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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2016/09/03(Sat)

(No.383) 思い込みをこわせ (その9)

何事を学ぶにも、「自分」というものが邪魔をしています。大きく分けると二つあります。一つは「自覚のある意識(表面意識・顕在意識)が総て」という思い込み、もう一つが「自分の認識が総て」という思い込みです。

 

  まず「自覚のある意識が総て」という思い込みは、前回にも触れた通り、我々の行動の多くは無意識(自覚していない意識・潜在意識)から生じていることを理解していないために起きます。失敗をした人が自分の非を認めないのは、自覚のある意識で「失敗しよう」とは思っていないからです。実際には、自覚していない意識に失敗に直結する「何か」があったわけで、その無意識が失敗という形になって表れているのです。

 

  自覚のある意識、つまり表面意識・顕在意識だけが総てと捉えているうちは、自分の非を認められないものです。文字通り自分でも一切「自覚がない」状態なのです。その人は将来においては、それを改めない限り、形を変えて同じ失敗を何度も何度も繰り返すことになるでしょう。

 

  ある時、大事な約束に遅れた人がおられました。本人は一応謝りますが「バスが遅れましたので」と言って自分の非は認めません。遅れたのは自分のせいではなくバスのせいだ、ということなのでしょう。本人も大事な約束であるのは分かっていました。

 

詳しく話を聞いてみますと、いつもと同じ時間に自宅は出ていたものの、前の晩に旧友とばったり会って、深夜まで酒を酌み交わしたことを白状しました。大事な約束を守るために、時間的な余裕を持って用心して早めに自宅を出ることはしなかったというわけでした。

 

  大事な約束である「意識」はあっても、「無意識」のうちにどちらが優先されたかになります。本人がそれに気づけば、大事な約束に遅れることはなかったでしょう。

 

  もう一つの「自分の認識が総て」という思い込みは、誰もが共通して持っています。そもそも自分の認識を信用できなくなったら、不安で生きて行くことさえも難しいでしょう。それでも、現実の世界は自分の認識が総てではありません。

 

  最も身近な例で言えば、行きつけのレストランで食事をして美味しく感じなかったとします。「この店は味が落ちたぞ」「今日の料理はまずいぞ」と決めつけるのは早計で、もしかすると自分の体調が悪いだけかもしれません。自分の感じ方が日々変化していることを忘れてしまいますと、「自分の認識が総て」という誤りに陥ることになります。

 

  他の事例の話しに移りますが、私達が山に登るときは、自分がいる山の位置によって周りの視界は常に変化をすることでしょう。山頂にいる人は、天候が良ければ遠くの山々まで見えるし、開けた広い視界を得ていることでしょう。一方で、山のふもとの山麓(サンロク)にいる人は、豊かな木々に囲まれているかもしれません。山頂だから偉く、山麓だから偉くないというわけではありません。私が申し上げたいことは、「その人の立ち位置によって、それぞれの視界や視点がある」ということなのです。

 

  しかし、もし自分の見えている視界や視点が総てなのだと思い込んでしまえば、他の人に見えているものが自分のものとは異なるのだということを全く理解ができませんよねそして我々人間というものは往々にして、自分の視界や視点を相手に押しつけてしまうものであります

 

コミュニケーションや会議などの議論の最中に、意見が対立する時の原因は、なるほどそう言うことだったのですね。それが大きな理由であり、意見の相違や対立が生じてしまうのですね。この現象は実務では頻繁に発生しているのかも?知れませんね。実務とすり合わせしながら読んで頂ければ、どなたも思い当たることが浮かんでくるかも知れませんね。

 

  社長やリーダーは、その立場にあるからこそ、それぞれの視点を持っているものです。同じように、従業員や部下であれば、その立場にあるからこそ、それぞれその視点を持っているものです。要は、お互いに、自分の視点で見ているうちは、残念ですが相手のことを全く理解ができないということなのです

 

「立場が変われば問題が異なる」「問題は立場によって異なる」と言われている通りです。そのために相互に「相手の立場に立つこと(相手の視界を知ること)」が求められているのです。

 

  一般的に、山頂にいる人達は、山麓を通って登って来ていますので、その経験から山麓にいる人達の立場に立ちやすいものです。逆に、ふもとの山麓にいる人達は、未経験の山頂のことを頭の中の想像でしか知り得ません。だから、山頂にいる人達(経営陣や社長)の立場にはどうしても立ちにくいものです。理解ができないし、イメージもできないものです。言葉では何となくわかっているのでしょうが・・・。

 

従って、相手の立場に立つべき人々は、従業員や部下の方ではなくて、組織のトップや上層部におられる社長やリーダー達の側にあるということです。この考え方は会社や組織の中でも十分活用ができる考え方であります。ぜひ皆さん実務でご活用頂ければありがたいと思います。

 

大変残念なことに、いくら厳しく教育しても、本人が自ら取り組む「」にならなければ効果はありません。自ら取り組む者には、まずこの二つの思い込みをこわすことから始めるのが「身につける」上での最短の道になるでしょう。これも「学び方を学ぶ」一つになるでしょう。今回のコラムは少し難しかったかも知れませんね。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/09/10(Sat)

(No.384) 役割を全うする (その10)

  「社員にやる気を持って仕事をして欲しい」そう願われる経営者はほとんどの方々であり、大勢おられます。しかしどこの会社でも「やる気のない」社員は結構いるものです。これが現実の姿でありましょう。

 

やる気とは「未来に気が通ること」と定義されています。「気が出ている」と言っても良いと思います。つまり「やる気がある」とは未来に気が通っている状態であり、「やる気がない」とは気が通っていない状態ということになります

 

  ひとことで「やる気がない」と言っても、大きく分けて二つあります。一つは、もともと採用の時点から「やる気」がない場合です。もう一つは、もとは「やる気」があったのに、現在何かのきっかけで失っている場合です。やる気が見られないという点では同じであっても、その意味は完全に異なっています。

 

  前者の場合、その姿勢は本人の仕事観、もっと言えば人生観に基づいたものになりますから、研修やトレーニング等で容易に、簡単に変えるということは至難の業になります。だから数年前や数十年前の、その本人の最初の採用の時が一番重要であるということになります。

 

  後者の場合、やる気を失った原因が何かしらあるはずです。それを改善することで、またやる気が出てまいります。その原因は様々でしょうが、その一つが「期待に応える」という考え方があります。

 

  経営者であれば、社員に期待することが沢山あるはずです。それを言葉にして伝えている方も多いでしょう。しかし、社員が「期待に応えよう」とすればするほど仕事は上手くいかなくなります。なぜなら、その「期待」は常に変化しているからです。ゴルフに例えますと、目標としているカップが固定されていなく、常に動いているようなものになるでしょう。

 

  期待をよせる人が多くなればなるほど、その「期待」は複雑なものになります。十人いれば十人の期待があり、総ての期待に応えることなどは不可能になるでしょう。それにもかかわらず、人は「期待に応えよう」としてしまうのが世の常なのです。

 

  したがって、二代目・三代目の若い経営者の方々は特に大変だと思います。彼らの相談を受けますと、必ずこの問題が出てきます。二代目の彼らが「私は周囲の期待に応えたいと思っています」と言われると、私は「期待になど応える必要はありませんよ」と答えてあげます。この私の、意に反した様な返事に例外なく相手は驚いた顔をなされます。

 

  そして次に私が「期待に応えるのではなく、自分の役割を全うなさって下さい。それには、まず自分の役割を正しく知ることが大切なのですよ」とお話しをします。たとえ多くの人々の期待にそぐわなかったとしても、自分の役割を全うすれば自然に結果は出るものです。逆に期待に応えようとすればするほど、結果が出なくなるものなのです。

 

  この様な話をしますと、彼らの表情はホットされるのか、途端に晴れやかな表情になります。「期待に応えよう」とする考えが不要なプレッシャーになっているからなのでしょうね。

 

  経営者は、社員に対して会社(あるいは部署)の全体像を示し、その上でその社員の役割を明確に伝えることが必要になります。そして役割を全うしたら正しく評価してあげることが大事になります。

 

  しかし、多くの会社や組織は「役割」を明確に示さず、「期待」という曖昧なものしか示していません。従って、正しい評価ができません。社員からしてみれば、マラソンでゴールを目指して一所懸命に走って来たのに、いつの間にかゴールの場所が変わっているということになります。それでは社員の努力は報われませんし、やる気をなくしてしまって当然になるでしょう

 

  社員一人一人が自分の役割を正しく知り、まっとうできる会社は、未来に気が通っています。先述の「気が出ている会社」になるのです。

 

  この様に5年後、10年後の自分は、周囲からの「期待」によって決まるのではなく、組織における、あるいは世の中における「役割」によって決まってくるのです。

 

  これを広く「人生」として捉えれば、昔から「天命を知る」とか「自分の使命は何かを知れ」と言われるように、天から与えられた役割を正しく知るということになるでしょう。

 

  我々は、みなそれぞれに、この世へ封書を持って生れてきているのです。だから封書を開けて見ないと自分の役割や使命は分からないのです。我々は自分の意志と力によってこの地上に生まれた人は一人もいないのです。遅くとも40歳前後までには、封書を開けて己の天命と使命を知りたいものでありますが・・・?

 

その結果、天命と使命を知った人は、人生にが通っていきます。「気が出ている人生」となるでしょう。 最後に短歌を一言。「天命と 与命と使命 知命して わが運命を 立命をせよ」です。活学実践を。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/09/17(Sat)

(No.385) リラックスと虚脱 (その11)

  世の中には似て非なるものがあります。例えば「勇敢」と「無謀」、「慎重」と「臆病」、「集中」と「執着」など、世の中には見た目が似ていても中身が異なるものが沢山あります。今回のテーマの「リラックス」と「虚脱」は正にそれでしょう。

 

大事な場面に臨んで力んでしまったら、せっかくの能力も発揮されません。大事な場面だからこそ「力を抜く」ことが重要なのですが、そうすると今度は弱くなってしまいます。結局は力を抜くことができないのです。これは「リラックス」と「虚脱」を混合することで生じているのです。

 

  「リラックス」とは、力を抜いた結果、身体の隅々まで気が通っている状態を指します。リラックスすることにより、身体は強くなり効果的に使うことができます。正しく力を抜くことによって、身体は弱くなるどころか、強くなるのです

 

  以前にも触れましたが「虚脱」とは、力が抜けた結果、気まで抜けてしまう状態を指します。虚脱になると、身体は弱くなり何もできなくなります。もし、力を抜いた結果が虚脱だとしたら、恐くて力を抜くことなどできません。(当経営コラムNo377 姿勢とは?をご参照下さい

 

  「リラックスすると集中力が緩ユルむ」というイメージを持つ方がいますが、それは虚脱の誤りです。身体に力みがあるときは心は自在に働きません。リラックスすることにより心が自在に働くようになるので、「集中」が必要なときには集中力はより発揮されます。

 

  満員電車や人混みの中にいるとき、力んでいると周りからの衝撃を受けやすいですが、リラックスしているとほとんど受けません。虚脱でいたら大変なことになります。

 

  むかしの話で恐縮ですが、世界のホームラン王である王貞治さんのお話しがとても印象に残っています。「野球選手にとって打ちたいという気持ちはとても大事です。ただ、その打ちたいという気持ちをどう表現するのかということが大事なのです。

 

打ちたいから全身に力を入れてバッターボックスに立つのか、それとも、打ちたいからリラックスしてボックスに立つのか、さあ、そこの所の微妙な違いが分かれ道になってゆくのですよ」との内容でした。なるほど、とうなずくばかりでありました。さすが道を究めた人は、非常に深く研究されていて理解の程度も凡人とは全く違うものなのですね。やっぱり世界のホームラン王であります。

 

 また、一般的に経営者やリーダーの多くはゴルフをなされていますが、ゴルフにおいても同じことが言えるでしょう。力を入れても飛ばないと悩む人が、力を抜くことを覚えた瞬間に飛ぶようになるのは頻繁にあることです。力を出すためには力を抜く必要がある、ということがポイントなのですね。この様に我々の人生においてもリラックスはとても重要なテーマの一つなのです。

 

 我々は困難に直面すると、往々にして、身体に力を入れて身構えるものです。しかし、身体が緊張し余分な力みが生じると、逆に刺激や衝撃を受けやすくなります。また、力み自体による疲労困憊コンパイがあるので、短い期間で解決するのならば良いのですが、長い期間では体力的に持たないでしょう。

 

 ただし、先述の様に力の抜き方を間違えて虚脱状態になってしまいますと、気力までなくなってしまいます。これは言い方を変えれば、正しいリラックスを身につけることができれば、「私達は困難に打ち克つだけの強さが得られる」ということを示しているのです。

 

(次回に続きます) 

 

 

 

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2016/09/24(Sat)

(No.386) 経営者・リーダーを育てる (その12)

大きな会社や組織では、経営者やリーダーを外部から招聘することがありますが、中小零細企業の多くの会社や組織では、生え抜きの人材が経営者やリーダーを務めておられる所が多いと思われます。

 

  経営者やリーダーは高度に専門化された役割をもった人達です。それにも関わらず、多くの会社や組織においては、経営者やリーダーとしての基礎を学ぶことなくその役割に就きます。これは自動車運転免許を持たずに公道で車を走らせるのと同じく大変危険なことであります。継続・発展を前提とした会社や組織における最大のリスクになります

 

  法人にも色々と種類がありますが、例えば公益法人の組織は、営利を目的とした会社法人とは性質が異なります。組織の構成員である役職者は雇用関係にあるわけではありませんので、業務命令が通用致しません。

 

  その繋がりは、形のある給与・報酬によるものではなく、形のない社会的使命や、やり甲斐によるものです。その繋がりによって組織がまとまっているのです。そんな非営利組織においては、「を通す」ことと「気が通う」ことが特に重要になります。この二つは似た言葉ですので、理解が難しいと思いますので、個別に説明をしておきましょう。

 

  まず「気を通す」とは、経営者やリーダーが「社会で果たすべき役割は何か」「どのような姿勢で取り組むのか」「どのような将来像を目指すのか」を明確にすることを指します。これにより、経営者やリーダー自身は勿論のこと、組織として共に歩む人々が過去・現在・未来に気が通り、心を自在に使えるようになります。

 

  次の「気が通う」とは、同じ目標に向かって共に歩む人々の心が一つになることを指します。どれだけ優秀な人材が揃っていても、気が通わなければ機能しないでしょう。気が通うとは「仲良しになる」ことではありません。多くの人間が集まるところ、必ず得手・不得手や好き・嫌いは生じるものです。同じ方向に心が向いているかどうかが重要なのです

 

  以上の様に、これらが重要なのは、何も非営利組織に限ったことではありません。株式会社などの営利組織でも当然重要なテーマであります。近年では「働く目的」や「働き方」が多様化しており、高い給与・報酬を提示するだけでは望む人材が得られなくなっています。会社においても、社会的使命ややり甲斐を求めて働く人が多くなってきました。

 

  そもそも、高額な給与・報酬だけを目的に働く人は、より良い条件を提示されたら、すぐに別の会社に移籍してしまいます。中・長期にわたって会社を支える人を育てるには、「気を通す」ことと「気が通う」ことの二つを徹底することが重要になるのです

 

  それでは、これまでコラムでお伝えしてきたことに基づいて、ご自分の会社・組織を実際にチェックしてみましょう。「気を通す」ことと「気が通う」ことの二つに分けて項目をあげておきますので、一つずつ振り返って診断をなさって下さい。

 

  まず【1】「を通す」ことについて

 

① 経営者・リーダーが「我々の組織が社会で果たすべき役割は何か?」また「どのような姿勢で仕事や活動に取り組むべきなのか?」「どのような将来像を目指すのか?」を明確にしておられますか?

② 経営者・リーダーは、それらを、共に歩む人々と同じように常に共有しておられますか?

③ 会社・組織内でそれぞれの人が自分の果たすべき役割を明確にしておられますか? などの項目になります。

 

  次に【2】「が通うことについて

 

① 会社・組織内で心身一如のコミュニケーションを交わしておられますか?

② 同じ目標を共有し、部分最適ではなく全体最適で動いておられますか?

     会社・組織の現場はプラスの気を発しておられるでしょうか? などの項目になります。

 

もし診断の結果、十分でなくて改める必要があると判断されたら、少しでも改善されるように努力なさることをお薦めしたいと思います。

 

  我が国では、テレビ番組で「この食べ物が体に良い」と放送されると、翌日にはスーパーマーケットで売り切れが発生すると言われます。私たちは「何かが良い」という情報を得ると、すぐに飛びつく傾向があります。

 

何か一つによって総てが良くなる「万能薬」などは決して存在致しません。経営・ビジネスでも同じことです。何か一つをやれば万事が上手く行くことなどはあり得ないのです。経営者やリーダーが学ぶべきことや、実践すべきことはとても多岐にわたって多いものだし、広くて深いものであります。

 

  その中でも、特に重要な学びの一つが「気を通す」ことと「気が通う」ことになります。従来の経営学では一切触れられていない新しいテーマになるでしょう。経営者やリーダーが会社や組織を上手く導いていくための必要条件になるでしょう。中には天性で備わっている人もおられますが、多くの場合は訓練によって身につけてゆくものです。経営者やリーダーになってから突然に備わるものではなく、時間をかけて習得していくテーマになります。いくら焦っても促成栽培は不可能の様であります。

 

 もしその人が専門分野に優れているからとか、業績を上げているからとか、トップの補佐を長くしているからというだけでは得られないでしょう。習得し身につけるには実践の場と、実践によって得られた経験が不可欠になることでしょう。

 

(次回に続きます

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