。それよりも、人間として日常の普段の生活をどうおくるか、例えば、ご飯の食べ方、顔の洗い方、手洗いの仕方、寝る時の寝方など、当たり前に行っている日常生活のおくり方そのものを問題にするのです。
 
 つまり、座禅などしていなくても、日常生活において心身をバランスさせた状態で何事もなすべきであると言っています。日常生活のすべてが、身や心を修める修行であるということを言ったものだと解釈して良いでしょう。この様な考えをする思想や哲学は他に類がない様であります。一つの特徴であるでしょう。

 さらに東洋思想の大きな特徴としては、欧米思想は頭の中で考えたことと行ないが一していると考えますが、東洋ではその様には考えていません。頭の中で考えを起こすのと実際に手と足を動かして実行するのとはという見方をします。それは、我々にとっては救いであります。

 なぜかというと、頭の中で悪いことを考えただけで悪いことをしたことと同じとなったら、人間にとって逃げ場がなくなってしまいます。そうではなく、東洋は人間が実際に体を動かしてやるか、やらないかを重視するのです

 逆に考えれば我々にとっては厳しくなりますが、善い行ないについても同じであります。善いことをいくら頭の中で考えても、口先だけで実際にやらなければ、評価は一切しません。「有言不実行」は認めないのです。まさに東洋思想哲学が、「行ない・行動の哲学」である所以であります。

 少し話しがそれますが、そもそも経営というものは、「行動実践科学」であると言われます。頭の中を知識や理論でいかに武装していても、実践し行動が伴なってないと結果も出ないし、一歩も前へ進まないとお考え下さい。小さな失敗は誰もが体験します。その体験を次に活かし二度と失敗しないようにするのが経営です。つまり経営は「体験科学」でもあるのです。
 
 体験の伴ってない、知識やテクニックや方法論や技術や資格などは、一切役には立たないということです。ペーパー知識から体験知識へと高めることが必要になります。
 
 行動し実践し体験して初めて力が身に付いていき発揮能力へと向上していくのです。(当経営コラム№90・91参照)
 
 そういう意味で、東洋思想哲学と経営は共通点があり、「行動体験の哲学」「本当に知るとは、実践を伴うものである」「実践ができてないのは、本当に知っていることにはならない」という「知行合一の哲学」と軌を一にするものであると思います。

 (次回に続きます)
 
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2011/10/08(Sat)

(No.127) 欧米思想と東洋思想の違いについて (2/2)

 本題に戻りますが、本来、東洋では神という超人的な存在を信じてはいません。東洋では、この宇宙そのもの、天や地や大自然そのものを形成している偉大な存在があり、その中に人間が存在し、自然と人間を一体として概念化しています。偉大な存在をという言葉で表現しているに過ぎないのです。そこが西洋や欧米の思想哲学と大きく違うところであります。

 しかし東洋思想は、西欧の主義主張をあえて否定せずに認めているのも事実であります。東洋思想の心の広さを感じざるを得ないところであります。
 
 その証拠や実際事例として我国の歴史をひも解いてみて、現実を眺めてみれば一目瞭然であります。宗教にしても然り、仏教・キリスト教・儒教・神道その他の多宗教を取り込んだ民族です。思想や哲学や生活スタイルや食事や言語や経営手法など様々なものを各国から導入して、それらを混合して文化として成長してきたのも事実であります。異質なものを導入同化して発展した国という意味では世界でも例がない国と思われます

 先程、東洋では神という超人的な存在を認めていないと述べましたが、まず人間とは、どういうものかを見定めて、その人間がやれることだけをやろうというのが東洋の基本的な考え方なのです。
 
 所詮、人間は神ではないので神の道を求めていると、反動的に動物の境涯に転落して、これでいいんだという生き方になりがちなものです。そういう意味では、東洋は神を問題にしません。そうかといって、動物の境涯で好きに生きても良いというのでもありません。

 ある面、動物的なところも認めながら、人間としての生き方の中に、神といっても良いような貴重なものが、一人一人の中に存在しているという見方をしています。

 過去に述べてきました(当経営コラム87・88・89参照)人間は誰しも生まれながらにして、天から徳と才を与えられて生まれてきているとか、「命」は先天的に与えられた性質能力であり「天命」と呼ぶとかに発展していくのです

 「命」に始まり、天命・与命・使命・知命・立命・運命と展開させ人間の人生を体系化し「人生をいかに生きるべきか」の行動実践学として「人間学」として体系的に発展させていきました。

 東洋思想と哲学は、長い時代を経て先人や賢人の篩(ふるい)にかけられ究極は「人間学」として、体系化され現在に至っているのです。一冊の本としてまとめられてはいませんが、古典として現代人が読みやすいように残されているものであります。経営に関与されてる方には、どちらかというと西洋より東洋哲学をお勧めしたいと思います。
 
 西洋や欧米思想は約2600年、東洋の思想や哲学は約5000年の歴史で約2倍の長さ、差にして約2400年のギャップがあります。

 最後に、哲学とは、自分自身の経験を通して、人間観・人生観・宇宙観・経営観などの価値観について築き上げられたものです。
 
 今後はトップやリーダーを務められる方は、経営力以外の力として特に哲学的に武装をしないと力が発揮されない時代であります。哲学には強烈な力があると言われます。どうか哲学を深められて哲学的武装をされんことを提言したいと思います。
 
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2011/10/15(Sat)

(No.128) 複雑な経営や人生にどう対処するか

 経営や人生などの現実の世界は、一筋縄では決して解決がつかない複雑な性格を持っているものであります。

 成り行きまかせにせずに、意思の力で努力して積極的に外に向かって働きかけて解決できる面と、成り行きにまかせないと、意思の力ではどうにも解決がつかない面や消極的にやらなければならない面などがあり、両面・両方あるのが私達の人生にはあるものです。

 私たちは頭の中で問題を考えると、大抵のものは一筋縄で解決がつくと思いがちですが、現実の世界は一筋縄では決して解決がつかないほど複雑な性格を持っているものです。

 ですから、たった一つの考えだけで、「これで全部いける、解決できるぞ」と思うと、必ずと言って良いほど間違ったりします。間違わないためには、様々な角度から現実を見ていかなければなりません。つまりそれは、私たちが経営を順調に維持させ、長い人生を幸せに生きて行こうとするならば、あの手この手で、様々な方面から努力していかないと、経営上の問題や人生上の問題は解決しないということであります。

 人間というのは、頭で考えたことで、それぞれの自分の人生なり世界をつくりますので実に複雑極まりないものです。一般的には、生を受けてから現在までの体験や、知識や理論や倫理観や道徳観、人生観、仕事観を持って生活します。
 
 要はその人の持っている価値観といっても良いと思います。経営者であれば、一般の人よりも格段に広く高く深い価値観の武装を求められます。

 何のために経営をするのか?何のために経営をやっているのか?という経営理念の確立と武装が求められ、経営観の充実が必要であり、その上に力量としての、経営学に関する幅広い領域での知識や技術などの才能の具備が求められ、一言で言うと“経営力”という力が必要になります。さらに付加しますと、組織や部下を統率する力、リーダーシップが求められるでしょう。これらは一言で言うなら、“人間力”というか“人間的魅力”と言って良いでしょう。

 これらを読まれた方は、経営者とは一般の人が考えておられる以上に様々な力が求められていて大変な職業仕事であるのだなと感じられたと思います。最初から全て備えることは無理だとしても、一歩ずつ毎年毎年力を身に付ける必要がある職業であります。

 前置きが長くなりましたが、要するに経営や人生の諸問題に対処する際は、簡単にAとかBとかCとか割り切れないことばかりで、この世の中は一筋縄ではいかないものだということであります。
 
 つまり日常生活や仕事や経営や人生というものは、単純なものばかりでは決してなく、それぞれが複雑にもつれ合った、混沌としたものであります。よって、そういう煩わしいものから逃避して離れて触れずにすっきりする道を選んで生活するよりも、我々が生きている毎日の現実はいかに複雑で煩わしいものであるかということを、あらかじめしっかりと心得、つかんで、その事実をどう活用していくかを見極めていくべきだと思っています。逆境あり、順境あり、悲観あり、楽観ありが人生なのです。
 
 それらを越えていくのが人生だと最初から覚悟して生活することが大切でしょう。

 最後に繰り返しになりますが、私たちが生きている現実の世界は、言葉で具体的に説明するのが難しいほど複雑に絡み合った世界であります。どの様な問題でも精神的な面と物質的(金銭含む)な面の両方を兼ね備えているものばかりであります。

 だから、そういうことを前もって踏まえて人生問題や経営上の問題を考えていかないと、ほんのわずかなことも解決がつかないということです。
 
 逆説的で反対の見方をしますと、精神的な見方と物質的な見方、そのどちらにも偏らず、離脱して、その両方から抜け出した見方をしないと、このあまりにも複雑な現実の世界はつかめない、本質がわからないものなのかと解釈して良いと思います。そこまで見識が高まらないと複雑な経営や人生に適切的確な対処ができないのではと考えたりしております。
 
 経営や人生とは簡単な方程式のようにすぐには解や答えが出せるものばかりではなく、複雑で高度な連立方程式を解くようなもので難解なものであるでしょう。
 
 本日のテーマは人間観や人生観や経営観などの価値観に関するものであり、すんなり理解をして頂くのは少し難しかったかも知れませんね。順逆を越えて生き抜いていきましょう。

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2011/10/21(Fri)

(No.129) どうしたら本物・本気の経営者になれるのか?(1/2)

 「追いつめられて初めて人間は本物になる、だから本物になるためには、絶体絶命の瀬戸際に立たされねばならぬ」と先人は教えています。
 
 また、「人間の大脳は追い込まれたときしか本気にならない」とも言われます。(経営コラムNo10 No24参照)

 経営や実業界では、成功する人の絶対条件の一つに、「挫折体験」があるか否かがあげられています。
挫折体験がないと、やはり人間は精神が鍛えられず、いざっという時や、決断を迫られた時には、力が充分に発揮できないということでしょう。挫折はなるべく若い時に体験した方が良いでしょう。
 
 古いことわざに、「逆境は神の恩寵的試練である」「艱難辛苦は、汝を玉にす」とあります。
一般的に苦やつらいことが生じると、不満を持ち感謝などはできないものです。この教えは苦や悩みを喜びや感謝に振り替えることにしなさいと勇気づけし、また生きる意欲を与えてくれるものであります。

 先人古人の教えや格言は皆共通しているものです。人間には失敗や挫折や苦境・逆境はつきものであります。失敗したことや困難の体験をどの様に捉え考えるのか、その時の姿勢が将来の成功者をつくり、また、失敗者をつくるのであります。挫折を推し薦めている訳ではありませんが、現状の経済的な閉塞感漂う環境を苦境と見なして将来活かして頂きたいからの一心で述べているだけであります。

 長い人生で人間はいつ何時どん底に落ちるかも知れません。特に社長やトップ・リーダーの方々は経営というリスクのある生き物を運営されていますから、サラリーマンよりも可能性確率が高いものでしょう。
 
 得意絶頂の人がある日突然に、失意どん底に落ちることが後を絶ちません。そこに至るには、兆しが何回も何回も点滅しているのですが、世間一般は知る由もありません。 つらいことでしょうが、どん底に落ちると、それ以下に落ちることはなく、足で蹴ってあとは這い上がるだけです。浮き上がるのみで、上り線が待っているだけであります。

 しかし、どん底には「底力」という強力な潜在エネルギーがあるのも事実です。 俗に言う、「火事場のばか力」と同じ様な力です。自分でも不思議なくらい力が湧くものです。精神面、肉体面両方含めた力です。

 万が一、そのような状態に陥ったとしても、どうか「どうせ無理だ」と諦めず、「底力」でもってどん底から這い上がって頂きたいものであります。「どうせ無理」この言葉が脳波を止め思考が止まってしまうのです。思考が止まると楽でしょうが、それでは何も始まらないのです。

 「どうせ無理」でなく「だったらこうしよう。こうしたらできる」と頭を切り換えることです。 こういう状況ではできない理由をあれこれ考えるよりも、できる理由は一つあれば充分なのです。

(次回に続きます)
 
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2011/10/29(Sat)

(No.130) どうしたら本物・本気の経営者になれるのか?(2/2)

 また、逆境や苦境とはまるっきり反対ですが、順境の方々に対しても、先人は戒めております。

 「安心・安楽・安住は悪魔のしとね」とも言っています。あまり順調が続き現状に安楽し安住し過ぎると、将来、悪魔がやってくるかも知れませんよとの意味を含んでいます。その座布団(しとね)の上にあなたは乗っているのかも知れませんよと、警鐘を鳴らしたことばであります。
 
 あまりにも環境に恵まれていて、マンネリズムに陥ったり甘えたり危機意識が乏しければ、本来の力や自然の力が衰えていき野性味がなくなり、自然の野鳥であれば本来備わっている飛ぶ力も失せてしまうという教えであります。自然界で本当にあった実話を元にした教えであります。

 「順にいて逆を忘れず」「夏にいて冬を忘れず」「存して滅びるを忘れず」「楽は苦の種、苦は楽の種」などの寸言が浮かんでまいります。 要は、どんなに順調でも絶対に謙虚さだけは忘れずにといっています。むしろ順境の方が怖いとさえ言われます

 「敗事は多く得意の時により、成功は常に苦心の日にある」また「順調の時に失敗の種を蒔いている」「自分の落とし穴をトップは本人自ら掘っている」などと戒めの言葉が残っています。

 事業などが順調に推移すると、経営能力に対する自信過剰が生じ、傲慢やおごり高ぶりの心が芽生えていくのです。トップが周りの貴重な意見やアドバイスを全く聞かない状態に陥ってしまうのです。
 
 古今東西を問わず破れた者の共通の原因は傲病であり、「事業や人生の大病は、ただただ、これ“傲”の一文字なり」と箴言が残っています。
 
 長い人生においては、順境や逆境は誰にとっても、つきものであります。 要は、順境の時も楽観せずに自分の隙を見せずに心が安定していること。逆境の時も悲観せずに心が安定していること。つまり、順逆を超えることが大切であり、その為に人間学を学ぶ目的があると申せましょう。

 易経では、「窮(きわ)まれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず、通ずれば久し」と言っています。変化のことわりを示しています。ものごとは、すべて極まった瞬間に必ず変化するものと教えています。 歴史を観ても窮する度合いが強ければ強いほど、大きければ大きいほど、変化もまた大きいものです。
 
 変化があれば、そこから先はうまく通じるものですよと教えています。 変化・変革・改革・革新などの熟語があります。要は変わること変化を勧めた教えであります。 なぜならば宇宙や人生は一瞬たりとも固定ではなく変化し続けているからです。循環しているのです。
 
 景気の次は不景気が、不景気の次は景気がサイクルしているだけなのです。ただ周期の確定が難しいだけであります。 社長やトップ・リーダーの方々は、このことに早く覚醒なされば、今後大きく変化し変わることができることでしょう。

 最後にまとめとして。問題や苦から決して逃げないことです。答えのない問題は決してありません。 頭でいくら考え抜いても解決は決してしません。ひるまずに立ち向かっていくこと、行動や実行だけが解決の方法であり大事なことなのです。

 逃げるからこそ、苦が、また、あなたを追いかけて来るのだとお考え下さい。 日頃の経営活動でのご参考になさって下さい。本物の本気の経営者をめざして。
 
 人は何にしびれるかによってその人は決まるものです。人間は本物にしびれなければなりません。 さて、あなたは本物を目指して、何にしびれておられるのでしょうか?

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