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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2016/04/02(Sat)

(No.361) 起きる出来事はすべてに意味がある (2/2) 

 前回のポイントの(1)は、もし自分の周囲で不都合な出来事が起きたら「その出来事は自分の天命や使命や、人生の目的を達成するために必要なもので、天に不必要なものや無駄は一切ない」と、すべてを受け入れることが大切であること。

 

 と、もう一つのポイント(2)は、「すべての出来事や問題にはデメリットだけではなく、メリットが必ずある」と述べて参りました。

 

少し横道にそれますが、「我が身に降りかかってくる一切の出来事は自分にとっては、“絶対必然”であると共に、かつ“絶対最善”である」という考え方があります。この“絶対最善”という考え方はライプニッツという哲学者(独)が唱えた有名な説であります。英語では「オプティミズム」と言って“楽天主義”とか“楽観主義”とかに訳されています。

 

この考え方は現代社会でも少数でしょうが普及しているようで、「自分にとって、あらゆる事柄や出来事は、禍福に拘わらず“絶対必然”であり(その理由は因果の法則が働いているから)、かつ“絶対最善”である」という一つの「人生観」になっているようです。ひとつの哲学として立派に存在しています。

 

この「絶対必然」で「絶対最善」であるとの考え方は、自己に与えられた全運命を感謝して受け止めて、天を恨まず、人を恨まず、いや恨んだり咎(とが)めたりしないだけでなく『楽天知命、故に憂えず』(易経)と同じ思想で「天命を信じる故に、天命を楽しむその心構えができた時に人の憂いはなくなりますよの意)」という境地のことであります。

 

もし、これが道理だとしても、この考え方を「なるほど」とうなずくということ自体がひょっとしたら難問と言えるかも知れません。では、なぜこの道理は容易にうなずきにくいのかと言いますと、それは物事には全て裏と表があるからです。先述しましたデメリットメリットが必ずあるからです。マイナスプラスと言ってもよいと思います。言い換えれば表の日向(ひなた)と裏の日陰の両面があるからです。

 

人間というものは、とかく自分の好きな方や欲する方に執着して、他の半面は忘れやすいものです。「冬は太陽ポカポカの日向がよい」と思い、「夏になれば日向はごめんだ日陰がよい」と誰もが考えるものでしょう。

 

ところで、我々人間は自分が順調に日常を送っている間は、とかく人の情けとか他人の苦しみなどという様な事には、なかなか気づきにくいものであります。順調ということは、表面的にはいかにも結構の様ですが、精神的にたくましくはならず、逆に、徐々にではありますが弱く軽く、かつ甘くなりつつあるということです。

 

つまり、表面上のプラスに対して、裏面にはちゃんとマイナスがくっついているということです。プラスとマイナスは表裏一体の関係であり、プラスとマイナスはワンセットであり、二つで一組みなのです。前回にも触れましたが、このニュートラルで中立の状態が常でありますから、物事はすべてが完璧にバランスをしているということなのです。

 

 同様に表面がマイナスであれば、裏面には必ずプラスがついているのです。ただ、悲しいことに我々人間は自分ではそうとはなかなか気づかないもので、表面のマイナスばかりが気になるものです。そして、裏面に秘められているプラスの意味や貴重な価値が分からないのです。その様にして投げやりになったり、やけを起こしたり、自暴自棄になったりするものです。すごく残念であります。

 

要するに、人生万事、プラスがあれば必ず裏にはマイナスがあり、表にマイナスが出れば、必ず裏にはプラスがあるという訳です。さらに考えると、“プラス・マイナス ゼロ”であり、人生や世の中はみな公平そのものであるとも考えられます。だから、そんなにあせがって他と比較することもないし、他と競争をする必要もないのです。

 

私たちの人生で起きたこと、また、これから起きるかもしれないことは、良くても悪くても、すべて宇宙からの贈り物でプレゼントなのです。とは言うものの、一見マイナスに思える出来事の裏に潜む、隠れたプラスの贈り物を理解するには時間がかかるものなのですが・・・。この辺がなかなか理解していただくのが難しい点になるのですが・・・。

 

そうなのです

天命は いかなることも 意味がある 天に棄物や 無駄はないのだ」これが基本です。また

人生は 心ひとつの 置きどころ 良くも悪くも 使い方のみ」なのです。心ひとつなのです。

 

人生は 受け止め方で どんなにも 変化するもの ありがたきかな」であり、自分の心をどう使うかです。もし万が一、苦や困難や辛いことに遭遇したら、

苦に合えば ただちに変えよ 感謝して 喜びにして 受け止めること」であります。きっと心が高まり人生が豊かになるはずであります。

 

 

 

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2016/04/09(Sat)

(No.362) 貧富は心にありて物にあらず (1/2)

今回のコラムは、貧富とは何か?富貴貧賤とは何か?また恥とは何か?などについて各種古典を参考にしながら進めてみたいと思います。当時と今は、時代背景も違えば社会の環境も大いに違っています。現代に生きている我々にとって、何か参考になるものが残っているのでしょうか?では、ひとつずつ見ていきたいと思います。

 

まず貧について。「家貧にして未だこれ貧ならず。道貧にして人を愁殺(シュウサツ)」と禅語の中に“”についての教えがあります。その意味は、家が経済的に貧しいということは、まだまだ本当の貧ではありません。そうではなくて道を求める心、つまり人の道や人間学を学ぼうとする心を亡くした時が、本当に憂えるべき貧しさであり、その時にその人は存在価値をなくして滅んでいくものです、と言っております。

 

物や経済的側面のみを重視している、現代の貧に対する概念と比べますと全く異なっているという印象を持たれると思います。またその“の状態についても二種類があるとして、物の貧心の貧の二つの状態があると教えています。

 

貧富には 物の貧富と 心あり 恥ずべきことは 心貧なり

この歌は、貧富には物の貧富と心の貧富がありますが、もし心が貧ならば恥ずべきことなのですよと教えています。

 

恥ずべきは 心貧なり 物でない 心の貧は 誰も治せず

もし心が貧であれば恥ずべきことなのですよ。心は他人には治せないものですから、自分で心を磨いて治すしか方法がないのですよと言っています。

 

物の貧 短期に過ぎず すぐ治る 心の貧は けして治せず

物質的な貧は、ある程度は短期の間に改善できるものですが、心の貧を治そうとすれば、簡単ではなく時間がかかるものであり、なかなか改善ができないものですよと言っております。

 

その他の書物では、佐藤一斎(江戸後期・儒学者)が「言志四録」の中で、“の教えを残しています。「物に余りある、これをという。を欲するの心はすなわちなり。の足らざる、これをという。に安んずるの心はすなわちなり。貧富は心に在りて、物に在らず」と結んでいます。

 

その意味は、物に余りが生じたら、それを富というのです。富を欲しがる心があれば、すなわち貧というのです。物が足りない状態、これも貧と言います。貧に安んじている心、つまり、その状態に満足を覚えたり、私はこれでよいのですよと、足るを知る心があれば、それがすなわち富なのですよ。このように「貧富というのは心の持ち方にあるのであって物の過不足にあるのではありません」と言っております。

 

また、二宮尊徳(江戸後期・思想家)も“富貴貧賤”というテーマで教えを残しています。富貴とは財があって豊かで、身分や地位が高い状態、貧賤とは貧乏な生活であり、身分や地位が低い状態を指しています。

 

富貴を好み貧賤を悪ニクむは人の情け(常である)なり。しかれども、富貴貧賤は天にあらず、地にあらず、また、国家にあらず、ただただ人々の一心にあるのみ。身を修め人を治むる者は富貴を得、懶惰ランダ(怠惰)にして人に治めらるる者は貧賤を免れず」(避けることはできない)と書いてあります。

 

  「修己修身」でおのれ自身を修め、かつ「修己治人」で己を修めてから人を治める者は、おのずから物質的に豊かな生活を得て、その人にふさわしい身分や地位も得ることになるでしょう。がしかし、努力を怠り他人に治められる者は、当然の様に、貧しくて身分や地位も低くならざるを得ないでしょう、と教えています。

 

この中で“富貴貧賤”は、ただただ人々の一心にありという一語こそ、我々の胸に突き刺さる、まさに痛切な戒めの言葉であります。先述しましたが、「貧富は心にありて、物ではない」ということと同じことを言っています。

 

わたくし流に解釈しますと、物の豊かさを求める生き方よりは、心の豊かさを求めて生きることを我々に示唆しているのでしょうね。「物に捉われた幸せの価値観を捨てなさい」とも聞こえてきそうな気がいたします。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/04/16(Sat)

(No.363) 貧富は心にありて物にあらず (2/2)

二宮尊徳に続いて、もう一つ事例を挙げてみたいと思います。今から約400年前、中国の明時代末の書である「呻吟語」シンギンゴ(著者:呂新吾ロシンゴ)という書物には、“”についての教えが残っております。

 

一般的に我々日本人のほとんどは、(貧乏)を恥じ、(地位身分が低いこと)を恥じ、(年を取ること)の三つの状態を、恥ずかしいもの、恥であると感じているようであります。

 

しかしながら、著者の呂新吾は、本来、是非善悪を分別して人を導いていくべき指導者が、恥を取り違えており、この三つの“貧・賤・老”こそが恥であると思い違いをしているのだと言っています。どこの世界でも、どの時代にも、このような凡俗なリーダーがおり、是非善悪の区別すらできない指導者が多いものです。今の我が国を眺めてみますと、職業や地位にかかわらず、ほとんどの人がこの三つを恥としているのではないでしょうか。

 

だから本当の指導者たるべき真のリーダー達は、この三つのことを絶対に恥じ入ってはならないと戒めております。この三つの“貧・賤・老”を恥じるのでなく、「自分だけの栄誉や富を求める姿を恥じて正せ」、表現を変えれば「金儲けや立身出世ばかりを追求する姿勢を恥じて正せ」ということであります。

 

それでは我々、経営に携わる者として、一体何を恥と考えればよいのか?と言いますと次の三点をあげています。「一つは親孝行をしないことが恥であり、二つ目は優秀な人材を活用しないことが恥で、三つ目は人や世のために尽くす徳業を持たないことが恥である」と言っております。よってこの三点が優秀なリーダーや指導者の基本的な条件であるとも教えています。この教えは数百年を経た現代においても立派に通じる教えであります。

 

では“貧・賤・老”の各々について具体的に「呻吟語」の中の文章を見てみましょう。

しきは恥ずるに足らず、恥ずべきはこれ貧しくて、しかもなきなり」とあります。貧は恥ではありませんよ、だが貧しい上にがないのであれば恥なのですよと言っています。

 

イヤしきは、これ悪ニクむに足らず。悪むべきは、これ賤イヤしくして、しかもなきなり」とあります。これは能力がないのではなく、努力しないから能力が出ないのですよ。本来、我々は無限の可能性を持っていますが、努力することによって初めてその能力が生きてくるのですよ、と言っています。

 

ゆることは嘆くに足らず。嘆くべきは、これ老いて、しかも虚しく生くるなり」と言っています。これは年を取ることは嘆くことではありません。ただ目標やを持たずに、毎日を虚しく過ごすことが問題なのですよと言っています。

 

現代の日本は超高齢化社会の到来と言われていますが、このテーマは「明日は我が身なり」の切実なるテーマでもあります。厳しく解釈致しますと、がなければ生きている甲斐がありませんよ。「いかに生きるか」ということは、我々人間にとっては最大の課題です。「そのためには生きる目的を持たなければなりませんよ」、要するに「人生を貫くものを持つことが必要なのです」ということでしょう。

 

この様に「貧・賤・老の三つは恥じ入ることではないのです」と教えています。現代の我々を感奮興起する戒めの言葉、勇気づけの言葉ではないでしょうか。今までという言葉が何回も出てきましたが、志について少し振り返っておきたいと思います。

 

現代の日本はその当時の明代と違って非常に物が豊富です。食べ物も不自由がないし、実に恵まれていると思います。あまりにも物が多すぎるため、無駄が多く贅沢過ぎるとさえ考えています。だから「現状を打破し理想を目指して発憤するのだ」という人が少なくなったのではと思います。

 

不自由がないから心がダレるのでしょうか?今の状態と比べて明代の当時は貧しいがためにをなくしている者があったというわけでしょう。「いかに貧しいといえども、貧しいと同時に志さえも失っていれば、それは恥ずべきことなのですよ」と戒めております。

 

というのは人生の希望や理想に向かって進んで行く精神を言います。その志を抱いて、世のため人のために尽くすには、まず自分が自立するということが第一でしょう。自立することによって、世のため人のために尽力する、何かお役に立とうとする、それが志ではないかと思います。

 

最後になりましたが、志というのはトップリーダーの5条件の中の一つでもあります。その中でも一番最初にあげられる条件であり重要な項目なのです。また「易経」には「すべては志から始まる」と何回何回も出て参ります。


  その
を持つには、先ほども触れましたが、人生のテーマや生きる目的を持つことが必要になるでしょう。さぁ、あなたは「確乎たる志」と呼べるものをお持ちでしょうか?

 

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2016/04/23(Sat)

(No.364) 社長は無理を承知で社員に頼め 

社員とは、何かを命ぜられると、二言目には「私にはできません」と言う人種のようです。しかしながら、社長がこの様な社員に負けていたら、激しい企業間競争に負けてしまいます。だから社長はあくまでも社員に対して要求をし続けなければいけません。

 

この時に社長に気をつけて頂きたいことがあります。それは、部下から「できません」と言われた時には、社長が「そんなことはない、きっとできる筈だ」と言ってはならないということです。もしも、社長が本心からそう思っていたとしても、社長はその本心を決して口に出してはいけないのです。社長の本心である「人間は誰であっても、可能性は無限なのだ」と部下に理屈をこねてもダメなのです。

 

何故ならば、できるかできないかは、言われた本人である部下の主観の問題であって勝負は絶対につかないからです。社員は「できない」と思っているのに、社長が「できる筈だ」と言っても始まらないのです。堂々巡りで一歩も前に進みません。フニャフニャ問答になり結論は出ないのです。

 

実は社員が「できません」と言うのは、本音のところは責任逃れの伏線なのです。詮索(センサク)し過ぎかもしれませんが・・・。つまり、社長に命ぜられたことが、もしできなかった時に「だから、あの時、私はできませんと申し上げた筈です」と言うための予防線を張っているのです。

 

だから、社長が初めて指示命令を下す時は「できるかできないか、やってみなければ分からないではないか」という反論と説得が肝要になります。この社長の言葉には、彼は一切反論ができずに、すんなりと従ってもらえるはずです。この様にして部下に着実に実践させて下さい。

 

もしも、社長が以前にも試してみて、彼にはできなかったことを、再びやらせるのであれば「今回は、もう一度、以前とは異なる新しい工夫をした上で、やってみなさい」と言って実行させて下さい。恐らく部下は行動を開始するはずです。

 

では次に「できません」の言葉以外に、もう一つ、社員が社長の指令をはねつける伝家の宝刀の言葉があります。「できません」とニュアンスは同じになりますが、それは「私には、無理です」という言葉です。

 

この言葉に対して社長が「無理ではない」と反論すると、明らかに社長の負けになります。無理か無理でないかは完全な水掛け論であって、決着は絶対につかないからです。社員は伝家の宝刀を引き抜いて身構えているのですから、まずこの宝刀を叩き落とさなければいけません。これは意外と簡単であります。

 

その答えは「そうだ社長(私)も無理だと思う」と言えば良いのです。この様に社員の主張を社長が認めてしまえば、社員はもう何も言うことができなくなってしまうのです。そのコツは社員の考えに同調・同意して一旦は認めてあげることなのです。

 

第一ステップで社員の宝刀を叩き落としたら、次の第二ステップでは、こちらから次の様に切り込んでみて下さい。「社長も無理を承知で頼むのだ、なんとかやってくれ」と。これで完全に社長の勝ちであります。この様に、社長に無理を承知で頼まれたら、もう彼は何も言わずにやってみる外はないのです

 

社員が「無理です」と言うのは、これまた、先述した様に、できなかった時の予防線なのです。それを社長が「無理ではない」と反論すれば、これは「できて当たり前である。もし、できなければボンクラ社員と同じである」と言っているのに等しいのです。これでは社員はたまったものではないでしょう。よって、彼は「無理だ」という主張を絶対に変えるはずがないのです。

 

逆に社長が社員に同調して「私も無理だと思う」と認める時には、「できなくて当たり前なんだよ。もし、できたら君、すごいお手柄なんだよ」とこうなるのです。ここのところの「理屈」というよりは、心の微妙な動きである「心理」というものを知っているか否かが、社長としてトップリーダーとして、とても大切なことではないでしょうか。活学実践を期待いたします。

 

 

 

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2016/04/30(Sat)

(No.365) 会社の真の支配者は、お客様である 

  会社というものは、その会社の商品がお客様に売れて、初めて経営が成り立つという、何とも当たり前のことを、私はずっと以前から叫び続けています。というのは、お客様を無視し、無視しないまでも第二義的にしか考えないという会社が世の中に余りにも多すぎるからです。

 

  具体例を挙げてみますと、「我が社の技術を第一に考えている」、「社員の管理が最も大切だと思いこんでいる」、「同業者間の牽制に憂き身をやつしている」、「能率とコストと品質だけで経営がうまくいくと信じている」、「自分の好みをお客様に押し付けようとしている」などなどであります。

 

そして、それらの会社の業績は決して芳しいものではないことを、私は自分の経験から知っております。当たり前であります。会社の収益はお客様によって得られるのであり、そのお客様は、自分の要求に合わない商品は買わないものです。たとえ一度は買ったとしても、二度と買おうとはしないものです。

 

  こんな当たり前すぎることが何故分からないのか、何故こんなことを言わなければならないのかと腹立たしくさえなるのです。世の中にゴマンとある経営学とか、マネジメントとか称する書物を見ても、「お客様こそが、会社の支配者である」と主張しているものがどれだけあるでしょうか。あまりにも少ないのに驚くばかりであります。

 

  反対に、「社員の管理」にばかり目を向けよ、と主張するものが多すぎます。直接目に見えるのが社員ですから、こう思うのでしょうが、社員が会社を支配しているのではないことは、考えるまでもないことです。もちろん社員が大切な存在であることは言うまでもないことですが・・・。

 

直接目に見えないお客様こそ、会社の真の支配者である」という当たり前で、しかも基本的な認識がなくては、経営はできないのです。この認識の上に立って、お客様を考えてみましょう。まず第一に、このお客様という支配者は、被支配者である会社に対して、「何も命令はしない」ということです。この様に、会社はお客様から何も命令されないものですから、「お客様が会社の支配者である」という感じや意識がちっとも生まれないのでしょう。

 

  お客様は、命令はしませんけれども、自分の意にそわない時には即刻「無警告の首切り」を実行します。つまり、だまって、その会社の商品を買わないという行動をします。そのためにその会社は業績不振に陥り、倒産への道を進まなければならないということになります。

 

  たまには会社や商店にクレームをつけるお客様があります。この様なお客様こそが、本当に有り難いお客様であります。「お前の会社は、そんなことをしていたら潰れるぞ」という警告を発してくれる人達だからです。クレームとは、嫌なものでも避けるものでもなく、実はありがたいものなのです。

 

この大事なクレームについては少し補足をしておきますが、クレームに対する正しい態度は「謝罪と迅速な解決」になります。それ以外は一切不要であります。クレームに対する社長の正しい姿勢にもとづき、正しい処置をすることこそ、わが社の信用を高めるのです。

 

  そして、まず第一にしなければならないのは、「クレームが発生した時に、責任者を叱ってはならない」ということです。クレームを叱ったら、社員は社長に対してクレームを報告せずに、自分たちだけで、もみ消そうとするようになります。

 

誰しもわざわざクレームがつくように仕事をしているわけではありません。みんな一所懸命やっているのです。だからクレームが発生したことで、叱ることはやめるべきなのです。では社長のあるべき正しい姿勢とはどういう姿勢なのでしょうか?

 

それは「お客様のクレームは直ちにトップに報告すること。クレーム自体の責任は追及しないが、クレームを報告しなかったことに対しては責任を追及する。また、指示されたクレーム対策を直ちにとらない場合の責任も追及する」という部下に対する指導こそが、社長の本来の正しい姿勢の答えになります。

 

何も命令はせず、過去の実績は一切認めてくれないお客様を、しっかりとつかまえ、さらに新しいお客様を作り上げてゆくこと。これが企業の生きる道であり経営なのです。ここに経営とは、PFドラッカーが言った「顧客の創造である」という思想が生まれるのです。活学実践を期待いたします。

 

 

 

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