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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2013/03/02(Sat)

(No.200) どうすれば組織を より活性化できるのか? (その3)

前回の(1)「指令系統統一の原則」に続き、残りの組織運営の原則について述べていきます。
 
 (2)「統制限界の原則」  二つ目の統制限界の原則について。
 
 この原則はコントロール・スパンとかスパン・オブ・コントロールといいます。一人の管理者が管理できる部下の人数には自ずと限界があり、この範囲を逸脱すると適切な管理ができないことを主張したものです。例えば20人や30人を一人で管理することを想像していただければ意味が理解できると思います。
 
そうかと言って、あまり小さな単位で管理をさせると一対一になり、かえって無駄が発生しますから、「統制限界の原則と無効果性の原則」ともいわれる原則です。では何人ぐらいが適切なのかについては、この限界値は仕事の内容=職種により異なったものになりますから、一概に決めつけることが出来ないものであります。
 
現在は意志決定を早めるために、組織の階層を重ねずにフラットな組織が多いようです。しかし一長一短がありますので自社にあった適切な組織を編み上げる様にして下さい。
 
 (3)「責任明確化の原則」  次に三つ目の責任明確化の原則について。
 
 責任すなわち職務範囲と達成水準を明確に定めることを主張したものです。これを明確にしておかないと、ある2人の職務領域が重なり合っている場合には、お互いに譲り合いをしたり、反対に自分の職務ばかり主張していさかいを起こすなど、職務遂行に支障をきたす恐れがあります。
 
この原則を理解する上において、一つだけ注意を要することがあります。それは、「責任はそれと同じ大きさの権限によって裏打ちされる」ということです。つまり、部下には責任を全うする義務と同時に、失敗する可能性を容認される権限があるという意味であります。
 
責任と権限については別途次回に説明をしたいと思います。
 
 (4)「職務割り当ての原則」  次に四つ目の職務割り当ての原則について。
 
この原則は、以下の3つの基本原則から成り立っています。
       整合性は? 割り当てられた各々の職務は、本来の企業目的に対して整合性のとれたものでな
ければいけません。
 
       能力向上は? 職務割り当ては、個々人の能力向上を考慮に入れて行わなければいけません。
ここで注意を喚起したい事は、あなたは部下に仕事を与える時は、いつも部下の能力が向上するように考えて与えておられるかどうかと言う点です
 
以外とマンネリに陥ってしまって出来ていない人が多いのではないでしょうか?意識もせずに指示や命令を下しているものです。これでは部下や担当者の能力向上は難しいでしょう。仕事を通じて人は向上していくものであります。現状を振り返って見られることを提言したいと思います。
 
 ③ 非重複性は? 割り当てられた職務が、他と不必要に重なり合っていてはいけないということです。
 
 以上2回にわたって述べてまいりました(1)指令系統統一の原則(2)統制限界の原則(3)責任明確化の原則(4)職務割り当ての原則の「4つの組織運営の原則」を満たした組織運営がなされているか否かを、経営者や幹部は常に気をつけていなければいけません。
 
何か一つでも気づきがあれば、即実践で組織の活性化をなされることをお薦めしたいと思います。
「知っている」と「出来ている」とは、全く次元が異なることを思い出して下さい。「知行合一」と言って「本当に知っているとは、実践が伴っている事である」と言う事なのです。
 
   (次回に続きます)
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2013/03/09(Sat)

(No.201)  どうすれば組織を より活性化できるのか? (その4)

前回までの「組織運営の原則」の4項目に続いて「責任と権限」について説明を続けていきます。
 
責任とは? 権限とは? について述べていきます。
 
 人はある職位に就くと、様々な仕事(職務)を担います。そして、それに伴い彼は自分の仕事を果たす「責任」(職務責任)も担うことになります。
 
そこで、彼にはその「責任」を果たすにあたっての必要な力が与えられます。それが「権限」(職務権限)であります。

 彼は、自分に与えられた権限を利用して、仕事を果たそうと努力します。そして、一つの仕事が終了します。その結果について、彼は自分の当初の責任をどの程度果たせたか、という責任が問われることになります。これが「結果責任」であります。
 
 この様に、責任、権限、結果責任は三者とも対応しているのです。つまり、責任が重ければ、それに対応した権限が付与されるべきで、それがあってこそ初めて結果責任を追求することができるのです。
では一つずつ見ていきましょう。
 
(1)   「責任とは?」 (手段的責任)
 
「責任明確化の原則」で説明しました様に、責任とは職務範囲とその職務の達成水準のことであります。必要最低限の仕事の事でもあります。この場合の責任は「手段的責任」と呼ばれています。あまり普段聞き慣れない言葉かも知れません。後述いたしますが、結果責任である「目的的責任」とは区別されて使われています。
 
少し具体例を示しますが、ビルの守衛さんの仕事を想像して下さい。何時にA地点、何時にB地点の見回り点検をするとあらかじめ決まった仕事があったとします。これらの決まった仕事をきちんと時間と場所を守り巡回監視して点検することは手段的責任と呼ばれます。もし、この手段的責任が果たされていない時には、その守衛さんは徹底して責任追及がなされても仕方がありません。
 
蛇足になりますが、この際、皆さんの手段的責任を振り返ってみられては如何でしょうか。以外と曖昧なものであり、実行が出来ていない仕事もあるかも知れませんね。
 
(2) 「権限とは?」
 
責任の認識と同じく不明確なのが権限の認識であります。権限とは手段的責任を通して目的的責任、つまり結果責任を果たすのに必要な能力のことであります。この結果責任(目的的責任)についての解説は次回にゆずりたいと思います。
 
 一般に組織運営では、各自に割り当てられた部分目標が達成されないと、全体目標の達成も期待ができません。
 
期待されている目標を達成するためには、時には敢えて危険を犯すことも必要であります。職務遂行責任者に、ある程度の危険を犯す権限が保障されていないと、彼は必要な意志決定を自由にできなくなる恐れが出てきます。
 
この考えは、以前の経営コラム「作戦要務令に学ぶ指揮の要訣について」で述べましたように、「大いに独断活用の余地を与えること」と同じ事であります。(当経営コラムNo185をご参照下さい)
 
従って、小さな誤りについてはこれを容認し、職務遂行責任者が必要な意志決定を自由に行うことを保障しようというのです。よって、許容された範囲であれば、経営者または幹部は部下を叱ったり批判をしては決していけないことになります。
 
俗に言う権限の委譲」を行なって、本人がやる気をアップさせ、能力を充分に発揮して、組織の活性化・効率アップを図り、業績を向上達成させようとの意図がはたらくものであります。
 
(次回に続きます)
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2013/03/16(Sat)

(No.202)  どうすれば組織を より活性化できるのか? (その5)

前回の「権限とは?」に続いて(3)「権限とは与えられるものではない」の説明を致します。
 
  一般的によく耳にする言葉で「責任ばかりが大きくて、権限はほとんど与えられていない」と聞くことがあります。実は権限は大きく2種類に分かれています。一つは設備や部下など眼に見える有形のものを動かして有効活用する権限と、二つ目は意志決定権や命令権などの無形のものがあります。
 
この無形の権限というものはその人の能力になり、その人が基本的に持っている能力そのものに落ちていくものなのです。権限とは与えられるものと考えがちですが、本質は与えられるものではないのです。ドキッとなさるほどの重大なテーマなのです。
 
少し補足を致しますと、「実体は部下が上司の権限を決めている」と言うことであります。命令権があるということは命令した通りに部下が行って初めて命令権があると言えます。命令を実行するのは部下であり、その部下の考え方、理解の仕方によって命令は左右されるのです。逆に考えれば上司が部下にどう思い、考えさせるか、納得させるかという能力が権限の本質になります。
 
この様に権限とは、その人自身が基本的に保有して身に付いた発揮能力のことをいうのです。決定する以前の保有知識・情報分析力・判断力・指導力・断行力などが必要になります。組織から求められている力なのです。「権限あって能力なし」や「肩書きだけで実力なし」では話にならないのです。簡単に「権限の委譲」とか「事業の承継」などと口にしますが本質は恐い言葉なのです。
 
前述の「責任ばかり大きくて権限はほとんどない」などと日頃、考えたり口に出す人は、素直に自分自身を、また自分自身の能力を告白している言葉なのです。表面上の責任や権限という前に奥に潜んだ深い意味を理解することが、社長を初め経営幹部の方々に求められているのです。
 
同族企業で割とスムーズに親の後を引き継いで、社長や専務を拝命された方は特に肝に銘じておいて下さい。自信のない方は毎日が勉強の連続でありますから、日々鍛錬をなさって下さい。努力あるのみです。遊び回るのは二の次なのです。
 
(4)「結果責任とは?」 (目的的責任)
 
前回の守衛さんの例にもどりますと、定時刻に必要な場所をチェック点検することは「手段的責任」でありました。しかし彼は数時間ごとに確実に巡回点検という責任を果たしたにもかかわらず、そのビルで盗難や火災が発生したとすれば彼の責任は一体どうなるのでしょうか?この様な防犯防災という「目的的責任」のことを結果に対する責任「結果責任」と言います。
 
 ほかの事例で説明しますと、例えば、多額の開発プロジェクトを任せている部下が、その仕事が上手く行かずに失敗して、会社に多大な損害を与えたと仮定します。この時、その部下は会社に与えた損害を賠償しなければならないのでしょうか?
 
 もしも、失敗した者に賠償責任が求められるのであれば、少額であるならまだしも、多額の賠償金を支払うことはほとんど不可能であると言えます。この意味で言うのであれば、一般の社員は真の意味においての結果責任をとることができないということになります。
 
この2つの事例の様なケースでは、当然、社長トップ結果責任を負うことになります。上層部になればなるほど職務権限も大きいものですが、結果責任(目的的責任)も大きいのが原則であり、当たり前の事であります。金額があまりに大きいケースでは企業破綻もあり得るのです。
 
そこで教訓として意識して欲しい事は、「社長たる者は、事件や事故に関わらず、有事の際の自己を普段から知っておく必要がある」と言うことです。何故ならば、無事・平時の際の自己をいくら知っていても、いざという時には全く役に立たないからです。
 
 それでは一般の社員が、失敗を犯した時に、組織が彼に求める責任とは何でしょうか?それは彼が「多いに反省し、次からは失敗をしない様に、一所懸命に本気で仕事に励むこと」に他ならないのです。
 
通常の会社組織では、各部門の果たすべき仕事としての手段的責任職務分掌規定で示されているものです。が、各部門の目的的責任は何かと言う点になると、ほとんどの企業では不明確であります。
 
 つまり組織単位ごとに結果責任(目的的責任)を明確にし、徹底しなければ理想的な組織運営は出来ないし、組織活性化も簡単には出来ないことを理解して頂きたいと思います。
 
最後になりますが、社長やトップが人間的に優しいが故に甘くなり、厳しさが不足し、ぬるま湯に浸かったような組織が多い様です。幹部から若い人まで、「上司の言うことを聞いていれば給料はもらえるだろう」という甘い意識でしかない人が多いものです。
 
外の環境が厳しいのに、内部の環境に厳しさが欠けている組織では、苦境や逆境を乗り越えて行くエネルギーを期待するなどは夢物語にしか過ぎません。優しさ厳しさ、両面持ち合わせて初めて本物の社長や経営者・幹部と言えるのです。さて、あなたは両面を備えておられますでしょうか?
 
 
 
★ より詳細についてのお問合せ、ご意見、ご感想がございましたら、お気軽にメールでのお問合せをご利用下さいませ。お待ち致しております。  
経営コンサルタント 山口一道 宛のメールアドレスは右記です。 mailto:yamacon@har.bbiq.jp
 
 
 
【 補足の資料添付について 】
 
お陰様で「経営学」のカテゴリーも80回を越えました。今回のコラムは「経営組織論」の分類になります。
今後、皆様が経営の基礎であり基本で、かつ重要なテーマをぜひ身に付けて頂き、活学して事業発展を実現なさることを心から祈っております。
そこで何時でも手軽に振り返りが出来るように過去の重要なテーマを並べてみました。リンクしていますのでクリックしてご活用下さい。
 
(経営管理編)日常の仕事や管理の仕方について。
 
 
(組織風土編)組織風土と経営戦略は発展の必須2大要件です。一方が欠けても進展発展はありません。
 
 
(経営戦略編)中期経営計画の説明とその必要性について。中経のない会社に明日の発展はありません。
 

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2013/03/23(Sat)

(No.203) 本気にならなければ人生は虚しい (1/3)

仏教詩人の坂村真民氏に「本気」という詩があります。ご紹介してみましょう。この詩は人生において、人間として如何に生きるべきかに関して、自分の姿を照らし出そうとする男の戦いの詩であります。
 
本気になると世界が変わってくる 
自分が変わってくる
変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ
本気な恋 本気な仕事 
ああ人間一度 こいつをつかまないことには  という詩です。
 
私が好きな詩であります。私は職業柄、人の意識を変えていただき(自己変革)、企業を変えて改善(経営改善)し、その結果として世の中を少しでも住みやすく、創造成長発展させるにはどうすれば良いのかを日夜考え続けていますので、その答えとして核心をついた詩であるからです。もちろんキーワードは「本気」という言葉であります。
 
 この詩は、自分を取り巻く世界が変わってこなかったら、まだ本気になっていない証拠であり、だから環境を鏡として、もっともっと自分を掘り下げなければいけないと我々に教えているのです。
 
ところで、本心から決意した人間が発揮する力はすごいものがあります。人間の能力の差は、学業でいい成績を修めたかどうかではなく、魂の底から決意したか否かにあると言っても過言ではありません。
 
人間本気になれば、やれないことはないのです。不可能なものは何一つありません。ただ自分が不可能思考の習慣で「無理だ、それは不可能だ」と思考したり、意識付けや条件付けをしているだけに過ぎないのです。
 
そもそも世の中で成功を成し遂げた人達の意識の中は、全て「できない」ではなくて「できる」と、常に信じ続けていた人達ばかりです。可能思考の達人ばかりです。
 
一方、普通の人間の意識や脳は、他人から聞いた情報や言葉、それに自分の過去の失敗データの記憶やイメージが潜在意識の中にインプリント・刻印されてる人が多く「実現したいが、やはり無理だ、できっこない」とマイナスイメージに支配されている人達が多いのです。要は不可能思考論者で可能思考論者ではないからです。(当経営コラムNo193をご参照下さい
 
少し横道にそれますが「この普通人の意識と脳」を「成功する意識と脳」に変えてくれるのがイメージの力になります。想像や思念の力、つまり想念の力を活用するのです。スポーツの世界では今や当たり前であるイメージトレーニングのことです。
 
例えば梅干しを想像してみて下さい。食べる前から自然に唾液が出てくるでしょう。そうなのです、全て梅干しの過去のイメージが潜在意識に刻印されて記憶されているからこそ唾が出てくるのです。人間の脳は単なるイメージと現実の経験をしばしば混同してしまう特徴と特技?があるのです。それを応用するものがイメージトレーニングといいます。
 
 だから想念の力を利用したイメージが鮮明であればあるほど脳はそれを現実だと錯覚してしまうのです脳の錯覚現象を多いに活用して「できない無理だ」と諦めている「普通の意識や脳」を、成功者と同じ様な「成功できる意識や脳」へ変えることが出来ると言われているのです。
 
 そう言えば昔の聖賢達もこれらの理論と同じ様な意味の言葉を残しています。
 
「切に思うことは必ずとぐるなり」
「思いは必ず実現する。思わないことは絶対実現しない」
   「人間は何事も自分で考えた通りになる。自分が与えた暗示の通りになる。できないと思うものはできない。できると信念することは必ずできる」
 
 などと語っているのです。現代の様に科学も進んでいない時代なのに、ただただ聖賢の凄さに頭が下がるだけであります。
 
脳の錯覚現象に関しては、現在ではスポーツの世界だけでなく経営の領域でも応用活用が進んでいます。皆さんもご自身でイメージの力を試して見られてはいかがでしょうか。効果が出れば嬉しいことではないでしょうか。
 
 しかし、前述しましたが、人間本気になりさえすれば、イメージトレーニングをしなくてもやれないことは何一つないのであります。
 
(次回に続きます)
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2013/03/30(Sat)

(No.204) 本気にならなければ人生は虚しい (2/3)

「本気」になると言うことは性根(ショウネ)が据わる、魂が変わると言うことでもあります。ところが人間はなかなか決意をしないのです。いや自分ではどうしても出来ないのです。
 
「本気にならなければ一生を、のほほんと過ごしてしまう事になるのでは?」と頭では理解してはいるのですが、ついつい以前と同じ様な時間を繰り返してしまい行動が変わらないのです。
 
理解と行動は全く次元が異なっていて、それらを司っている脳の場所も異なっているのです。もう数十年も前から大脳生理学では科学的に実証されていて今では常識になっています。
 
人間は追い込まれ、土壇場に立たされ、崖っぷちに立たされて、初めて決意し性根が入ります。経営者であれば、それが倒産という形でやってくるのか、一般庶民なら生死の境をさまよう大病という形でくるのか、あるいはサラリーマンなら左遷という形で来るのか、人間には一切分からないものです。
 
 分からないけれど崖っぷちに立たされて初めて性根が入るのは事実であります。そこから人間は生まれ変わったように、一心不乱の行動や働きをするようになっていきます。一度、奮起した人間は、今度は強いものです。少々のことでは、へこたれないし愚痴もこぼさない、「やるしかない」と魂の底から自覚していますから「寝ても覚めてもただ一筋」という生活が始まって行きます。
 
 さあそこで問題であります。いかにしたら性根が入るような立場に立たされるのだろうか?と言う点であります。人間は自分に甘いもので、自分で自分を追い込めないのが人間であります。従来通りのやり方でまだまだ通用すると思っているから変えようとはしないのです。
 
 そこで考えて頂きたいことは、東洋思想でいうところの「天」という存在や概念が生きてくるのではないかと言う点であります。「天」というのは私をこの世に送り出してくれた、科学では解明できない不可思議で神秘的な力としか言いようのない、何か偉大な見えざる力の概念であります。
 
 日常の生活において、私達は人間関係で気まずくなったり裏切られたり、ビジネスにおいては、売掛金が回収できなかったり、運悪く不渡り手形をつかまされたりして、「あの野郎」と怒り心頭になることがあります。
 
 また、組織においては、上司に評価されなかったり、左遷されたり窓際に追われたりすると意気消沈します。顧客とのトラブルが発生することもあります。会社が倒産したりすると経営者も従業員も悩みは一層深刻になります。まだまだ数え上げたら、怒ったり悲しんだり意気消沈することは沢山あるでしょう。
 
 しかしそれらのことに、もし「天」が関与していると考えたらどうなるのでしょうか?
 
 「天」は私のことを一番良く知っていて、「この男はここらで性根を入れなければ、将来にわたってもう一回り大きくはなれない」と観察しているのかもしれません。「性根を入れるために絶対絶命の崖っぷちに立たせる必要がある」と思っているのかもしれません。
 
 だから「天」は私をそういう立場に追い込んだのか。そうか、あれは「天」の配剤なのか、警告だったのか、「天」からのお恵みであり、お導きで、気づかせの一つだったのか。天を恨むなんてとんでもないことで、あれは感謝すべきことだったのか。
 
 とこの様な「天」との会話が生きてくるのです。そう言えば昔から「お天道さんは全て見ている」と言っているし、「天に棄物はなし」といって、全てに意味があり全て必要だからこそ起きているんだ。全ては必然であり、「無駄なものは一切無い」と言うではないか。
 
 これは真理なんだ。「感謝することもないのに喜べなんて無理だ」と思っていたが、それは私が真理に気づいてなかった証拠なのだ。とこの様な考え方が人間にとっては活力となりエネルギーとなっていくのです。
 
 人は苦境に会えば、初めはうろたえ取り乱し不条理だと嘆き、あるいは相手に対して怒り狂うかもしれませんが、感情の嵐が収まってくると冷静に考え始めます。そうして、起こったことは仕方がない、もう受け入れよう、そこからしか始まらないのだと自覚します。人を恨み自分の不運を悲しむのをやめ、自分の持ち場で最善を尽くそうと努力が始まっていくのです。
 
 この様に天とのコミュニケーションを通して自己を掘り下げることによって、その人は「本気」になり性根が据わっていき、人間力が育成されて信頼できる風格がそこから育って行くのです
 
 そうなのです、「人間を相手」にしているとどうしても不平不満がでてしまうのです。期待したけど裏切られたと思い、人が信用できなくなり、しまいには自分の表情も暗く厳しくなっていくものです。
 
 ところが「天を相手」にして、物事を見るようになると人間界のことで一喜一憂することがなくなって行くのです。人が見ていようが見ていまいと、そんなことに一切左右されずに自分の誠心誠意が尽くせるような真から強い人間になっていくものです。
 
 こうなれば先の憂いは消え失せて、言う事なしで、ありがたいものであります。人生がどれだけ良い方に変わっていくかの分岐点になることでしょう。従って何事に対しても「人を相手にせず天を相手にして」生きていこうではありませんか。
 
(次回に続きます)
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