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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2015/10/03(Sat)

(No.335) 安全と安心 信用と信頼はどう違うのか? (1/3)

前回にも述べましたが、経営理念に信用・信頼安全・安心という言葉を使っていても、信用と信頼の違いや、安全と安心の違いも理解していないことも多く、また、どうすれば信用信頼につながるかの検討をして、その活動を社内外できちんと行っている所も案外少ない様であります。
 
安易に人を信用してお金を出したり、また、この商品は安全だからと安易に投資をする人が現実には居られますが、今回から安全と安心、信用と信頼の違いについて考えてみることにいたしましょう。分かっている様で本質を理解していなかったり、曖昧なまま、これらの言葉を使っていたりしているのではないでしょうか。実はこの「安全・安心」と「信用・信頼」がとても曲者(クセモノ)なのであります。
 
もはや安全・安心などはない社会になってしまったのかもしれません。そして私たちは国に対する信用・信頼がなくなったのかもしれません。2011年3月11日の東日本大震災と原発事故以来、このような言葉がメディアから頻繁に流れてきているようにも感じられます。
 
  例をあげれば、新幹線で300キロのスピードを出して走行していても、「この新幹線は安全ですのでご安心下さい」というアナウンスは流れてはきませんし、また乗客も不安にはなりません。
 
しかし、空の上を飛ぶ飛行機ではどうでしょうか。いかに乗りなれている人でも、一回のフライトで、不安になったことが最低でも一回はあるのではないでしょうか?例えば気流が悪く揺れが発生したときは「揺れが発生していますが、この飛行機は安全であり、飛行には何の支障はございませんのでご安心下さい」と機長のアナウンスが流れてきます。
 
確かに大きく揺れたら不安になります。安心できません。だから、安心してもらう為に「安全」という言葉を使う必要があるのです
 
この「安全」という言葉の持つ意味について、2011年3月の原発事故で再認識した人も多かったのではないでしょうか。原発は、本当は不安なので安心してもらう為に「安全」という言葉を使う必要があったのでしょう。本当に安全ならば、東京のど真ん中に原発を造ればいいのでしょうが、決してその様なことはしてはいません。
 
つまり、安全神話などは、もともとあるはずがないのでしょう。だから「安全」という言葉を使用しているということは、実はもともと安全ではないのですよ、と言うことを物語っているからなのでしょう
 
  「安全」とは、科学的裏づけに基づいて、客観的にも物理的にも害のない状態をいいます。一方、「安心」は、人によって受け取り方が異なり、各人それぞれの主観的な心の状態、精神的なものを表しています
 
事例として申し上げれば、仮に、ある農作物に基準値以下の放射性物質が検出されたとしましょう。基準値以下だから科学的には「安全」な食材と言えるでしょう。しかし、検出されただけで不安に思って食べない人もおられれば、基準値以下だからと言って「安心」して食べる人もおられるでしょう。
 
この様に、安心は個人個人で主観的な問題なので、各人みんな、それぞれに受け取り方が違うものです。だから、トラブルが発生してくるのです。「安心してください」と言われて安心するものではないということをもっと深く考えるべきなのでしょう。
 
(次回に続きます)
 
 
 
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2015/10/10(Sat)

(No.336) 安全と安心 信用と信頼はどう違うのか? (2/3)

安心は個人個人で主観的な問題であり、各人みんな、それぞれに受け取り方が違うものです。これに関連して、東北地方でのあるスーパーの実際のお話しを紹介しましょう。2011年3月11日直後、スーパーでも食品が安全かどうかについて、顧客心理が不安な時に、いくら顧客に「これは安全ですから安心してご購入下さい」と訴えても、素直に聞き入れてもらえるのは無理であったということです。
 
そこで、そのスーパーは、放射線線量計を購入し、実際に顧客自身に計ってもらったのです。万が一、線量が高ければお店にはリスクになります。しかし顧客の不安を解消するためには、それしかなかったのだとのことでした。頷かざるを得ないですね。
 
もちろん、店側では事前に商品の線量を計っておくことも必要でした。もともと線量が高ければ陳列棚に置くわけにはいきません。それ以上に、顧客が放射線量について非常に疑心暗鬼になっていましたから、スーパーに納品前の線量結果だけを鵜呑みにすることなく、再度、顧客のために、全品検査をしたとのことでした。都合計2回の検査だったのです。
 
  スーパーにとっては、線量計の値がゼロでなければ購入しないのか、安全圏内ならば購入するのかは、顧客の判断に任せるしかありませんでした。不安な人に「安全です」と何度言っても逆効果なだけだったとのことです。
 
少しでも線量があれば、子供を持つ親は購入しません。しかし自分で計るという行為により、安心感につながったことは確かでしょう。子供の命を守る親は必死なのです。その人には、線量ゼロのものを探してあげることが大切なことでした。
 
しかしながら、それを見た高齢者の人達から「この店は、年寄りは早く死んでもいいという考えなのか」と罵声を浴びせられたこともあったとのことでした。難しいものですね。
 
  人はそれぞれ、みな違いますし、同じ人でも1分前と今では違うこともあります。中には、安全圏内ならば、少しでも被災地の役に立てればと思って購入する人も居られるでしょう。先ほどの高齢者達がそうだったとのことですが、突然に豹変してしまったとのことです。残念ですね。
 
  被災地の役に立ちたいという思いは本当だったのでしょう。そこまで嘘だとは思いませんが、それ以上に人間というものは、いくつになっても自分の命が一番大切なのだということでしょう。
 
  ですから、「これをすれば全てが解決する」と言うことは社会生活にはないということでしょう。だからと言って何もしないことはもっといけないことになるでしょう。失敗とは失敗を恐れて「何もしないこと」です。だからこそ、すべての事業は客商売であり、サービス業であるという精神を持ち続けることがとても大事になるのでしょう。
 
話が飛びますが、専門家の中にも、自分からお客様に向かって「安心してください」と言う人もおられますが、その前に、前提条件として専門家に対して信用・信頼があることが必要なのです。何も言わなくても、安心感を与えられる人こそ、本当のプロなのかも知れません。自分自身で「安心してください」と言うこと自体、胡散臭い(ウサンクサイ)気がいたします。注意した方がよさそうですね。
 
(次回に続きます)
 
 
 
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2015/10/17(Sat)

(No.337) 安全と安心 信用と信頼はどう違うのか? (3/3)

安全・安心」と同様、「信用・信頼」も一緒に使うことが多いものです。しかし、現実は、使い分けをしている時もあります。例えば「信用金庫」はあっても「信頼金庫」はありません。「信頼関係」とは言いますが「信用関係」とは言いませんよね。
 
また「信用取引」とは言いますが「信頼取引」とは言わない様です。この様に現実は、「信用」と「信頼」はごちゃごちゃになって使われている様です。
 
信頼」してもらうためにはまず「信用」が必要であり、「信用」なしに「信頼」を勝ち取れないことはよく理解できます。「あの人は、これまでの行動から『信用』できるため、この仕事も『信頼』して任せられるのだ」ということになるでしょう。
 
話は飛びますが、弁護士や会計士などの有資格者は、それだけで信用があると思われています。弁護士や会計士などの資格があれば、一応は「信用」してくれるのかもしれません。どこの誰べえなのか得体の知れない人よりは、身元がはっきりとしているからでしょう。しかし、「信用」はされても「信頼」されるとは限らないのです。 

  「信頼」には信頼関係と言われるように、人間関係が必要になってきます。前述した様に信用関係とは言いません。専門家は、初対面でも「私のことを信頼してください」と顧客に言うことがありますが、信頼は頼んでしてもらうものではありません。人間関係の中で芽生えてくるものが信頼なのです
 
このためトラブルが絶えないのも事実です。資格者だからと言って、信用できるとは限らないからです。そんな資格者も世の中にはおられる様です。詳細は省かせていただきますが・・・。
 
お金のトラブルは今も昔も相変わらずであり、減少していない様です。もしあなたが人にお金を貸す場合、どちらの言葉を使うでしょうか?「貴方を信用してお金を貸します」もしくは「貴方を信頼してお金を貸します」さぁ、果たしてどちらでしょうか?
 
安全」と「信用」は何か物理的な、しかも客観的な根拠があるものです。それに対して「安心」と「信頼」は主観的精神的なものです。だから、「安心信頼」は人によっては異なるものなのです
 
  では、もう一度「貴方を信用してお金を貸します」と「貴方を信頼してお金を貸します」を考えてみましょう。相手の調査もせず、勝手に相手を信頼して仕事を任せてみたり、お金を貸すなどしますと必ずトラブルが発生するでしょう。だから、人は過去の実績などを聞くことを行うでしょう。
 
学歴もそうです。学歴社会ではなくなったと言われていますが、本当にそうなのでしょうか。弁護士や会計士は必ず、出身大学を聞かれるそうです。資格を取得しても完全な学歴社会なのです。聞くところによりますと、会計士以上に弁護士はその傾向があるとのことです。真意は不明です。
 
ちなみに同じ専門家でも、医師や税理士はあまり学歴の話はないような気がします。有資格者の世界では、今も、学歴は立派な信用材料のひとつを占めているということなのでしょう。依頼人やお客様は、それらを聞き出すことで「安心信頼」を得ようとしているからなのでしょう。
 
ところで、金融機関がお金を貸す場合、借り手に対して信用という言葉を使うでしょう。そして、返済が滞った場合などは、「このままでは御社との信頼関係が・・・」と金融機関は話しをするでしょう。
 
信用するために、会社の決算書・直近の試算表そして資金繰り表などを入手し、社長の資産状況も調査します。すべて客観的な情報になります。
 
もちろん貸し手は、この情報を鵜呑みにはしません。独自の方法で修正を加えていきます。こうして「信用」できるかどうかを、客観的に検証しているのです。そして、貸す時は「信用」するから貸し、貸した後はそこに人間関係ができるため、「信頼」という言葉を使うのです。
 
もし返済が滞ったりした場合には、銀行から「このままではお互いの信頼関係がなくなります」と言われることがあります。ここで、借り手は不安になるものです。せっかくこれまで築いてきた信頼関係がなくなってしまっては困ると。でも、少し立ち止まって冷静に考えて見て下さい。

  本当に信頼しているのであれば、保証人も担保も取らないでしょう。しかし、現実はそうではありません。ということは、本当は信頼なんかされていないのです。また、そのように考えていた方が気が楽なのです。気が楽になれば、脅しともとれる「信頼関係がなくなる」という言葉も聞き流すことができることでしょう。
 
貸し手と借り手が、友人・知人の場合は、すでに人間関係があり互いに信用しているため、信頼を使うことが多いでしょう。ただ、あまり深く考えるとわけが分からなくなっていきます。だから、実際は、曖昧にして「信用・信頼」の四文字を使うことが多いのかも知れませんね。
 
  言葉はとても難しいものです。だから話す前に、息を静かにゆっくりと吐き、ひと呼吸おいてから話をするといいと言われているようですね。最後に「信(信用・信頼)は商売の原点である」「企業の最大の宝は社会的信用である」この2つの言葉の真義を今一度かみ締めたいと思います。
 
 
 
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2015/10/24(Sat)

(No.338) 信は商売の原点で、社会的信用は企業の最大の宝である 

人間社会の中では、それぞれの人間の間で一貫して変わらない「不変の徳」が必要になります。その「不変の徳」のことを「」といいます。人間の間で嘘や偽りがあったとしたら全てが狂ってしまいます。だから「不変の徳」=「」がなければ人間社会が成り立たないのです。また「」とは、“信用”や“信頼”のことです。人や企業と付き合うべきか否かを判断する際の物差しになっています。
 
日頃の生活で「」は常に意識はしないと思います。が「」は人間社会存立の基盤になります。もし「」が失われたら社会は崩壊するでしょう。親子・兄弟・夫婦・友人・経営陣と社員・企業とお客様、仕入先、銀行など事業経営でも政治でも、国と国の関係でも同じであります。
 
政治では“を問う”という言葉もよく使われています。「不信」では絶対みんな生きていけないのです。いわんや経営などもってのほかでしょう。「不信」では経営も成り立たないのです。
 
では、その「」を創るために、我々は一体どうしたら良いのでしょうか?
 
口で言うのは簡単ですが、お金ではもちろん買うことは出来ません。それは相手との約束を守ること、約束を決して破らないことです。また、嘘を言わない嘘をつかないことです。つまり正直であることです。もっと言えば、要領や策やテクニックを弄(ロウ)しないこと。「誠」を尽くして「誠」を貫くことが重要になるでしょう。
 
少し補足を致しますが、実は「」には5つの種類があります。それぞれ名前が付いていまして、第1の徳目は「」、第2の徳目は「」、第3の徳目は「」、第4の徳目は「」、第5の徳目は「」になります。以上5つの徳目のことを“五常の道”と呼びます。「」「」「」「」「」の5つの言葉は、有名ですから、どなたでもどこかで耳になさったり、読まれたりしたことがあると思います。
 
その第5の徳目である「」は、第2の徳目の「」(人間として正しい道)がベースになって生み出された徳目になります。よって「」は「」と大いに関連し、つながっている徳目になります。
 
また「」は、標題の様に“商売の原点”とも言われ、ご存じない方はほとんど居られないと思います。もっと解釈を広げますと、“企業の最大の宝は、お金や物ではなく、人が創り出す無形のもので、企業の“社会的信用”になります。企業・会社・社長・社員にとっても最大の宝になります。将来の黄金の卵を生み出す宝であります。
 
この“社会的信用”を無視したら絶対にいけません。もし些細な事であってもトラブルが発生したならば、即、手を打たないと将来必ず後悔することになるでしょう。一旦、信用失墜したら命取りにもなりかねません。回復するのも相当な時間がかかり、非常に困難であり、お金なんかでは決して買えるものではありません。どうか皆さん今まで以上に大切になさって下さいね。
 
先ほど述べました「五常の道」とは“人間として守るべき、また実践すべき徳目”のことになります。まずは、経営者たる社長やトップリーダー・指導者の方々が是非とも備えるべき「5つの徳目」のことになります。
 
まず「」(人間性)という基礎を固めてから、次に「」(知識や技能)を運用することが大切であり、「才」を発揮するには順序がありますよ、ということです。また「徳」と「才」のバランスも大切になります。どちらか一方にあまり偏っては、いつか必ず支障が出て、行き詰まってしまいますのでご注意下さい。
 
少し具体的に例をあげて見ますが、まず、己を修め養ってから、次に人や部下を治め、また統率して経営することが重要になります。これは有名な「修己治人」の教えになります。素直な気持ちでルールや「」を知って実践すれば「」になります。「」とは行動を伴うものであり、「」と「」を合わせて「道徳」といいます。いつも触れていますが、東洋哲学の眼目は「知行合一」の哲学であり、知識や言葉だけでなく実践行動を重視するのです。
 
最後にしますが、今回は参考のために、第1の徳目である「」について少し触れておきましょう。「」とは、他を思いやる心情です。集団生活の基本となる徳目です。人間関係、特に相手の立場を重んじる、思いやる心的態度です。他を慈しむ、可愛がる心のことです。「」(キリスト教)と「慈悲」(仏教)と同じ感情のものです。
 
」の字は「人」の右に「二」と書き、二人の間に通じる心の意で一体感のこと、また“出会いを大切にし、愛する心を持つ”という意味です。人間社会は複数の人々で構成されています。故に人間は常に「孤にあらずして群である」ということを「」の字は教えているのです。
 
」は儒教の根本徳目とされています。孔子の教えの真髄で根本思想であり儒教の原点になります。「」は「人の道」の根本で全ての教えは、ただの一文字「」から発生し始まると教えています。活学実践を期待いたします。
 
 
 
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2015/10/31(Sat)

(No.339) 真のプラス思考とは? (1/2)

過去に思考の習慣や「思考の五則」などについて触れてまいりました。「思考の五則」とは「思考とは 前向きプラス 積極で 全て肯定 可能思考だ」と説明して参りました。今回はその中でも真のプラス思考に絞って考察していきたいと思います。

  プラス思考は重要であるという人がいます。しかし、プラス思考は重要ではないという人もいます。むしろ、プラス思考であることで状態が悪くなるという人もおられます。では、実際のところ、どうなのでしょうか?
 
この問いに答えるには、我々は「意識」について正しく理解する必要があります。意識には皆さんご存知のように、我々が自覚している意識「顕在意識」と、自覚していない意識「潜在意識」があると言われています。
 
潜在意識は心の倉庫のようなもので、顕在意識は、潜在意識から出された材料によって構築されています。従って、潜在意識がマイナスで満ちていれば、そこから構築される顕在意識がマイナスなのは当たり前になります
 
潜在意識がマイナスで満ちているのに、顕在意識だけプラスにするようなことを「無理」と言います。無理を重ねることで状態が悪くなっていくのです。
 
多くの経営者から鬱ウツ病に関しての相談を受けている人の話では、ほとんどの経営者が「プラス思考が重要」と考えて、無理してプラスに考えようとしていたとのことが報告されていました。
 
潜在意識マイナスでは顕在意識プラスになることはなく、「一所懸命やっているのにできない」という絶望感・無力感が鬱病の引き金になっているとのことでした。
 
この様な場合、無理にプラスに考えることを直ちにやめ、顕在意識と潜在意識の関係を説明した上で、潜在意識をプラスで満たす具体的な訓練法をお伝えするようにしているとのことでした。この点は以前の経営コラムNo241経営コラムNo242で述べていますので、ご参照いただければありがたいです。
 
では今回の話の中で具体的に、潜在意識をプラスで満たす方法とは、どの様な方法があるのでしょうか?それは大きく分けて次の三つになります。ひとつずつ説明を加えて行きたいと思います。
 
1つ目は、「プラスの言葉」です。正確に言えば「プラスの心の状態で言葉を発すること」になります。自分が発する言葉は、最も近くで自分に語りかける言葉になっていきます。
 
特に、何気なく発する言葉は潜在意識に大きな影響を与えていきます「自分にはできない」「何をやっても無駄だ」「やめてしまいたい」など、マイナスな心の状態で発する言葉は要注意になります。極力使わないことです。
 
  マイナスの言葉を使えば使うほど、自分で自分の潜在意識をマイナスに汚しているのです。一言では影響は少なくても、それも普段に積み重ねることで決定的な影響を与えていくのです。怖いものであります。
 
だから「自分にはできる」「必ず方法はある」「必ずやり遂げる」など、プラスの言葉を発することです。このとき無理する必要はありません。一つずつ積み重ねることです。その結果、潜在意識が少しずつですが、マイナスからプラスへ切り替わり更改されていくのです。
 
(次回に続きます)
 
 
 
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