2012/02/04(Sat)
(No.144) 運命は変えられるか?成功さえも“試練”である(2/2)
前回、幸運だけの波は存在しないし、不運だけの波も存在しないと述べてきました。
もっと言及すれば、失敗(悪い運命)だけが試練でなく、成功(良い運命)さえも試練であると言うことができるでしょう。
従って、「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと考えられます。
人間にとっては、成功さえも試練の一つではないのか、と思えることです。
例えば、ある人が仕事で大成功をおさめ、地位や名声、財産を獲得できたと仮定します。
人はそれを見て、「なんと素晴らしい人生だろう」と羨み尊敬されることでしょう。
ところが実は、それさえも天が与えた厳しい「試練」の一つと考えられます。
その理由は、その人が成功した結果、地位に傲り、名声に酔い、財に溺れ、努力を怠るようになっていくのか、それともその人が成功を糧にして、さらに高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その人のその後の人生は、天と地ほどに変わってしまうのも事実であるからです。
つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試していて天の試験を課しているのでしょう。
いわば人生は、大小様々な苦難失敗や成功の連続であり、苦で悲観したり、成功に楽観したりするものですが、その人にとっては、そのいずれもが「試練」に当たるのです。
そして、私たちの人生は、その人生で織りなす「試練」を、どのように受け止めるかによって大きく変貌していくのです。例えば強い人は苦難に遭遇しても、「これは天から試験をされているんだ」と考え元気が体中から湧いてくるのです。弱い人は自暴自棄になったりします。
この様に受け止め方一つでベクトルが180度違ってくるのです。いかに日頃の生活において、ものの見方や考え方(見識)を広め深めて、実践力を伴う胆識を養っておくことが大事なのかということであります。
私たちは、苦難・失望落胆あるいは成功・得意絶頂、そのいずれの「試練」に遭遇しても、決して自らを見失わないようにしなければなりません。順境逆境を越えなければなりません。
いかに環境が順であれ逆であれ、翻弄されず右往左往しない精神力を養わなくてはなりません。
つまり、苦難に対しては逃げずに、真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。また成功に対しては謙虚にして傲らず、さらに真摯に努力を重ねる。
そのように日々たゆまぬ研鑽に励むことによってのみ、人間は大きく成長していくことができるのです。
私は、現代の混迷した社会を思うとき、私たち一人ひとりが、どのような環境に置かれようとも、
自らを磨き、人格を高めようとひたむきに努力し続けることが、一見遙か遠くに思えても、結局は社会をよりよいものにしていくのだと信じております。
最後に。昨今、政治をはじめ、日本企業の行動が世界に及ぼす影響というものが、従来とちがって格段に大きくなってきています。日本の指導者や経営者の責任が、今日では世界的に大きくなっていると感じています。
このような環境のなかで正しい判断をしていくには、指導者や経営者が、自身の心を磨き、精神を高めるよう努力する以外に道はないと考えています。
人生の成功不成功のみならず、経営の成功不成功を決めるものも人の心です。
私は、職業体験を通して人の心が経営を決めることに気づき、それ以来、知識技術テクニックのみの時務学に偏るだけでなく心や人間力をベースとした経営助言提言を実行してきました。
経営者の日々の判断が企業の性格を決定していきますし、経営者の判断が社員の心の動きを方向づけ、社員の心の集合が会社の雰囲気、社風や企業文化・組織風土を決めていきます。(経営コラムNo66~70参照)
このように過去の経営判断が積み重なって、現在の会社の状態ができあがっていくのです。
そして、経営判断の最後のより所になるのは経営者自身の心であり、人間力であることは、経営者なら皆痛切に感じていることだと思っています。感じておられない人は、まだまだ人物が深まっていない証左で「修己治人」の余地があると言うことでしょう。一歩ずつコツコツとお互いに鍛錬していこうではありませんか。
ちなみに「修己治人」とは、己自身を磨き修めて、それから先が人や組織を治め、統率することであり、人間学の眼目であります。(経営コラムNo49参照)
「人間力を高めよ、それから先が部下の指導や組織の統率であり、経営であり事業であります」
もっと言及すれば、失敗(悪い運命)だけが試練でなく、成功(良い運命)さえも試練であると言うことができるでしょう。
従って、「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと考えられます。
人間にとっては、成功さえも試練の一つではないのか、と思えることです。
例えば、ある人が仕事で大成功をおさめ、地位や名声、財産を獲得できたと仮定します。
人はそれを見て、「なんと素晴らしい人生だろう」と羨み尊敬されることでしょう。
ところが実は、それさえも天が与えた厳しい「試練」の一つと考えられます。
その理由は、その人が成功した結果、地位に傲り、名声に酔い、財に溺れ、努力を怠るようになっていくのか、それともその人が成功を糧にして、さらに高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その人のその後の人生は、天と地ほどに変わってしまうのも事実であるからです。
つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試していて天の試験を課しているのでしょう。
いわば人生は、大小様々な苦難失敗や成功の連続であり、苦で悲観したり、成功に楽観したりするものですが、その人にとっては、そのいずれもが「試練」に当たるのです。
そして、私たちの人生は、その人生で織りなす「試練」を、どのように受け止めるかによって大きく変貌していくのです。例えば強い人は苦難に遭遇しても、「これは天から試験をされているんだ」と考え元気が体中から湧いてくるのです。弱い人は自暴自棄になったりします。
この様に受け止め方一つでベクトルが180度違ってくるのです。いかに日頃の生活において、ものの見方や考え方(見識)を広め深めて、実践力を伴う胆識を養っておくことが大事なのかということであります。
私たちは、苦難・失望落胆あるいは成功・得意絶頂、そのいずれの「試練」に遭遇しても、決して自らを見失わないようにしなければなりません。順境逆境を越えなければなりません。
いかに環境が順であれ逆であれ、翻弄されず右往左往しない精神力を養わなくてはなりません。
つまり、苦難に対しては逃げずに、真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。また成功に対しては謙虚にして傲らず、さらに真摯に努力を重ねる。
そのように日々たゆまぬ研鑽に励むことによってのみ、人間は大きく成長していくことができるのです。
私は、現代の混迷した社会を思うとき、私たち一人ひとりが、どのような環境に置かれようとも、
自らを磨き、人格を高めようとひたむきに努力し続けることが、一見遙か遠くに思えても、結局は社会をよりよいものにしていくのだと信じております。
最後に。昨今、政治をはじめ、日本企業の行動が世界に及ぼす影響というものが、従来とちがって格段に大きくなってきています。日本の指導者や経営者の責任が、今日では世界的に大きくなっていると感じています。
このような環境のなかで正しい判断をしていくには、指導者や経営者が、自身の心を磨き、精神を高めるよう努力する以外に道はないと考えています。
人生の成功不成功のみならず、経営の成功不成功を決めるものも人の心です。
私は、職業体験を通して人の心が経営を決めることに気づき、それ以来、知識技術テクニックのみの時務学に偏るだけでなく心や人間力をベースとした経営助言提言を実行してきました。
経営者の日々の判断が企業の性格を決定していきますし、経営者の判断が社員の心の動きを方向づけ、社員の心の集合が会社の雰囲気、社風や企業文化・組織風土を決めていきます。(経営コラムNo66~70参照)
このように過去の経営判断が積み重なって、現在の会社の状態ができあがっていくのです。
そして、経営判断の最後のより所になるのは経営者自身の心であり、人間力であることは、経営者なら皆痛切に感じていることだと思っています。感じておられない人は、まだまだ人物が深まっていない証左で「修己治人」の余地があると言うことでしょう。一歩ずつコツコツとお互いに鍛錬していこうではありませんか。
ちなみに「修己治人」とは、己自身を磨き修めて、それから先が人や組織を治め、統率することであり、人間学の眼目であります。(経営コラムNo49参照)
「人間力を高めよ、それから先が部下の指導や組織の統率であり、経営であり事業であります」