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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2011/12/03(Sat)

(No.135) 日本にはなぜ永続企業が多いのか? (1/3)

 経営で究極の目的や最高の哲学は永続であります。今回は永続という視点で考えてみたいと思います。まず、現状認識としてどのくらいの数の会社や経営体が存在しているのかについてみていきましょう。

 世界最古とみられている企業が大阪にあります。金剛組という建築会社で、飛鳥時代(西暦578年)の創業で、1400年超も存続している老舗企業であります。100年と聞いただけでも驚くのに、100年の14倍以上も続けているとは、ただただ頭が下がる思いであります。
 
 ところで、日本にはとてつもなく多くの老舗が存在しているのをご存知でしょうか? 
例えば帝国データバンクの調査によると、1000年超で7社、500年超で約40社、300年超で約600社、200年超で約3000社といわれています。驚かざるを得ません。
 
 ちなみに外国(アジア圏)では、200年以上も続いている企業は、韓国ゼロ、中国9社、インド3社であります。
 全世界に約7000軒あると言われる200年超の企業のうち、実に半数近くが日本に集中していることになります。その半分の100年超の存続企業は世界の中でも断トツの10万社以上が日本に集中しているとの専門家の説があります。断定はできませんが、おそらく個人商店を含めた数だと想像されます。

 同じアジア圏内にありながら、片やゼロ、片や何千という違いが出るのは、果してなぜでしょうか。ある意味で、これは日本の歴史や文化を象徴しているのではないでしょうか。

 それにしても、日本になぜこんなにも老舗や永続企業が多いのでしょうか?考えてみたいと思います。
 次の三つの大きな理由が考えられるのではと思います。

 一つ目は、過酷な内戦や外国からの侵略がなかったことが考えられます。他国からの侵略あるいは内戦の期間が長ければ長いほど、その国には老舗が残っていません。朝鮮半島などは、その典型的な例でしょう。
 日本は全土を戦場にした民族紛争がなかったためであります。侵略や内戦に無縁でこられたのはアジアに限らず世界的にも希有な例かもしれません。

 二つ目は、継続を哲学や美徳とする価値観があったからでしょう。

 三つ目は、ものづくりを尊ぶ伝統があることと、日本ほど職人文化やものづくりを大切にする国はないからでしょう。
事実上10万軒を超えるといわれる日本の100年企業のうち、半分近くにあたる約4万5千社が製造業といわれます。日本の老舗は、ものづくりによって生きながらえてきたと言えるでしょう、
 
 では次に、老舗企業に共通した条件とは一体何なのでしょうか?それは以下の三つの要素が考えられるのではないでしょうか。
 
 一番目には、適応力です。時代の変化、環境の変化に柔軟に対応する力が考えられます。チャールズ・ダーウィンの「強いからではなく、環境に適応してきたものだけが生き残る」という自然淘汰の説が浮かんできます。

(次回に続きます)
  
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2011/12/10(Sat)

(No.136) 日本にはなぜ永続企業が多いのか? (2/3)

 長寿の老舗企業に共通する条件の第一番目の要素は適応力でした。

 次に、第二番目は、他者を受け入れる包容力を持っていることでしょう。時代の変化を受け入れるだけではなく、他者すなわち他人の血を受け入れる力があることが推察できます。

 他の国にはない日本の老舗の大きな特徴として、養子に店を継がせていることがあげられます。日本には「三代目の養子」という言葉があります。これは三代目あたりで養子を入れた店ほど長続きすることを意味しています。
 
 中国では長男がいれば、必ず長男に店や会社を継がせるし、もし病弱であれば次男へというように、とにかく血族の男子へと継がせていきます。

 片や日本では、跡継ぎが病弱であったり、商売や経営に不向きであれば、娘に養子をもらいます。あるいは番頭を一時的に当主に据えたり、店の中で有望な奉公人を養子にして継がせることを実践してきました。

 江戸時代には有能な若者が繁盛店に養子として入るのが出世コースとされたと言われています。
また中国には、「有能な他人より無能な血族を信じよ」という格言がある一方、日本の商業都市の大阪には、「息子は選べないが、婿は選べる」という言い習わしがあります。

 要するに跡取り息子が無能で店を潰されるぐらいなら、赤の他人でも、優秀な娘婿に継がせた方がよっぽど良いということでしょう。要は、血族をとるか、継続をとるかの価値観の違いであり、血族をとると、たいがいが三代目あたりで店が続かなくなってしまうのを恐れたためでしょう。
 
 相次ぐ革命を経験し、友人同士でも密告やだまし合いを行う国で他者不信が国家の歴史や文化的土壌にある国と比べ、日本には、はるかに根強い他人に対する信頼感というものが、日本の社会の底流には息づいているからでしょう。
 
 第三番目には、本業重視分相応主義・身の丈主義であります。家訓は江戸時代に書かれたものが多いため、身の程を知れと多く書かれています。拡大への警戒である「こうしたから自分達はうまくいったんだ」「こうしたから、あの店は失敗したんだ」という秘策、知恵を経験知として次の代へと伝えているのです。

 また家訓は代を重ねる毎に書き換えられているため、最適な教えだけが今日に残っていると言っても良いでしょう。これこそが、その企業における経営理念や哲学と呼べるでしょう。
 
 老舗にとってもバブル期(1990年代以前)は、大きな危機だったのです。あの時に「土地を買え」「株を買え」という甘い誘いにのって多角化や財テクを図った老舗は、大抵倒産の憂き目や瀕死の重傷にあっているのです。一方その時期に、家訓に立ち返り本業重視、分相応を守った老舗企業は残っているのです。

 以上の三つが、老舗企業に共通した条件であります。
 
(次回に続きます)
   
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2011/12/16(Fri)

(No.137) 日本にはなぜ永続企業が多いのか? (3/3)

 今までの考察を通して現実に、経営を今後どう展開すれば良いのか?という視点でもう少し考えてみたいと思います。

 そもそも経営体を評価や診断すれば、良い経営悪い経営があります。どんな企業も収益や利益がなければ存続はできません。ですから企業は、経済理論と市場原理に則った効率の良い経営をする必要があります。

 しかし、それだけでは充分ではありません。企業は良い経営に加えて正しい経営をしなければ長く繁栄することはできないのです。まして今回のテーマである永続することなどは決して不可能であります。
 
 現在は、「企業30年寿命説」が主流ですが、時代を超えてお客様に支持され、社会に貢献している永続企業は独自の社訓や経営理念・哲学を持っているものです。そのいずれもの企業が共通して正しい原則と宇宙の秩序や、経営の根本的なルールや道にふれている部分があるのは、偶然の一致ではないと思います。

 こうした長寿企業は、良い経営に加えて、正しい原則を堅持し、正しい経営をしているからこそ長寿なんだと思います。
世の中がどう変わろうとも、正しい原則に従う人や企業は栄え、それに反する人や企業は滅びていく。この厳然たる事実は永遠に変わらないと言えるでしょう。
 
 松下幸之助氏の有名な言葉である「経営者に一番大切なことは、人間観の確立と宇宙の哲理を把握することである」(当経営コラNo.13参照)また、「指導者は天地自然の理を知り、これに従うことが大切である」(当経営コラムNo.15参照)との格言を反復すればするほど、彼は永続企業の核心をつかんでおられた経営者であったからこそ、90年超の継続を実現できているんだなあと感服しております。

 最後にまとめとして、経営は良い経営、悪い経営、正しい経営、攻めの経営、守りの経営、捨てる経営(不採算部門を)、遠きを計った経営、目先や近きのみを謀った経営と大分類することができます。本日のテーマの永続という視点で経営を評価、判断致しますと、正しい経営とは何か?と、長い長い物差しをもって遠きを計った経営とは何か?この二つを追求した企業や会社が、永続継続している様であります。
 
 目先の売上規模や利益を追求せずに、永続するためには何をどうするのか?という視点や哲学をもって経営に努力された企業だけが生き残っているし、将来も生き残っていける様な感じが致します。

 今一度、立ち止まって社長の経営に対する価値観や志や姿勢を振り返って見てはいかがでしょうか。経営のコツは、はるか遠きを計ることであります。
(当経営コラムNo.81、No..82、No.83参照)
 
 「人間は自分さえ、目先さえ良ければいいとなったら、必ず行き詰まります」  (松下幸之助氏)
何回反復しても、経営の核心をついた金言であります。さあ明日から、永続を目指して船の舵を切って頂きたいと存じます。
 
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2011/12/24(Sat)

(No.138) 時間と人生の意味について (1/2)

 一般に西洋の思想や哲学では、時間は過去現在未来が一本の線のようにつながっていて、そのうちの一部が私達の人生であると考えています。しかし、そういう西洋的な考え方だと、時間というものの抽象的な理解はできますが、そういう概念では、私達が現実に生きているところの具体的な時間とは別のものになってしまう様な気がいたします。

 反対に東洋思想や哲学では、時間がどんなものかを抽象的に考える必要はなく、時間とは私達の人生の舞台そのものであり、その与えられた時間をいかに生きるかというところに時間というものの実体があり、意味があるのだと主張しています。

 この様に西洋と東洋では、時間についての概念が異なっているのに気がつきます。
つまり、東洋流を解釈しますと、その様な時間の捉え方をしますと、自分に与えられた現在の瞬間は過ぎ去ってしまえば永遠に帰ってこないから人生の中で一番大切なのは時間である。時間というものは私達の生命や人生そのものだから時間を無駄にすることは自分の命や人生を無駄にすることに他ならない。だから、何事によらず一所懸命にやることが人生のすべてであるという人生観に行きつくことになると思います。
 
 「自分に与えられた一生を無駄にするな」「時間を無駄にするな」という端的な教えを東洋思想は我々に残してくれていると思います。
 
 もう少し時間について説明しますと、時間というものはずっと続いている様でありながら、瞬間瞬間に寸断されたものであり、その瞬間瞬間が我々の人生であります。
 
 そして時間は常に自分の人生と密着しているが、次々と過ぎ去るという性質をもっています。それは今日から明日へ、今日から昨日へ、昨日から今日へ、今日から今日へ、明日から明日へと自由自在に過ぎ去っていくものです。

 そういう意味では、西洋哲学のように、時間は過去現在未来へと縦に一本に一列に並んでいる訳ではありません。私達の人生は過去から未来へつながったものではなく、瞬間瞬間に生滅しています。現在の瞬間とは、過去とも切れているし、未来とも切れている時間です。切れているから因も果もありません。

 時間軸を長くしますと、因果の法則が働いているのですが、人生とは現在の瞬間における事実があるだけなのです
 
 確かに人生を振り返りますと、過去からずっとつながっているように見えますが、実体は映画のフィルムのように瞬間瞬間の、ひとコマひとコマが私達の人生であるという見方ができます。
 
 言い換えますと、与えられた現在の瞬間にどういう行ないをするかということが人生のすべてであるということになります。時間はどんどん過ぎていくわけですから、とにかく一所懸命、目の前のやるべきことをやるしかないのです

 (次回に続きます)
   
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2011/12/30(Fri)

(No.139) 時間と人生の意味について (2/2)

 前回述べましたように東洋流に考えますと、時間と人生の価値や意義は、現在の瞬間に自分自身が一所懸命に生きているかどうかということに尽きるのだと思います。それがどうも人生のようであります。それが人生を幸福にする唯一の方法であると東洋思想は一貫した教えを残しています。東洋の古典をはじめ儒教も仏教もみんな同じことを説いています。
 
 従って、自分自身が全身全霊を打ち込めるような仕事や対象をもって、それにぶつかっていくというのが人生のようであります。それ以外に人生はあり得ないようであります
 
 私達は現実の毎日の世界に生きている訳ですから「人生」などという抽象的なものがある訳ではありません。ほとんどの人間は毎朝、起床して顔を洗って食事をして電車や車などに乗って仕事に行って、帰宅して食事して風呂に入って寝るという、ごく普通の日常生活なしに、私達の人生はありません。特別な日常生活がある訳ではありません。だから日常生活のつまらないことでも一所懸命にやっていくことが大事なことになるのです。
 
 いずれにしましても、人生とは「オギャー」と生まれてから死ぬまでの間、常に「今何をやっているか」というだけのことです。だから、一日一日の瞬間瞬間を大切にしないと人生に何も残らないことになり、自分には恐らくあと何千日、時間や人生が残っているから大丈夫という訳には、いかない様であります。ちなみに百年という長さは36,500日であります。十年などは3,650日しかなくあっという間に過ぎていく期間であります。
 
 顔を洗うことも、ご飯を作ることも、食べることも、手洗いに行くことも、仕事をすることも、学問で読書することも、経営判断して決定や決断することも一つ一つが私達の人生にとって大切な行ないの一つ一つなのです。 時間と、二度と無い人生の意味と価値を、今一度考え直してみるのも良い機会かもしれませんね。
 
 今までの論点からは少し飛躍しますが、経営的に見た場合の、時間の概念について考えてみたいと思います。

 時間とは、ひと・もの・かね・時間・情報・顧客(信頼関係のある)・社会的信用(ブランド)などの経営の七大要素や資源の一つといわれています。

 タイムイズマネー「時は金なり」とも言われ、万人に平等に与えられた資源ですが、その活用となると百人百様であり、時間の活用や時間生産性などと呼ばれています。当然結果や成果も企業によって異なったものであります。

 時間の特徴は、無限の様ですが、1年や半年で業績をしめる必要があるため有限であり、お金や物のように貯蓄や保存が不可能で再生も不可能であり、また明日の時間を前倒しで消費することもできません。ただ今日の時間や今の瞬間しか与えられていません。いかに、与えられた時間的保有能力を効率よく使い発揮能力へと高められるかにかかっていきます。

 時間の長さや量の測定は可能で一年365日、8,760時間で、どんな企業でも公平に平等に与えられた経営資源であります。その組織に従業員さんが、1人当たり年間約2,000時間相当を仕事に傾けています。(細部をながめればパートさんなどや、企業によっても、ばらつきや違いはあるでしょうが・・・) 10人ならば約20,000時間、100人ならば約200,000時間がその企業に与えられた保有時間になります。

 管理者や経営者は「時間のバンカー(銀行員)」と呼ばれます。いかに自社が保有している時間的な資源や資産を有効に効率的に活用するか、活用しているかがポイントになります。経営幹部のマネジメント能力が問われています。

 お金や利益には意識や注意が行き届きますが、時間という資産には、どうしても意識が薄れがちになります。その理由はBSやPLには時間や人についての記述が抜けているからでしょう。

 お金と物だけでなく、時間と人を加えて、これらの四つの資源を有効活用している企業は生産性が高い企業と言えるでしょう。明日から注意を喚起していただきたいテーマだと思います。

 最後に、この様な視点で今一度、トップやリーダーの方々が経営の足もとを振り返えられ、自社を分析診断なさることが今後の経営改善と発展に向けて有効な施策につながると考えています。是非とも実践なさり、体質強化・改善、さらなる成長発展なさることを心から期待しております。

 人生においても、経営においても「光陰矢の如し」の寸言をかみしめる昨今であります。
 
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