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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2012/01/07(Sat)

(No.140) 仏教哲学の根底にある「四諦論」に学び経営に活用する (1/3)

 釈迦は約2500年前にマガダ国の菩提樹の下で真理を大悟されたと言われています。
彼が一番最初に説いた教えが「四諦(したい)論」であると言われています。それだけ釈迦の教えの中では重要な教えであり哲学であります。
 
 何故かというと、私達がどの様な世界に生きているのかを説明する上で非常にわかりやすいからであります。もともと私達が生きているこの現実の世界は非常に複雑であります。この複雑な現実の世界を説明するには、この「四諦論」の中で展開されている四段階の考え方をしない限りうまく説明ができないからであります。
 
 ちなみに、道元禅師が著した「正法眼蔵」は始めから終わりまで、「四諦論」で貫かれております。この「四諦論」の説明がなければ本当の哲学は成立しないという考え方が釈迦の説いた教えには貫かれているのです。
 
 今回は東洋思想哲学の体系の一つともいわれる釈迦の教えから、またその中でも本題と言われる「四諦論」について考え、日常の生活・仕事・経営に応用ができればと思います。
 
 まず「四諦」という言葉の中の「」(たい)という字の意味についてですが、「何々が何々である」という判断そのものよりも、判断の基礎に横たわっている考え方を示す言葉、つまり人生観とか世界観とかの基本的な価値観を表す言葉であります。
 
 ところで「四諦論」とは、「苦諦」(くたい)、「集諦」(しゅうたい)、「滅諦」(めったい)、「道諦」(どうたい)という四つの考え方を説いてある思想哲学であります。

 従って「苦諦」とは「」というものを中心としたものの考え方、「集諦」とは「」というものを中心としたものの考え方、「滅諦」とは「」というものを中心としたものの考え方、「道諦」とは「」というものを中心としたものの考え方を意味しています。それぞれ独立した四つの考え方の羅列と考えてよいと思います。
 
 以下に四つの考え方を一つずつ説明したいと思います。
 
 ①「苦諦」とは、願望や理想を尊重する思想のことです。
ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたいとの願望や理想のことです。時間軸で見れば短期、中期、長期と分けることができます。領域的には、仕事、経営、健康、人生などと分野も細かく分ければいろいろな面が考えられます。

 しかし現実は思い通りにならないことが多く、現実とかけ離れることが多いものです。思い通りにならずに、人間の多くの悩みや苦しみの原因になっていきます。苦になるのは願望や理想を思ったがゆえの反作用で逆の作用でもあるのです。よって「苦諦」とは願望・理想を尊重して頭の中の世界である観念論の考え方になります。「苦」を直接説明したくだりには、かの有名な「四苦八苦」の説明がありますが、ここでは詳細は省かさせて頂きます。
 

 ② 次に「集諦」とは、“物質を尊重する思想”です。全てを物質的に捉え、物質にこだわり、この世は物質の集まりであると考えるものです。「集」とは、世界は微塵の集合、物質の集合であるという見方です。物質を追い求めて色々な刺激を感覚的に享受する物質主義や唯物論の考え方です。

 特に近世以降、科学の発達により、客観的な考え方、物質至上主義、唯物論的な考え方が人類に大きな影響を与えたことは事実であります。現代に至るまで物質面ではかなり豊かになっていったと考えてよいと思います。しかしその反面、弊害が生じているのも否めない事実であります。
 
 私達の社会は、先ほどの「苦諦」の、頭の中で考える観念論の考え方と、「集諦」の唯物論の考え方の二つによって進歩発展してまいりました。どちらをメインにするのかで対立も起きてきました。
 
(次回に続きます)

【 執筆者より、新年のご挨拶 】
 新年明けましておめでとうございます。当週刊経営コラムも早いもので四年目に入りました。読者の皆様の温かいご支援のおかげと、心より感謝しております。感想や励ましのお言葉や感謝の言葉などを賜り、厚くお礼を申し上げます。本年も一心不乱の気持ちで執筆させて頂きますので、ご愛読をよろしくお願い申し上げます。
 
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2012/01/14(Sat)

(No.141) 仏教哲学の根底にある「四諦論」に学び経営に活用する (2/3)

①一つ目の「苦諦」・・・願望や理想を尊重する思想
②二つ目の「集諦」・・・物質を尊重する思想 に続き今回は
③ 三つ目の「滅諦」の説明をします。「滅諦」とは“行動を尊重する思想”です。
「滅」とは、理想の「滅であり、物質の「滅」のことです。
 
 私たち人間は、ものを考えることを中心とした世界に住んでいますから、思想や理想を問題にします。しかし頭の中であれこれ考えていても、人生問題や事業はなかなか解決がつかないものです。考えれば考えるほど問題が複雑になり一筋縄では割り切ることができません
 
 同時にまた、私達はいろんな刺激を感覚的に捉える世界に生きていますから、感覚を重視し物質を尊重します。例えば、精神的な理想を持たずに物質にこだわって、当面、出世して偉くなってお金儲けや収入を上げることで、おいしいものを食べて、着たいものを着て、大きな家に住んで楽に生きるという生き方があります。
 
 それだけでは人生や経営の意義や価値がどこにあるのかわからなくなってしまい、物質を追い求めるだけでは、心からの幸福を感じることができなくなってしまうでしょう。
 
 しかし、私たち人間には思惟の世界と感覚の世界以外にもう一つ別の重要な世界が存在します。それが何かというと「行動の世界」です。
 
 自分のやりたいことを現実の世界と調和させながら一所懸命にやって、それを実現すること、そのために実際に行動していくことが大事で人間を幸福にするものと考えられています。
 
 「行動の世界」は、現在の瞬間瞬間の世界、つまり思惟(願望や理想)が滅した世界であり、同時に感覚や物質が滅した世界になります。この様な意味での「行動の世界」から生まれた哲学を「滅諦」と言います。
 
  時間的には現在の瞬間の世界であり、空間的には今現在いる場所の世界です。物事をゆっくり考えたり物を感覚的に確認したりする余裕がありません。
 
 つまり、「行動の世界」は、思惟を絶した考え方であり、同時に感覚や物質をも絶した考え方になります。この「滅諦」の世界、つまり現在の瞬間の行動を尊重するものが、東洋の思想哲学の特徴であります。(当経営コラム№126参照)
 
与えられた、今ここを全力投球で生きよ」という考え方につながっていきます。
 
(次回に続きます)
 
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2012/01/20(Fri)

(No.142) 仏教哲学の根底にある「四諦論」に学び経営に活用する (3/3)

 ④ 最後の「道諦」について説明をします。「道諦」とは“行動と正しさが一致した状態”のことを意味しています。

 前回で「滅諦」とは「行動の世界」における考え方だと述べましたが、私達の行動というものは、いつもそれが正しいとは限りません。ある時は正しく、ある時は誤る性質をもった行動というものが「正しさ」と合致した状態を「道」というのだと理解して良いでしょう。

 行動の大事さにふれてきましたが、積極的に行動するようになると、その行動がまずければ自分も傷つき、他人も傷つけてしまいます。人間が積極的に行動するということは簡単のようですが難しいものです。だから現実の世界を学び、自分も他人も幸福になる様な行動を見つけていく必要があるのです。
 
 自己中心的で私利私欲中心の考えでなく、他己中心的な行動、つまり利他、喜他の思想や行動が求められるゆえんであります。 ほんの日常茶飯事的な行為から仕事や経営活動などの組織の統率など様々な場面において共通テーマであります。

 一言で“正しさ”と申しましたが正しい考え方、正しい思考、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい心の状態、正しい身体の状態など、様々な正しさと我々の行動がピッタリと一致した状態を「」というのです。

 しかし、この様な状態の実現は我々凡人には決して容易なことではないでしょう。だから、それを目指して修養修業が必要であることは言うまでもありません。
 
 話は少しそれますが、企業経営活動にこの四諦論の四段階にのっとって応用するとどうなるのについて考えてみたいと思います。

 そもそも、現実の経営活動には、ステップや順番があるのです。簡単に振り返ってみることにしましょう。
 
  まず、第一ステップで経営者が目標を立てることから始まります。その目標は経営者、特にトップリーダーである社長が頭の中で考える願望であり理想のことです。将来の自社のあるべき姿を想像して目標化するステップです。「苦諦」の段階に相当します。

 次に第二ステップでは、この目標を現実のものとするために、設備投資や人的配置、資金調達などを物質的に捉えて物的条件の整備を計画立案することになります。「集諦」の段階と言えるでしょう。この集諦の段階では、頭の中で可能性があっても、現実的な束縛によってやれる範囲とやれない範囲が生じてくるのは当然であります。身の丈に応じた範囲になるでしょう。

 そして第一ステップの理想と第二ステップの物的条件の二つを突き合わせて、実現の見通しが立てば実際に着手して計画した項目を実践して日々努力を積み重ねていきます。これが第三ステップ「行動の世界」になります。「滅諦」の段階に進んだことになります。

 これらの行動が「道」に合致しており全員で努力した行動の集積が正しくて、誤っていなければ第四ステップで成果として良い結果が現れていきます。
 
  経営には必ず相手が存在します。自社も相手(顧客やステークホルダー)も幸福になる行動をとったからこそうまく運ぶものであります。先述した利他や喜他の思想の実践になります。その反対ももちろん考えられます。これが最終段階の「道諦」の世界であります。

 この様に「四諦論の哲学」の応用が経営にもビタッと当てはめることができるのです。ただただ驚くばかりで、釈迦の偉大さに感じ入るものであります。この点だけでも、世界の三大聖人と言われる意味がうなずけ納得ができます。
 
 最後にまとめとして。
「四諦論の哲学」は、あらゆる領域で活用応用が可能であります。現実の世界を説明できるものでもあります。最初はとても古めかしくて、仏教などは興味がないと感じられ、難しく感じられたでしょうが、非常にわかりやすくて理解するにも簡単であったと思います。実務上での問題発見と問題解決の尺度としても応用が充分可能であります。
 
 もし現在、苦や悩みや課題(解決すべき事柄)を抱えておられるならば、①苦諦か②集諦か③滅諦か④道諦のどの段階での問題なのかを、発見される尺度にされると整理が付きやすいと思います。

 この哲学を日常の生活や仕事や経営、ひいては人生で活かしていきたいものであります。私が常々口にしている、哲学的武装の一環であり一助になるものであります。活学を期待します。

【補足として】

 頭の中の整理をするために、「四諦論の哲学」を箇条書きにして、まとめをしておきます。

①「苦諦」・・・ 願望や理想を尊重する思想のこと。観念論の考え方。

②「集諦」・・・ 感覚を重視し、物質を尊重する思想のこと。 物質主義唯物の考え方。
        一般的にはほとんどの人が①と②の思想中心で生きていると言われています。

③「滅諦」・・・ 行動を尊重する思想のこと。行動の世界のこと。
         「滅」とは、理想の「滅」であり、物質の「滅」のこと。

④「道諦」・・・ 行動と正しさが一致した状態のこと。
      他己中心的な行動で、利他、喜他の行動が求められ、自分も他人も同時に幸せになる道を求めています。  (当経営コラムNo82参照) ③と④は、現在の指導者やトップリーダーに、今後より一層求められる思想 であります。
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2012/01/28(Sat)

(No.143) 運命は変えられるか?成功さえも“試練”である(1/2)

 運命を変えたいという人はたくさんいらっしゃいます。
もちろん運命を良い方に変えたいと思っている人がほとんどでしょう。

 その運命を変えたいという思いの裏に、いい運命と悪い運命を区別しようとする心があるということでしょう。一般的に考えると仕方のないことだと思います。
でも、いい運命と悪い運命は本当に区別できるのでしょうか?ここが一番大きな要点だと思います。

 例えば、ある人が病気になって入院したと仮定しましょう。
「入院治療のお陰で、病気が治ってよかった」と皆喜ぶでしょう。それは当たり前の話なのですけど、なかには「病気になって良かった」という人がおられるのです。
「病気になったおかげで、こんな新しい気づきが得られた。目覚め覚醒した、今までの人生観と180度変わった人生観を得られた。人間が変わった」とこう感じるわけです。

 そうしますと、病気が治ったことよりも、新たな気づきのほうが人生ではずっと大切なんじゃないかと思われるのです。

 病気という、一見不幸に見える出来事の中に、気づきという、ものすごい幸運・力・宝が実は隠されているのです。 それは病気に限らず、あらゆる人生上の出来事がそういう具合になっているのです。
 このことを昔から「人間万事塞翁が馬」(人間の幸不幸は予測ができないことの例え)と言って有名な故事になって残っています。
 要するに、幸運と不運というのは本来は分けることができないもので、幸運でも不運でもないものが、ただひたひたと押し寄せてくる。これが人生なんじゃないかと私には思えてなりません。

 このことをの動きに例えて考えて見ますと、波というのはがあったりがあったりします。
エネルギー的に見ると、山のところは位置のエネルギーが最大で、スピードのエネルギーがゼロです。
また谷のところはスピードのエネルギーが最大で位置のエネルギーがゼロです。
 
 位置とスピードの両エネルギーは、波の位置がどこにあってもその両方を足し算すると同じだけのエネルギーがあるのです。つまり同じ数字になると言うわけです。

 運命を変えたいと思う人は、その波の底である谷を逃れて、頂上にある山だけに到達したいと思っているのでしょう。
しかしそれは無理な話であり、山だけの波というのは存在しないのです。つまり幸運だけの波は存在しないのです。同じく不運だけの波も存在しないのです。幸運、不運、幸運、不運と、波のエネルギーですから循環・振動していると考えたら良いでしょう。
 
 それは、天地の森羅万象つまり万物は、常に少しずつでも変化・変易で、造化・循環しているからであります。

 人生はプラスがあれば必ずマイナスがあり、マイナスがあれば必ずプラスがあるのです。
短期で見れば一喜一憂するものですが、長い目で見れば帳尻が合って、人生はプラスマイナスゼロであります。

 そういう具合に、我々小宇宙の生命体は、いろんなエネルギーといろんな出来事を、大宇宙の創造主の計らいとして受け取って生きている、また生かされていると思われます。

 もちろん、そのことを理解したからといって、すぐに人生が変わるわけではありません。
やはり地道に自分の心を開発して、運命というものに対する受け止め方を少しずつ変えていくしかないでしょう。
 
 私が常々口にしている、「天命、与命、使命を知命して、わが運命を立命する」という「人間いかに生きていけばよいのか?いかに生きるべきか?」との人間学の神髄のテーマの追求に他なりません。 (経営コラムNo89参照)

(次回に続きます)

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