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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2014/11/01(Sat)

(No.287) リーダーよ君子の道を進め (1/4)

  「君子の道」について考えていきたいと思います。
 
  この頃の日本には自分の利益を最優先にし、他人の気持ちを顧みない様な考えの人が増えているのではと感じています。しかし、それでいかに高い地位を得てお金を儲け、欲望を満たし周囲からもてはやされたとしても、それは金銭でつながっている関係でしかありません。誰からも真の尊敬は得られないでしょうし、むしろ心の中ではさげすまされているかも知れません。
 
個人的な生き方を追求する人を、孔子は「小人」(ショウジン)と呼びました。その様な小人が増えれば増えるだけ社会の秩序は乱れ、人と人との交わりは希薄になっていきます。その先にあるのは、自らが暮らす国や地域の衰退でしょう。自らが拠って立つ場所がやせ衰えてしまえば、物質的豊かさなどは一度で吹き飛んでしまうでしょう。そうでなくても全国各地で地域の衰退崩壊が盛んに叫ばれています。その結果、国や地域を挙げて今後の日本をいかにするかの議論が活発になっています。
 
  今、私達に求められているのは、人間としての原点に立ち返り、自分が何のために生まれてきたのか、何のためにここに存在しているのかを見つめ直すことが必要でしょう。真に自らの役割に目覚めたとき、私達の生き方は必ず変わっていくと思います。
 
  毎日が意義有るものに感じられ、心が充実感で常に満たされることでしょう。志を共有する善き人々との出会いに恵まれ、楽しい時間を共に過ごすことができるでしょう。それが「君子」として生きることではないかと考えています。「小人の道」を捨て「君子の道」に生きるところに人間としての真の豊かさが生まれてくるのではないでしょうか。
 
ではどうすれば「君子の道」を歩き出すことができるのかについて、考えていきたいと思います。
 
まず中国古典の原点と言われる「小学」「大学」「中学」について簡単に触れてみたいと思います。
小学」とは、本来小学生ぐらいの年齢の時に読んでおかなくてはいけない本です。「修己修身」の学と言われ一般の人が自らの身を修めるために学ぶべき基本的な事柄が書かれています。
 
  平成26年度から全ての小中学生、約1000万人に「私たちの道徳」という教材を配り教科化へ向けて審議が続けられています。将来、学校教育の現場で「道徳」の科目が一層推進される様ですが妥当な判断ではないかと思います。1945年の終戦までは、「修身」という名で教科書があり、尋常小学校で全国民が学んだ学科学問でありました。
 
次の「大学」には、人の上に立つ人、つまり指導者が学ぶべき心得が書かれています。自らを修め、人を治める人物になるための事柄が書かれているため「修己治人」の学と呼ばれています。現在の指導者はこの様な学に触れることなく地位についている方が大多数ではないでしょうか?
 
三つ目の「中学」というのは、調和の学であり創造の学と言われます。書物名は「中庸」といいます。内容は経営者やトップリーダーが学ぶべき学と言って良いと思います。西洋で発達進化してきた経営に関する学問は多岐にわたりますが、本質をついた経営学に触れることなく経営者になっている人が多いのではないでしょうか?
 
皆さんがご存じの「論語」は、この「小学・大学・中学」の三つの内容を網羅したものと考えて良いと思います。これらをひっくるめて「人間学」と呼ばれています。君子を目指すための学問、それが人間学であり、君子になるための道が説かれているのです。参考のために君子とは?小人とは?について。
 
君子とは 他己中心で 大志もち 人を敬愛 幸せにする」     利己より他己の人
君子とは 徳が大きく 才よりも 利他の実践 喜他の人なり」  自利より利他・喜他の人
 
小人は 自己中心で 私利私欲 損得のみで 自分勝手だ」   目先のみ自分のみ損得のみの三拍子
小人は 徳が小さく 才多し 才知才弁 才能の人」  現代は才知才弁才能が第一等の資質の様に思われています。本と末に分ければ才は末で、本は徳になります。残念ですが・・・   
 
特徴だけを述べれば、この様になるのではないかと思います。
 
(次回に続きます)
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2014/11/08(Sat)

(No.288) リーダーよ君子の道を進め (2/4)

それでは、いかに君子を目指すのかを述べる前に、私が中国古典から学んだ人生観について触れてみたいと思います。私事で恐縮ですが、私は中国古典から大きく次の五つのことを学びました。
 
1.天の存在を認めて信じること 
 
  世の中には神を信じる人、人智を越えた存在で宇宙の根源のような、サムシンググレートと巷で言われている、いわば不可思議とでも言うのか、天地大自然の創造主の存在を信じる人もいます。反対にそういう存在を全く信じない人もおられるでしょう。なにせ目に見えるものでもないし、科学的に証明することもできないテーマだから当然と言えば当然なのです。
 
私は人智を越えた何か大きな根源的な存在を信じている者の一人です。宇宙論・宇宙エネルギー・波動・大自然の摂理などを探究した結果、自然にその様なことを信じる人間になったような気がします。その様な天の存在を認識したとき人間は変わっていくのではないでしょうか?大切な点はどう変わるのか、又それを日常の生活や仕事にどう活かすのかと言う点ではないでしょうか。
 
大学」には「君子必ずその独りを慎むなり」と書いてあります。人目のないところでも天は自分を見ている。その事を自覚して独りでいる時を大切にする、人目のないところでも人の道に外れたことはしない。自分一人の時でも自らを律しなくてはいけない、という気持ちになるのです。このことが独りを慎むということで「慎独」(シンドク)といいます。
 
また、「老子」の中には「天網恢恢(カイカイ)、疎にして漏らさず」とあります。「天の大きな網の目は非常に粗い様に思えるだろうが、決して悪事を見逃すことはない」という意味で、悪事を戒めています。
 
同じように「後漢書」には「天知る、神知る、我知る、子(シ)知る、何ぞ知ることなしと言うや」とあります。これは「誰も見ていないからいいじゃないかと、あなたは言うが天も知っている、神も知っている、私自身も知っているし、当然あなたも知っているじゃないか。どうして誰も知らないと言えるのか?」と教えていて、これもまた悪事を厳に戒めているのです。
 
  この様に「徳行の優れた君子という者は、その独りを慎み、誰も見ていない所であっても人道に外れたことはしないものだ」と言っているのです。これらは天の存在を信ずるがゆえに生まれてきた言葉と言っても良いでしょう。
 
次は「論語」にある言葉です。「君子に三畏(サンイ)あり。天命を畏(オソ)れ、大人(タイジン)を畏れ、聖人の言を畏れる。小人は、天命を知らずして畏れず、大人に馴れ、聖人の言を侮る」とあります。
 
  解釈してみますと、「君子は三つのことを畏れる。一つは天命、自分が天から与えられた命(命令・役割)を畏れる。二つ目は大人、立派な人を畏れる。そして三つ目は聖人の言葉、例えば孔子の言葉のようなものを畏れる。
 
  ところが小人は天命を知らない。一体、自分はいかなる天の命令を持って生まれて来たのか、この世の中でいかなることをしていくべきなのか、そういうことを全く知らないがために天命を畏れることがない。立派な人にも馴れ馴れしい態度で接するし、聖人の言葉も侮るし軽視する」と言っているのです。
 
この「畏れる」という態度は非常に大事だと思います。例えば大人を畏れれば、その大人を尊敬する「」の心が生じます。そしてこの「敬」の心と一対になっている「」という気持ちが生まれてきます。あの立派な人に比べて自分はどれだけ劣っているのだろうか、自分なんか、まだまだ修養が足りないのだと恥ずかしく思う気持ち、それが「」の概念です。
 
」があるから、自分はもっともっと努力して修養しなくてはいけないと自らを反省し、それをバネにして自分を伸ばして行くことができるのです。自分を成長させるためにも、天を畏れる気持ちを持つことは非常に大事なことだと思います。
 
ちなみに世間一般の「」と言えば主に(貧しいこと)・(身分や地位が低いこと)・(老いること)の3つが恥であると思っている人が多い様ですが、これらは恥でも何でもありません。自分だけの栄誉や富を求める姿勢が恥であり、もし、そうであれば、それを正して行かねばなりません。昨今はこの恥の概念を取り違えているリーダー達が多いような気が致します。
 
ではリーダー達に求められる本来の恥とは一体どんな点なのでしょうか?主な3点を上げておきましょう。
 
①世のため人のために尽くし貢献する仕事・徳業をしないこと(事業の根本哲学は利他の心である)
②人を大切にしないこと、優秀な人材を活用しないこと(事業の根幹は、知識・技術・金ではなく人である)
③親孝行をしないこと(全ての道徳の根本である)
 
この3つの恥がリーダーや指導者にないかどうかを常に反省することが求められていると思います。
 
(次回に続きます)
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2014/11/15(Sat)

(No.289) リーダーよ君子の道を進め (3/4)

2.天に任せること 「任天」という考え方  
 
  「任天」とは「天に任せる」「運を天に任せる」ということです。何か上手く行かないことがあったとしても、「これは天が判断したことだから、クヨクヨすることはない」と考えることです。ただし、何も努力しないで天に任せても上手くは行かないでしょう。あくまでも自分のやるべきことを精一杯全力投球でやった上で、あとは天に任せる、運に任せるという考え方になります
 
論語」には「死生命あり、富貴天にあり」とあります。これは、生きるか死ぬか、これは天の命である。金持ちになるか、地位のある尊い人になるか否かも天の配剤である。よって全て天に任せて精一杯の努力を尽くす。それが成功すれば感謝をし、仮に思うような結果が得られなくても「それは失敗ではない。その方がむしろ良かったのだ」と考えればいいとの教えです。

  天がそれで良いのだと判断してもたらされた結果なのだと思えば納得もでき、余計なストレスが発生することもありません。「全て我が身に起こることは、何事も絶対最善であると思いなさい」と言われていますが、この考えと同じだと思います。
 
天命を 信じる故に 楽しむの その心境で 憂いなくなる
天命を 歓喜感謝で 受け止めよ 天を恨まず 人を恨まず
 
天命は いかなることも 意味がある 天に棄物や 無駄はないのだ
意味があり 必要だから 生じたの 気づかないなら 真理つかめず
天命は 恩寵的な プレゼント 天の配剤 試されている」などの教えが思い出されます。
 
3.本当の自分をつかむこと 「自得」(ジトク)
 
  人間はまず本当の自分、絶対的な自己をつかまなければいけないと思います。「論語」には「修己知命」(己を修めて、命を知る)とありますが、この「自得」と同じだと考えて良いと思います。
 
  また、私淑する安岡正篤師は「人間は自得から出発しなければいけない。人間色んなものを失うが、何が一番失い易いかというと自己である。根本的・本質的にいえば、人間はまず自己を得なければいけない。人間はまず根本的に自ら自己を徹見する、把握する。これがあらゆる哲学、宗教、道徳の根本問題である」とおっしゃっておられます。
 
  自分のことは、分かっている様で案外分かっていないものです。そうでなくても、人生や人間世界は分かっていると思うことより、分かっていないことの方が圧倒的に多いものであります。私なんぞも、まだまだ分かってないことばかりであります。
 
老子」にも「人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり」とあります。人を知るのは智者に過ぎないが自分を知るのは最上の明であると言っています。それほど自分を知るのは難しいということです。西洋ではソクラテスが「汝自身を知れ」、ゲーテは「人生は自分探しの旅である」と言っています。自分自身を知ることがいかに難しいことなのか、またそれがいかに重要なのか古今東西を問わず先人は説いているのです。この様に「自得」(自分を知ること)は人間にとって非常に大事なことなのだと思います。
 
中庸」には「君子は其の位にしてい、(中略)君子入るとして自得せざるなし」とあり、「素行自得」(ソコウジトク)という言葉が生まれました。君子はどういう立場にあろうと、その立場なりに自分の地のままに処していく、自分の天命が何かが分かっていたら、立場に関係なく天命を達成するためにコツコツと努力・修養していくしかないのだと教えているのです。
 
(次回に続きます)
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2014/11/22(Sat)

(No.290) リーダーよ君子の道を進め (4/4)

4.天命を知る 悟ること 「知命」
 
論語」の中で孔子は、「われ十有五にしてに志す。(中略)五十にして天命を知る」と述べています。「」とは人間学のことで人生修養の学問のことです。「」とは絶対であり、かつ必然であることです。孔子でも50才で天命を知ったと述べている通りで、一般には難問であるかも知れません。ちなみに、私はこの感覚を感じた時はとっくに50才を越えていたと思います。
 
自然科学は天地大自然の必然的・絶対的なものを研究して科学的法則をつかもうとする学問です。一方、人間学は人間を徹底的に究明する学問ですが、その結果、必然的・絶対的なものとして最終的に到達するのが「」だと思います。
 
また、「(メイ)を知らざれば、もって君子たること無きなり」とあります。自分の中にどういう素質があり、能力があり、これを開発すればどういう自分を創ることができるのか、それが「命を知る・知命」 「命を立つ・立命」ということです。
 
そのためには人間学を勉強し、を修めなければならないということでしょう。その努力によって自分で自分の命を思い通りに支配することもできるようになるということでしょう。逆に言うと、そうしなければ運や運命に自分が支配され、安岡正篤師が言われたように、自分自身が「宿命的存在、動物的存在、機械的存在」になってしまうでしょう。
 
要はを支配する君子になるためには、学び続けなければならないのだということでしょう。前回に触れました「修己知命」(己を修めて、命を知る)の教えが思い出されます。人間学の眼目と人生の目的が全て入った歌が思い浮かびます。
 
「天命と 与命と使命 知命して わが運命を 立命をせよ」と言われます。
 
5.事に当たる時に、判断の物差しとなる「信」 「義」 「仁」を守る
 
倫理的価値観のベースになるのは「信」「義」「仁」の三つの意識を忘れないことでしょう。
 
」とは約束を決して破らないこと、ウソを付かないことです。信用・信頼につながる言葉です。一個人としても企業であっても共通して大事なテーマであります。「信は商売の原点である」「企業の最大の宝は社会的信用である」と言われる通りです。何かをする前に「こういうことをして人や社会の信頼を失わないか」とよく考えることが大切でしょう。
 
」とは正しいことを行うことです。自らの私利私欲を満たすために、社会正義から見て正しくないことを平気でやる人が増えているようです。組織や会社の中でも、上司の命令だったから仕方なかったのだと釈明する事例が後を絶ちませんが、本当にいけないと思うのであれば、上司に「そんなことはすべきではないと思います。私はこんな会社には勤められません」と言って辞めればいいのです。それが「義」であり、正しいことを行うということです。「」とは「正義・大義・道義」とも言われています。この態度を貫き通すべきでしょう。
 
」とは、相手の立場になって物事を考えることです。「仁」という字は「人」に「二」と書き、人間が二人いることを示しています。二人集まるとコミュニケーションが生まれます。人間は一人では生きていません。群をなして生息しているのです。自分勝手な意見だけでは組織や会社を動かすことはできません。相手の立場になって、我が心の如く相手のことを思いやり、相手の立場に立って物事を判断するのが「仁」の心です。
 
事に当たるとき、この三文字「」「」「」に照らし合わせて判断すれば軸をぶらすことなく的確に対処ができるでしょう。予想外の事態が発生したとき、多くの人は右往左往して考えがブレてしまいがちですが、それではいけないでしょう。常に考えがブレない人間になることが大事だと思います。
 
よく「節操がある」とか、「節操がない」とか言います。状況や環境が変わると、主義主張を変える人がいますが、そういう人を節操がない人というのです。いかなる環境になろうと自分がひとたび正しいと信じたことを貫き通す、これが節操のある人間です。
 
  最後にしますが、お互いに自己研鑽をして自己を磨いて行こうではありませんか。君子を目指して、君子の道を歩いて行きましょう。きっと組織や社会が少しずつですが良化していくはずだと思います。千里の道も一歩からです。
 
大を為す 千里の道も 一歩から 小さなことを 忽ユルガせにすな
何事も 小が積もりて 大と為る 積小為大 倦まず弛タユまず
 
リーダーは 君子を目指せ 努力のみ 自己を見つめて 常に反省
ビジネス(経営)は 君子の道と 瓜ふたつ 利他の実践 喜他の追求
 
なのです。先人賢人の教えに学んで行きましょう。
 
 
 
★ みな様のご意見・ご質問・ご感想をお待ちしております。 yamacon@har.bbiq.jp
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2014/11/29(Sat)

(No.291) 発想力を鍛えて経営を革新せよ 

  経営のポイントは、トップリーダーである経営者・社長が経営に命を懸けることです。社長が覚悟を持っているか否かであります。よって会社は社長一人で決まってくるのです。その訳は社長は経営に対して無限責任を負っているからです。

  一般的に言われています、「良い会社や悪い会社」などは表面だけを見た評価であり本質ではありません。良い社長か、悪い社長かがあるのみなのです。だから、会社を知りたければ、社長を知ることであり、社長を見ること、社長を研究することが一番の早道であると言われるのです。
 
  今後の経営を展望しますと、革新型のトップやリーダーに求められているのは、冒頭の覚悟の他に、発想力になると思います。発想力とは大きな可能性を秘めている力です。発想力は人間のみに与えられた素晴らしい力です。人類の歴史は先人が展開してきた数々の発想力によって形づくられて来たと言えるでしょう。
 
  発想する時の注意事項として、経営や事業の根幹となる「人を喜ばせたい」「人の役に立ちたい」というシンプルな気持ちを忘れないことです。私が常々口にしている「利他」「喜他」の心のことです。その上でお客様の潜在ニーズに焦点を当てることがポイントになります。顕在意識・表面意識の下に広がる無意識・潜在意識の世界に潜む欲求に気づけるかどうかにポイントがあります。
 
  ではどうすれば、潜在ニーズを探ることができるのでしょうか?手法の一つは、お客様の不満や文句を引き出すことです。その中には何等かの不足を感じていることを示す心の声が潜んでいるものです。この点をヒントにすれば潜在ニーズが見えてきます。
 
  では、発想力を鍛えるための具体的な3ポイントとは何でしょうか?
 
  1つ目は、物事を疑ってかかること。例えば、人間は一つの会社や業界に長くいると、そこでの習慣にいつの間にか囚われてしまいます。だから周りが常識と考えていることは、果たして本当なのだろうか?と常に疑ってかかることで発想力が鍛えられるのです。
 
  2つ目は勘を磨くこと。周囲の行動や変化に対して注意深く観察すること。例えば、電車バスに乗った時など、つぶさに乗客を観察する。何故その様な行動を取るのかを考えてみる。常に日常の何気ない事象を観察することで潜在ニーズをつかむことです。すると勘が磨かれ、時代の少し先が見えてくることもあります。
 
  同時に自分の目と耳などの五感を使うことも大切です。あらゆることに興味を持ち実際に体感することで発想力が磨かれます。最近はインターネットであらゆる情報を入手できるため、情報に触れただけで満足してしまう人が増えてきました。その情報を鵜呑みにしているだけではいけないでしょう。何事も自分で体感した事だけが、次の商品やサービスの開発につながりヒントが蓄積されていくのです。
 
  3つ目は、何事も「できないと言わない思わない」こと。壁は突破することに意義があります。壁の上をよじ登ってもよし、或いは下から掘ってみるのもよしで、要は壁の向こう側に辿り着けば良いのです。また、現在は発揮されていないだけで、未知なる人間の潜在能力は無限大だからです。年齢には一切無関係です。
 
  以上の三点の補足として、人生や営業や経営の道を歩く時の指針も忘れないで下さい。
 
  1つ目は「運が七割、実力三割?」と言う考え方です。誰でも自分一人の力というのは大したことはありません。それよりも運が大事と言うことです。これは人間関係を重視して少しでも良くすること、出会いを大切にすること、千載一遇のチャンスの中で出会った縁を活かすことでもたらされるものです。真心や誠意が縁を活かす秘訣になるでしょう。ちなみに会社というものは、そこにいる人間が動かしているものですから、良好な人間関係を築かなくては何事も成し得ないからです。
 
  2つ目は上と重複しますが「できない、俺には無理だと言わない思わない」ことです。何事も初めから「できない」という考えに陥ることなく「俺はできる、できそうだ」と思うこと。可能思考をすること。日頃の思考習慣を変えることです。メンタルタフネスやメンタルヴィゴラスの脳(力強く勢いのある脳)になると理想的でしょう。「できない、無理だ」と不可能思考で後ろ向きの思考に陥ると思考がストップしてしまうからです。
 
  この二つも発想力を豊かにするポイントになります。この発想力を本当に生かそうとすれば、口先だけでなく、必ず実現させる、実現するという冒頭に触れました覚悟が必要になります。その覚悟なくしては、どんなに良いと思われるアイディアであったとしても陽の目を見ることはありえないでしょう。
 
本気かどうか、勇気があるかどうか、挑戦していく気を持っているか否か、諦めず続けていく覚悟があるのかどうかです。覚悟の強さこそがトップやリーダーたる人達の当事者意識の表れなのです
 
  最後に、発想力やアイディアの源泉は現場にあることを忘れないで下さい。徹底した現場主義を実践して下さい。提言として、発想力を生かし切って会社経営を革新して頂きたいし、そのイノベーションにチャレンジして頂きたいと思います。確かな成果をもたらす方法を発想する力量、それが発想力です。それは同時に発想を実行、実現する力をも含んでいるものです。活学実践を期待いたします。
 
 
 

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