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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2011/11/04(Fri)

(No.131) 口のきき方・愛語の実践について(1/2)

 人と接するときの大切な四つの視点というものがあります。
一つは、人のために何かを施したいという気持ちがあるかどうか。
二つ目は、話をする時に、相手に対する言葉がやさしい言葉や、やわらかい言葉を使っているかどうか。普段の口のきき方はどうか。
三つ目は、人のために役立つこと、または人が喜ぶことをやっているかどうか。
四つ目は、人と協調して行動ができているかどうか、であります。
これらは私が常々口にしている、利他や喜他の実践テーマであります。

 この四項目で自分自身を振り返ってみることで自分という人間がどの様な人間かを知ることができます。
今回はその中の一つである、やさしい言葉使い(昔から愛語と称されています)について、考えてみたいと思います。
 
 私達は日常生活で腹が立つことや、気にくわないことが、たびたびあると思います。しかし、腹が立った時に、「このバカ野郎」とか相手がカッとなる言葉を言わないことが大事です。また、気にくわない人がいる場合に「あいつは気にくわないヤツだ」と言わないことです。これは人間の日常生活としてとても大切なことであります。何故なら、言葉をどう使うかによって、世の中は地獄にもなれば極楽にもなるからです。
 
 このことは、家庭内でもよくわかることです。家庭の中で気にくわないことがあったからといって、その場ですぐカッカ怒っているようでは家庭が地獄になってしまう場合がいくらでもあります。気にくわないと思っても感情的になって怒らないことが大事なことです。いくら相手が悪くても感情的になって怒ると、相手は反発するだけで、相手が反省したり態度を改めるということはありません。感情を出すと感情が返ってくるだけなのです。
 
 やさしい言葉使い(愛語)とは、人々と顔を合わせたときに、まず慈しみの心を起こし、思いやりの言葉をかけることです。何事によらず乱暴な言葉や人を傷つけるような言葉を使わないことです。人々に対して慈しみの心を持ち、あたかも母親が赤ちゃんを大切にするのと同じ気持ちで人に接することが愛語の本来の意味であります。

 たまたま相手に優れたところがあれば、大いにその優れた点を褒めてやべきだし、褒めるところがなければ、いたわりの言葉をもって接するべきであります。

 その様に、やさしい言葉をかけることが好きになれば、どんどんやさしい言葉をかけるようになるものです。その様に努めてやさしい言葉を相手にかけるようにしていると、今まで考えたこともないような、やさしい言葉が口から出るようになるものです。人間関係も見違えるほどスムーズになるものです。

(次回に続きます)

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2011/11/12(Sat)

(No.132) 口のきき方・愛語の実践について(2/2)

 かく言う私も、いつもその様な言葉を使っている訳ではないのですが、できれば好んで愛語のやさしい言葉を使うべきだし、ずっとやめるべきではないと思っています。敵対している人同士が互いに心服し合うのも、やさしい言葉が基本であるし、徳の高い人同士が仲良くなるのも、やさしい言葉をかけ合うことが基本であります。
 
 面と向かってやさしい言葉を聞くときは、自然と顔もほころび、心を楽しくさせます。面と向かわなくても、人づてにやさしい言葉を聞いた時には相手の気持ちが心にひびき強い印象を受けるものです。

 愛語とは相手を愛するという気持から起こるものですが、その愛するという気持ちは、さらに慈しむという気持ちがそのもととなっているものです。そういう意味では、愛語は天地をひっくり返すほどの力を持っているとも申せましょう。

 すこし横道にそれますが、この世の中で最高の最大の力とは一体何でしょうか?
一般的に考えますと、国家レベルでの軍事力を基にした攻撃力防衛力、企業などでは組織力、個人では地位を利用した権限や権力、資本力資金力などの財力などいろんなことが浮かぶでしょうが、これらは一面では認められても最終的には愛の力に勝るものはないと思われます。

 その人間の心の中に潜む愛の力を表現するのに言葉という手段があるのです。日頃の口ぐせ、言葉ぐせを今まで以上に意識して、言葉を大切にして生活や仕事に活かしていただきたいと思います。

  大きな力をもっている反面、言葉については、昔からの格言で、「一言、事を破る。一言、人を誤る」とも言い伝えられています。一般的には、「口は禍いのもと」とも言います。

 ついうっかり言った言葉や、ちょっとやった行為がその人の人間を決定ことがあります。だから口から出す言葉には充分気をつけないと要注意ですよ、と戒めた言葉であります。よくよくかみしめて日頃の教訓にしたいと思います。

 また、言葉というものは不思議なもので、言葉の魔術とも言われていて、一言で人間が変わものでもあります。例えば子供や部下や相手に対して、全注意を集中して積極的に才能を助長する言葉をかけたら、その言葉がすごい威力を発揮して相手はすごく成長するのも事実です。やっぱり言葉は魔法使の様なものであり、「口は福のもと」でもあるのです。

 私事で恐縮ですが、中村天風氏の言葉で「人間は何事も自分で考えた通りになる。自分が自分に与えた暗示の通りになる」「できないと思うものはできない。できると信念することはできる」との考え方に触れ天にも昇るような啓示を感じて自信が湧いてきて、自信を持ったことを記憶しています。

 それ以来ずっと私を支えてくれた言葉であります。私に自信という力を与えてくれたのは言葉であったのです。じかに会ったわけではありません。本を通して言葉にめぐり会っただけであります。

 最後に一言。愛語についてのテーマでしたが、言葉をどう使うのか、どう聞き取るのかで、地獄にもなれば極楽にもなるもので、大きな力があることだけは確かな様であります

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2011/11/18(Fri)

(No.133) 自分をつかむ(道元禅師と安岡正篤師に学ぶ)(1/2)

 人生を幸福にする生き方とは、誰でも自分というものを正しくつかむ必要があり、自分をつかんで生きることのようであります。
 
 一般的に人は、頭で思い描いた自分が自分であると思って生きています。しかし、頭で思っている自分と本当の自分は違っていて、人生のいろんな場面で、その食い違いが起きて、人生を複雑なものにしているのも事実であります。

 例えば、「私はそれなりにやっているはずだ」と思っている人も、そう思っているのは本人だけで、周りの人から見ると、ちっともしっかりしていない場合や、逆に「自分はまだまだ力不足で駄目だ」と思い込んで、自分を過度に過小評価しているケースなど、世の中を見渡せば、本当の自分をわかっていない人が多く見受けられるようであります。
 
 ほとんどの場合、自分の中に「頭で思っている自分」と「本当の自分」という、二人の自分がいて、この二人がいろんな場面でぶつかり合って、人生や仕事の中で苦しみや悩みが生じていくものであります。
 
 そういう人は、人生や経営の場面で、何か問題が起きたとき、どうしたら良いのかがわかりません。悩んでしまいます。何故ならば、自分の中に矛盾する二人がいるために結論が出せなくて、すぐに慌ててしまったり、或いは、いろいろと心配してもしょうがないから、適当にごまかしていくという生き方になってしまうからです。
 
 そして、そういう人は人生の本当の価値や味わいを知らずに、あれよあれよという間に、貴重な数十年の人生を過ごしてしまうものであります。
 
 従って、誰でも絶対的な自分というものを正しくつかむ必要があり、自分をつかんで生きることが人間を幸福にする生き方になるではないでしょうか。

 この様な考え方について、道元禅師は以下のように教訓を残されています。
「光陰(時間や人生のこと)とは考え様によっては、我々の努力を奪ってしまうものでもある。一日どころか、人生という長期間の努力や結果までをも奪ってしまうものである。

 しかし、時間は我々の敵というわけではない。もし、過ぎてしまった光陰や時間を恨むとするなら、それは自分の修行や修養不足を恨むべきである。

 多くの人が、自分が何かをわかっていなくて、人生を過ごしていくために自分自身を恨んでいるに他ならない」と書き残しています。
つまり、自分のことをつかんでいないことが、人生の時間が無駄に過ぎていってしまう大きな原因であると述べています。

(次回に続きます)
  
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2011/11/26(Sat)

(No.134) 自分をつかむ(道元禅師と安岡正篤師に学ぶ)(2/2)

 自分というものを見つけ出して、しっかりとつかむ。自分自身をしっかりとつかんでおれば、一日一日の生活において、自分は何をやったら良いのか、また何をやらなければならないのかがハッキリとわかって生活できるものでしょう。仕事でも経営でも同じであります。 

 普段、私達は、自分というものの中に、非常に貴重なもの、つまり東洋思想でいうところの「天命・使命や徳と才」が内在しているもので、生まれながらにして備わっていることに気付かないで生活しています。
 
 だから、何か出来事が起きたときに、「困った、困った」といって、外に向かって、いろんなものを求めるわけですが、一切の問題を解決する基礎は、自分自身の中にすでにあるのです。
 
 そのことをわかって人生を生きるか生きないかで、同じ人生でも結果は大きく違ってくるのです、と道元禅師は我々に教訓を残しているのです。
 
 そういう意味で自分を修行する、修養するというのは、自分とは何か?”を見つけるためであり、本当の自分に巡り合うためにあるのではないでしょうか。
 
 不思議なことに、本当の自分に出会って、本当の自分をつかんでいれば、人間はおかしなことをやらないものです。ところが、本当の自分がどこかに行ってしまうと、的はずれで、無責任なことをやってしまうものです。

 人間というのは、そもそも、そういうことになっているのですよと古人は現代人にも通じる教えを残してくれているのでしょう。するどい指摘を残されていると思います。
 
 最後に、私淑する安岡正篤師も、この考え方と同じことを残されております。

 「人間は自得から出発しなければいけない」また、「人間はいろんなものを失うが、何が一番失いやすいかというと自己である。自分のことは分かっているようで意外と分かっていない。人は根本において自分をつかんでいない。空虚である。そこからあらゆる間違いが起きるものです」(経営コラム№88参照)と教えられています。

 安岡氏はすでにその当時から、現在の世相を予測されていて、我々現代人に向けられた痛烈で厳しい批評をいただいた様に聞こえてきます。そのように感じているのは、私一人だけなのでしょうか?

 この教えは、道元禅師と本質的に同一のことを指摘されております。
お二人の時代は約700年間の隔たりがありますが、賢人達の教えというものは、やはり、真理をつかんであり、いつの時代であっても心に響き、普遍性があって、変わらないものであるとつくづく思う次第であります。

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