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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2013/06/01(Sat)

(No.213) 成功社長から学ぶ最強の5つの力とは? (4/5)

  4つ目の力は、真の成功者が必ず持っている力「喜他の力」についてです。
 
私は常々「自喜喜他という言葉を口にします。その意味は、「自喜とは喜他を言う」ということで、他の人が喜ぶことをもって自分の最上の喜びとするという意味で人生観を表した言葉であります。
 
人生を生きる上で人間として一番大切なもの」そして「真の成功者が共通して必ず持っている資質とはいったい何でしょうか?考えて見たいと思います。それは「喜他の力」になります。
 
最澄伝教大師の言葉である「自利利他」という教えもあります。これは「自利とは利他を言う」という意味であり、他に利益や満足を施す力である「利他の力」が源泉となるもので、他を喜ばす力「喜他の力」と似ていると思います。
 
今回のテーマである「喜他の力」とは聞きなれない言葉かもしれませんが、読んで字の如く「他人を喜ばせる力」のことになります。
 
 私はこの視点で世の中を見渡してみますと、いまの日本人は「あの人を喜ばせてあげたい」「この人を楽しませてあげたい」という気持ちが昔に比べて弱くなっているように思います。自分さえ、自分の家族さえ、自分の会社さえ、良ければそれで充分であると考える自己中心重点主義の価値観が蔓延しているように思えてなりません。
 
先ほども少し言及いたしましたが、真の成功者たちは価値観や人生観の優先順位の一番を「自分」ではなく、「他人」にしています。そして、すべての行動のベースに「他人を喜ばせよう」という動機があります
 
他人のために軸足を置いて頑張ることが、ひいては自分の幸せにつながることを知っているからなのです。つまり自分が幸せになり、心から喜びを感じたいのなら相手や他人を幸せにして喜ばせることが大切になることを哲学として身に付けているのです。
 
そのためには他人を喜ばせる力、「喜他の力」を付けることが必要であり大切になっていきます。この様に真の成功者は誰からも教えられずとも、自分を幸せにしようと思うなら他人を幸せにすることであると心得ているのです。
 
そう言う意味で学ぶべきは、今後は我々ももっと「喜他の力」を養うことが求められて行くでしょう。経営面ばかりでなく日常の生活においても、初めにテイクありきの考え方ではなく、まずギブあってこそのテイクの精神や、自分のためだけのフォーミーでなく、あなた・あなた方のためにというフォーユーの精神などの心を備える必要があるといっても良いと思います。
 
自己中心第一主義で「自分を喜ばせる幸せ」だけを追求した毎日では、「マイナス感情」が発生するのです。なぜならば、人は人とのつながり無しでは生きていけないからです。人間は社会的動物であり決して一人では生きられないからです。まして「自分を喜ばせる幸せ」だけを追求している人は、他人を好きになれない人が多いのも事実です。
 
だから徐々に孤独になっていき、やがて、自分の心に穴が開いてしまいます。一方で「自分以外の他人を喜ばせる幸せ」を追求している人は、次のような特徴や能力を備えている人に成長していきます。
 
     自分自身が好きになる 
     自分の人生観は間違っていないという信念があるため自分が信じられる つまり自己を信じる力である「自信力」を持っている(これは1つ目の力のところで説明いたしました)
     自分の苦労が気にならなくなる 「積極的自己犠牲」ができて割に合わないことでも平気で取り組める人になっている(3つ目の力で説明いたしました)
     そのプロセス自体が現実的に他人を喜ばせるから、努力が報われていき、またその結果として充実感と充足感、引いては常に生き甲斐を感じて生活している
     努力することを「本気」で楽しんでいる 単なる労働でなく喜働の人になっている (3つ目の力で説明いたしました)
     助けてくれる人が現れる 他に共感を与えるため、波動の共振・共鳴が起こり、共時性(シンクロニシティ)が働くようになっていき賛同者や仲間が自然に増えていく
 
この様に良いことづくめで良循環・好循環していくのです。その結果として大成功者や真の成功者へと道が拓けて行くのです。
 
これとは逆に「自分を喜ばせる幸せ」のためだけに頑張っている人は、うまく行かないことがあると、「マイナス感情」に陥ってしまうことになるでしょう。「もうできない」「もうダメだ」と弱気になってしまいます。良循環どころか悪循環に陥ることになっていくのです。
 
ところが「心の支えとなる人」がいれば、そのようなマイナス感情は生まれません。「あの人のためなら頑張れる」そういう心の支え(=喜ばせたい誰か)を持つと、とてつもないパワーが出てくるものであります。
 
(次回に続きます)
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2013/06/08(Sat)

(No.214) 成功社長から学ぶ最強の5つの力とは? (5/5)

 5つ目の力は、「ツキの力」になります。大成功者には何故か「ツキの力」まで持っているのには驚かされます。
 
 最後のこの力は、運や運勢とでも言いますか「ツキの力」です。大きく成功する社長は、周囲の抵抗に合おうと、経営環境が順境であっても逆境であろうとも、すべてを味方につけて成功しています。「我以外 人みな 我が師である」の実践者であります。
 
人や会社にとって、運勢があるかないかは非常に大切であります。会社の運勢はトップや社長の運勢に他なりません。トップに運勢があるか否かでその会社の消長が決すると言っても過言ではありません。
 
こんな話は神頼りで非科学的に聞こえるでしょうが、決してそうではありません。何をやっても上手く行く、いわゆる運や運勢がある人はツキがある生き方をしているからです。人が寄ってくるということは運勢があるということなのです。
 
良い運勢を呼び込むためには、独り瞑想し静かな時を持ちましょう。毎日が忙しくて、騒がしくて雑音の中ばかりで過ごしている人は、自分を深く見つめたり、自己を深く掘り下げて考えてみたり、物事の本質に触れることが少なく枝葉末節にとらわれがちになってしまいます。
 
 静かに沈潜して、明日会う人の事を思い浮かべ自分との出会いがその人にとってプラスになるように祈りましょう。その人の幸せを祈りましょう。自社の商品やサービスを使ってくださる人が一層幸福になる事を祈りましょう。
 
祈るとは人の幸せを心から祈ることをいいます。己のこと、己の幸せを祈ることは二の次なのです。まず他人ありきなのです。
 
 そうすれば、その事によって相手の人生が一層好転し、自分もまた清々しい人間になっていく、こうなれば運勢はついてこざるを得ないのです。それが良い運勢を呼び込む原点なのです一言でまとめると相手の幸せを祈ると運勢がつくと言うことなのです。
 
要するに成功する社長は誰もが共通して「必要な時に、必要な人と出会ってしまう」という「ツキの力」を持っています。「類は友を呼ぶ」と言って同じ波長・波動の人はお互いに引きつけ合い集められます。だから良い人と付き合いたいと思えば、自分から発信している念波・波動である、自己の思いや想念のレベルを上げることが大切なのです。
 
ビジネスや経営における最大の“ツキ”は、人との“出会い”です。成功者は間違いなく全員出会いを大切にしている人達ばかりです。人と人が出会う確率は天文学的な数字になります。なにせこの地球上には約70億人が生息していると言われています。一人の人との出会いは70億分の1の確率なのです。出会いを大切に考え大切に接しなければならない意味が頷けるものです。
 
また“出会い”とは“財産”であります。世の中には、お金が入ってきたときだけ儲かったと思う人がありますが、その考えでは絶対に成功者にはならないと言われています。実は人との“出会い”こそが最大の儲けなのです。最大の財産になるのです。
 
 もしあなたが今から成功者を目指すならば、それを可能にしてくれる誰かと出会うことが必ず必要になってきます。だから人との“出会い”を積極的に作りに行くことは、実は大変重要なことであり、あなたの将来まで変えていくことになるのです。
 
「人生の極意は人との出会いである」とも言います。「縁尋機妙」(エンジンキミョウ)とも言われ、良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展して行く様は誠に絶妙なものがあるとの意味です。「道が拓けないのではない、良きづくりをしないからだ」とも言います。は自分から拓くものであります。
 
最後になりますが、そのカギは「熱意」になります。松下幸之助氏が言っておられます様に「熱意は磁石」なのです。強い熱意や熱心さは、まるで磁石が周囲の砂鉄を引きつけるように、周囲の人を引きつけます。
 
よって、仕事に「本気」で熱中している人は、誰かが見ているが如く、大きな力が働いているかの如く、ここぞという時に、ふさわしい人物と“出合い”それをきっかけにして一段上のレベルに上がっていけるのです。
 
 どうか皆さん、人との出会いを大切になさって下さい。またどうか、縁を大切に育てるようになさって下さい。将来みなさん全ての方々が、大きな成功を手になさり幸せになられることを、心からお祈りしながらまとめと致します。ありがとうございました。
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2013/06/15(Sat)

(No.215) 今こそ 二宮尊徳に学び 経営に活かそう (その1)

 いま、二宮尊徳に何を学び、現代の経営や事業に如何に活用すれば良いのだろうか?という視点で考察をしていきたいと思います。
 
まず、二宮尊徳の人物と生涯について概要を知っておきたいと思います。 
 
本名は二宮金治(次は通称) (1787年-1856年70才で没 江戸時代末期の人物)以後、尊徳(ソントク 晩年はタカノリ)と名乗りました。14才で父、16才で母を失い、生活基盤が崩れたため、貧困生活で金銭の重みを、いやと言うほど味わった人物。だから幼少にして金銭収入を増やすこと、学問を身に付けることに骨身を削った生活を実践し、23才で二宮家の再興を果たし以前と同じ様に地主になっていきました。
 
弱冠9才から中国古典の「大学」や「論語」を読み続け、独学で学問を身に付けていきます。刻苦勉励し毎日コツコツと「積小為大」の努力を重ねていき、ついに身分の壁を乗り越えて世に認められ、封建時代では珍しく農民から役人へと引き立てられ、56才で徳川幕府の幕臣へとなっていきます。スムーズに出世したわけでなく、常に逆境と辛苦の連続であったといわれています。
 
彼は財政が逼迫した藩や村の再興を請け負う仕事を引き受けていきました。今で言うところの財務経営力の力が抜きん出ていたためでしょう。彼が手掛けた再建先は、600以上の藩国郡村に及ぶと言われ、貧窮した農民や各藩を見事に復興させた実務家であります。再建の名人、再建の神様と言われ、人生全般を貧窮の救済と世の中の発展の為に奔走する生涯を送った人物であります。
 
 それこそ今では信じられませんが、我が命と我が財産を全てつぎ込んでの、自己を他己のために犠牲にしてまで、生涯を全うした希有な人物であります。我が国にこんな大人物が存在したのかと驚かざるを得ません。私も小学生の頃、校舎の前に立てられた銅像を見て名前は聞いていましたが、彼の人物や業績を研究すればするほど抱いていた印象がことごとく否定され覆されて行った思い出があります。
 
 彼は現場第一主義の再建コンサルタントの元祖とも言えます。現代で言えば指導した会社を一社も潰さなかったと言うに等しい快挙でありました。150年以上を経た今でも、彼の残した思想は現代まで営々と引き継がれていて、明治大正昭和と時代を超えて多くの実業家経営者に多大な影響を与えてきました。
 
 現代の我が国は経済的大国といわれていますが、そのルーツをたどれば二宮尊徳に辿り着くと言っても過言ではありません。それは彼の影響を受けた人を知れば知るほど驚きの連続で、その様な考えが固まっていきました。
 
 名前を挙げれば皆さんがご存じの方ばかりであります。もちろん我が国の経済産業の発展に尽力貢献された方々ばかりであります。
 
 例えば全国的に有名な方々では、松下幸之助、渋沢栄一(我が国初の株式会社 第一国立銀行創立者・資本主義の父)、安田善治郎(安田財閥の創始者)、豊田左吉(トヨタ自動車創業者一族)、土光敏夫(石川島播磨・東芝の再建・経団連会長・臨調会長)、御木本幸吉(世界の真珠王)、鈴木馬左也(住友財閥総理事)、荘田平五郎(三菱財閥中枢)、早川千吉郎(三井財閥中枢)の各氏。
 
 その他、書けばきりがないほど多数の各氏がおられ、現在でも二宮尊徳の思想や理念が脈々と生き続け、経営に活用されて引き継がれているのには驚きと感嘆を感じております。仮定の話で申し訳ありませんが、もし彼の存在がなかったならば、今までの我が国の経済発展は考えられなかったのではないか?などと一人で空想をしております。
 
ここまでの、彼の人物と生涯の概要に続いて、以降は、それだけたくさんの人々に影響を与えたと言う、二宮尊徳の思想体系とは一体どの様なものなのか?について触れて行きたいと思います。また、それらの教えが現代の経営にどの様に活用できるのかについて考えて行きたいと思います。 
 
彼の思想体系の主なものは、次の四つに絞られると思います。
一つ目は「報徳の道」 二つ目は「天道と人道」 三つ目は「一円観」 四つ目は「経済と道徳の調和」 の四つになります。以下順を追って一つずつ、個人的な意見をはさみながら、解説をしていきたいと思います。
 
(次回に続きます)
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2013/06/22(Sat)

(No.216) 今こそ 二宮尊徳に学び 経営に活かそう (その2)

では早速、二宮尊徳の思想体系とは一体どの様なものなのか?について触れて行きたいと思います。 
 
まず第一番に取り上げなければならないほど有名な、「報徳の道」の思想について説明をしたいと思います。
 
報徳学とも言われています。そうです皆さんご存じの高校野球で有名な報徳学園は、この名称から校名を付け明治時代に設立された学校であります。現在でもその教えが実践されているとのことであります。私などはある程度年齢を経てから知りましたので、遅きに逸した感がありますが、若い高校生の時代から彼の思想を学べるなんて何と幸せなことではないかと思います。
 
彼の思想は、頭の体操ではなくて実践学ですから、実徳を尊んだ徹底した実学の思想になります。「天地大自然の徳に報いるように努めよ、また天地自然の理法を知ってそれに従って実行せよ」と教えている思想です。彼、自らの過酷な貧困体験により、貧困より富貴、飢餓より豊作を必死で求めた思想体系であります。
 
彼は徹底した合理主義者で実証を重んじていました。数学を重視して数字で考えを表し、再建の組立てを計りました。だから論理性があり農民にも分かりやすかったため,皆の賛同を得ました。皆に将来の希望を与え、動機付けをして実践へと導いてゆき、世間があっと驚く成果を各所で出すに至りました。
 
 また、禁欲主義の否定も実践しました。現代人が彼に対して抱いているイメージである「禁欲主義の権化や徹底」は大変な誤解であります。「欲に従い家業に励み、欲を制して義務を果たすべし」と説いて回りました。
 
 彼は人間の欲を肯定し、欲を前提に人を動かすことを真剣に考えました。旧来の儒教や仏教の様に、ひたすら私欲を禁じる方向のものでは決してなく、人間の本質と本性を鋭く見抜いた賢明な教えであり現代社会にも充分通じる思想であります
 
 その当時の時代背景を想像すれば、何と驚くべき考え方であったことでしょう。彼の凄さには感服せざるを得ません。その後は世界的にも通じる思想にまで高めていったと言われています。
 
この「報徳の道」の特徴を二つに絞り込めば、一つは、内なる心に天賦の良心を養成すること(道徳の重視)であり、二つ目は、外なる環境に天地万物生成化育を養成すること(経済の重視)になるでしょう。
 
この二つを「至誠」のただ一つを持って貫くことで道とするという徹底した思想になります。「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり、至誠は神の如し」と昔の聖賢が語ったものと同じ思想であり、中国古典の影響が強く感じられるものであります。
 
では次に、第二番目の思想体系である、「天道と人道」の思想について触れていきたいと思います。
 
この思想は、大自然の中で自然に行われるものを「天道」と名付け、人間の生活を良くするために人間が造り上げたものが「人道」であるとする思想です。人間にがあるのは天道であり、人間は自然にまかせれば、私利私欲で行動し秩序は乱れるばかり。人道は自然に任せるものを尊ばず、私欲を抑制するのが人道であるとの教えを説いています。
 
 「天道と人道」の説明に当たって「年切り論」も唱え、自然界の草木が今年たくさん実ると翌年は必ず実らない。これは「天道」であり循環輪廻の法則である。これに「人道」を尽くす必要があり、蕾(ツボミ)の時につみ取り、花を減じ、肥料を用いれば年切りは起こらなくて、毎年みのるという教えです。今で言う“間引き”のことでしょうか?自信はありませんが、農業や植物栽培に詳しい人は今でも行われている方法なのかなぁと思います。 

 また彼は驚くことに人間世界における、栄枯盛衰や貧富盛衰も年切りであり「天道」であると言っています。年切りをなくすことを願うなら、草木の法に倣って「推譲の道」を努めなさい。つまり人間も自然界の天道に流されていれば、循環輪廻を避けられないのですよと説いています。
 
だからを抑え「分度」(倹約)をわきまえ、良く譲っていくことを勤めれば、ますます永く栄えて行くことが出来ると説いています。分度とは自分の身の丈や分限を守ることを意味しています。この考えは長期の視点に立てば現在の人生や経営においても参考にできるものではないでしょうか
 
万古不易(変化しない)の道というものは、宇宙大自然のもので、人間は造ることが出来ないと言っています。完全なものは何一つとしてない。善悪も人が決めたもので大自然には善も悪もない。人間が自己に都合がいいものを善と呼び、他を悪というに過ぎないのだと
 
人間の生み出す全ての概念や思想やモラルを相対化して考え、唯一絶対思想の袋小路から我々を解放してくれた人物であります。次に述べる「一円観」の思想で良く理解が出来ると思います。
 
(次回に続きます)
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2013/06/29(Sat)

(No.217) 今こそ 二宮尊徳に学び 経営に活かそう (その3)

では引き続いて、思想体系の第三番目である「一円観」の思想について論を進めたいと思います。
 
  一般的に眺めると、日本語は次の様に相対や対立した概念を熟語として日常的に使っています。
 
例えば、自分と他人・夫と妻・生と死・善と悪・禍と福・苦と楽・経営者と従業員・売買(売りと買い)・貸借(貸し借り)・損と得・貧と富・会社と顧客・敵と味方・遠と近・生と滅・会と離・増と減・陰と陽・寒と暖 などがあるでしょう。
 
  この様に、この世のあらゆるものは単独に存在するものはなく、必ず対立する、相対するものがあるといわれています。もちろん人間の思考で決めた概念に過ぎません。それを言語・言葉にしたものであります。
 
  この一見対立する二つのものは、互いに作用し合い、互いに生かし合って、対立を通して結びついている。その関係で世の中が成り立ってもいるもの。しかし、相対するものは根底を突き詰めて見ると、その対立を越えた一つのものに帰する。二つで一つなのだという思想やものの見方のことです

  半円で対立して見る「二元論」より、一つのものを一円で見ることを「一円観」と彼は名付けました。これは現代でも充分通じ役に立つ思想であり、本質を突いた上級の見識であります
 
  彼の独特の話法を借りれば、「九」の字に点を一つ加えたら「丸」 〇という字になる。だから「丸」 〇というのは「十」のこと。「十」はとりもなおさずトータルで全てのことで「一」というのだ、と分かりやすく説明しています。続けて「一円観」は理屈で考えるものではなく、心眼・心の目を持って観ないとだめだよと注意を促し戒めてもいます。
 
  具体的に少し補足を加えてみますと、「善悪」も「遠近」も理屈は同じ。元来、善とか悪とかはなく、善を言うから悪が出来てくる。善悪は人間の考えから出来たもので人道上のものだから、いずれが善でいずれが悪かは理屈で説明するのは難しいものと言う。
 
  見方や立場が変われば、いつでも変化するものであると説いています。立場や価値観が異なっていれば善も悪も一瞬にして、ひっくり返るものであります。現実を眺めてみると結構色々と考えられます。
 
  また「善悪」はもともと一つのもの、あえて半分を善とすれば、あとの半分は悪である。ところが人間はあとの半分に悪がないことを願うもの。しかしそれは無理というものだよ、と説明しています。
 
 「生死」については、人が生まれるのは喜びに堪えないが、その反面いずれは死なねばならないという悲しみがついて離れることはない。生まれたものは何時か必ず死に、出会った者は必ず離れ分かれるもの。咲いた花は必ず散り、生えた草は必ず枯れるのと同じ事なのだよ。とこの様に「一円観」を説明しています。
 
  それに比べて「遠近」は、心の問題から離れるので分かりやすい。例えば、関東の人は住んでない大阪を遠いと言うし、大阪の人は住んでない関東は遠いと言うだろう。また通勤は近くて良かったと言い、火事は遠くて良かったと思うもの。この様に居るところを決めなければ「遠近」とは言えないのだよ、と分かりやすく説明しています。なるほどと思うばかりですね。
 
 「見渡せば 遠き近きは なかりけり おのれおのれが 住みかにぞある
 「見渡せば 敵も味方も なかりけり おのれおのれが 心にぞある
 「打つ心 あれば打たるる 世の中よ 打たぬ心の 打たるるはなし」 
 
これらの歌は、まさに彼の「一円観」の気づきを歌ったものと言えるでしょう。
 
この様な考えは東洋思想の根本といわれる「陰陽相対(待)性原理」「中の理法」そのものであります。人はこの円の中で自己に好ましい半円の方にのみ固執し執着し、好ましくない他の半円を退けようとしがちです。これを「半円観」と呼び、もっと広く大局的に観るのだよと戒めていきました。
 
  また「円の両面を見ることが肝要なり」「人は一方に偏って事を処理するから万事に失敗するのだ。もし一円観の理を心得て事を処理するなら万事成功する」とあります。
 
  だから相手の立場を考えて、物事を客観的に観察しなければ上手くは行かないのですよ、と我々に教えているのです。この思想も現在に充分通じるものと考えて良いと思います
 
ここで二宮尊徳の大信望者だったと言われる、松下幸之助氏の言葉を紹介いたしましょう。
 
 「自分の考えとか感情にとらわれ、つい物事の一面しか目に入らず、他の面まで観る心の余裕がなければいけません。一つにとらわれることなく、全てを調和させ、対立競争の中に調和を見いだして行くことが肝要であります」と残っています。
 
   この文章でも分かりますが、松下幸之助氏は二宮尊徳の教えの影響を多分に受けておられる人であり、考え方が尊徳と、うりふたつとも言われています。私の推測ですが恐らく一円観」を学んで実践されていたのでしょうね。
 
(次回に続きます)
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