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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2016/10/01(Sat)

(No.387) 気力を養う (その13)

  「」は自らを動かす力であり、人を動かす力であり、物事を成し遂げる源泉になります。気力は必ずしも年齢に関係がありません。若くても無気力の人もいれば、年をとっても気力が充実している人もおられます。

 

 また、気力は必ずしも健康状態に関係はありません。身体が健康でも無気力の人もいれば、大きな病を持ちながらも気力が充実している人もおられます。生死に関わる大病を何度も患いながら、それを気力で乗り越え、8000メートル級の山を無酸素で登頂する男性もおられます。

 

 この「気力」は一体何処から生じるのでしょうか?「気」はバッテリーのように使って消耗するものではありません。「」は交流することで初めてその力を得ます。気を出すことによって新たな気が入って来て、そこに天地自然の気との交流が生まれます。以前にも書きましたが、気の交流が活発な状態のことを「元気」と言います

 

 「気力」とは気の交流を活発に維持する力を指しています。元々、気は交流しているのが当たり前ですが、不自然な心の使い方・身体の使い方をすることによって停滞してゆきます。

 

  気が停滞すると心を自由に使えなくなります。それによって様々な不具合が生じます。「気と心」の関係は「空気と音」の関係に似ています。その空間に空気があることによって、音は周囲に空気の振動として伝わりますよね。の状態もそれと同じで、そこにが通っていることによって初めて、心の状態は周囲に伝わってゆくのです。

 

  つまり、経営者・リーダーが「心に強く思う」だけでは周りに伝わらないということです。経営者・リーダーが思い描く理念やビジョンが周囲に伝わるかどうかは、会社や組織全体に「気が交流」しているかどうかで決まるということです。それだけ気の交流は組織運営にとっては重要なテーマになるのです

 

  気の交流そのものに特別な感覚がある訳ではありません。しかし、様々な実感を通して確認することができます。例えば「元気」そのものに特別な感覚はありませんが、「身体が軽い」「食事やお酒が美味しい」など実感を通して確認することができます。

 

  また、気が交流しているときは、見えている範囲が広く、周囲のことを良く感じ取れています。逆に気が停滞しているときは、見えている範囲が狭く、周囲のことを全く感じられません。状況把握も正しい判断もできない状態になっています。この実感を通して、気が交流しているかどうかを確認することができるのです


  特に注意して頂きたい点は、自分(自社)のことばかり考えているときは気が完全に停滞しているということです。このようなときに、どうしたら気が交流するように戻れるかが重要になります。すぐに実践できることは、以前に説明しましたが「
気の呼吸法」の実践になります。呼吸を通して自分自身と外界の交流を再確認することで、また気が交流するようになります。

 

  その他の方法については、人によって様々ですが、自然の中に身を置くのも良いかもしれません。現代の生活では長時間ノートパソコンやスマートフォンに触れていて、無意識のうちに見えている範囲が狭くなり、周囲のことを感じられなくなっています。自然のなかで過ごすとそれがリセットされることが良くあることです。

 

  あるいは思い切って、誰かのために働いてみることも良いでしょう。「誰かのために働く」という行為そのものが気を出すことなので、新たな気が補給されて、気の交流が活発になります。精神的に辛いときでも、思い切って誰かのためにと動き出した結果、元気になった経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。(この点は以前にも書きました。当経営コラムNo.375をご参照下さい

 

  まとめますと、「気力」とは、どの様な状況でも気が活発に交流する状態を持続する力を指しています特に困難や逆境に直面したときに気力が発揮されるのです。ですから、経営者・リーダーは、「知力」「体力」だけではなく、「気力」を養うことが重要であるということなのです

 

 他方で、教育や訓練によって「気力」とか「やる気」を養うことは極めて難しいものなのです。本人が自ら求めて養わない限り、外から与えることはできません。ゆえに、会社や組織において気力ややる気のある人材を得るには、研修などに依存することではなくて、初めから気力のある人を採用する必要があるということになります。(この点も以前に書きました。当経営コラムNo.384をご参照下さい

 

  もし、経営者・リーダーを育てるのであれば、気力のある人を育成候補とすることです。一般的には、育成においては知識・技能などを主にした能力を最優先で評価・判断しがちですが、それらの能力は時間を経た後での訓練によっても向上が可能であり、また期待もできるものです。

 

  しかし、いくら能力があっても気力やる気がなければ物事は絶対に成就しません。今後は人の採用や育成においては、「知識や知力」よりは「気力」という物差しを持つことが重要であるということになるでしょう。「気力」を最優先して判断して下さいね。将来、絶対に後悔しないためにも。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/10/08(Sat)

(No.388) 分かるには各種の段階がある (その14)

No.382)の「学び方を学べ」でも述べていますが、身につける」学びにおいては、知識や情報を得ただけ、あるいは頭で理解しただけでは意味がないことを何度も触れて参りました。「本当に知るとは実践が伴うことである」という「知行合一」(チコウゴウイツ)の教えのことでしたね。今回もその内容に近いお話をしたいと思います。

 

  一般的には「分かりました」という言葉は、日常生活で頻繁に用います。が、よくよく整理して考えてみますと色々な段階があることに気づかされます。知行合一」の教えが身についた方からは簡単に分かったと言うな」と厳しく注意を受けそうな気がいたします。

 

  そもそも学ぶということは、様々なことを「身につける」ためにしているわけで、知識や情報を得ただけでは「分かった」といえるはずがありません。

 

  ひとことで「分かった」とか「分かる」といっても、理解の深さによって段階があることに気づかされます。それは「分かった」と感じる基準が人それぞれにあり、各人で基準がそれぞれ異なっているからなのです。以下に四つの段階の「分かった」について触れてみたいと思います。

 

 ① 最も浅い理解は、知識や情報を得ただけで「分かった」と感じることです。インターネットが普及して、私たちが触れる情報量は圧倒的に多くなりました。その中から自分が必要としている情報を受け取るわけですが、現代においてそのスキルが重要なのはいうまでもありません。

 

  他方で「身につける」学びにおいては、時代の変化に関係なく、そのプロセスは変わっていません。それは体験し・体感し・会得することです。そして、会得したことをいつでも、何度でも再現出来るように訓練することになります。

 

この最も浅い理解で、知識や情報を得ただけで「分かった」と感じる人は、それ以上に自ら求めることはないでしょうから、この基準の「分かった」のレベルでは、全くその人の身にはつかないものになるでしょう。

 

 ② 次の浅い理解は、一度出来ただけで「分かった」と感じることです。これでも理解の深さは十分とは言えません。その一度は偶然かもしれませんし、条件や環境が変わったら全く出来ないかもしれません。一度だけ出来ただけで「分かった」と感じる人も、それ以上に自ら求めることはないでしょうから、ほとんど身につかないと思います。

 

 ③ 深い理解は、いつでも、何度でも再現出来る様になって初めて「分かった」と感じることですこの段階で初めて「身についた」とも言えるでしょう

 

 ④ 最も深い理解の段階は、自分に出来ることを人様にも出来るようにして差し上げて「分かった」と感じることです。自分だけが出来るのでは、リーダーや指導者としての価値がないと言っても良いでしょう。人様に伝えるには、自分のなかで身につけたことが整理されていなければいけないでしょう。自分一人では出来るのに人様には伝えられない状態は、自分の中で整理がなされていないか、もしくは整理が十分になされていないときに生じるものでしょう。

 

  今後の教訓として言うのであれば、今からの経営者やトップリーダーは、上の四つの「分かった」の基準では、③か④の段階の人であってほしいと思います。したがって、知識や情報を得ただけで分かった様な顔をする指導者や部下に対しては、厳しく接してほしいと思います。

 

  もしそれが実現すれば、企業の組織風土が良い方に変わって行くと思われます。仕事面でも厳しさがピリッと感じられるため、業績も向上するものと推察されます。

 

 「分かった」という基準が低い人は、何事においても簡単に「分かった」と感じますので、それ以上深く掘り下げたり、身につくまで努力したり訓練したりはしないものでしょう。知的には優れているはずなのに、何一つ身につかない人などは良い例になるでしょう。

 

また基準が低い人で「分かっている」と思う人には、それ以上何も入っていかないのも事実になります。その人の能力はストップしたままで、将来の進歩はないと言ってもよいでしょう。

 

逆に「分かった」という基準が高い人は、常に「どうしても、いまいち、まだ良く分かっていない」というフラストレーションと呼べばよいのか、欲求不満を抱えているはずです。「もっともっと深く分かりたい」という心から願い望む気持ちと、「どうしても、これ以上良く分からない」ことへのストレスによって、分かる努力を継続するため、最後には深い理解を得るようになることでしょう

 

  また組織の中では、一見すると「分かりました」と愛想良く言う人の方が周りには良く見えますよね。しかし、それは「分かった」の基準が低いだけの可能性があります。すぐに「分かりました」と言わない人は、無愛想に見えても、「分かりました」の基準が高いのかもしれませんね?

 

 さて、みなさん、今回のコラムの内容は「分かりました」でしょうか?

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/10/15(Sat)

(No.389) 人を育てる  (その15 最終版)

  ビジネスという言葉を日本語に置き換えたとして、「実業」と「虚業」という言葉があります。

 

  世の中には、堅実な事業が「実業」であり、投機的な事業は「虚業」であると捉える人がいます。一方では、モノづくりが「実業」で、金融業は「虚業」であると捉える人もいます。それ以外では、価値を生み出す事業が「実業」であり、価値を生み出さない事業は「虚業」であると捉える人など、その定義づけは人によって様々であります。

 

  私は、継続・発展を前提とした事業が「実業」であり、その前提がなく一時の成果を求める事業が「虚業」であると自分なりに定義づけをしております。またその実業の世界の中で会社が継続・発展するためには「人を育てる」ということが必要不可欠になるでしょう。

 

  しかし、ご存知の様に人を育てるには膨大な時間と労力と費用を必要とします。また、必ず育つという確証や保証もありません。それでも、人を育てることは、避けることができない必須のテーマになります。企業経営にとっては、なくてはならない必要不可欠なことになります。

 

  また、知識や情報を得るだけであれば、能率や効率を考えて育成することができます。しかし、ビジネスにおけるマインドづくりである、精神力の改善強化や価値観の更なる向上などは能率や効率などでは計ることはできないでしょう。

  先述の虚業においては、人を育てる時間と労力を放棄して目の前の成果を追いかけても、短期的な成功は得られるかもしれません。しかし、継続・発展を前提とした実業においては、成功は得られないと思われます。

 

今までこの「気のシリーズ」でお伝えして参りました内容は、「人を育てることに大いに活用して頂きたいと思います。その時に「気が出ているとか気が通っているとか気を通す」とか「気が交流している」とか「気力がある」「やる気がある」といったテーマが大きな手助けになると思われます。全て今までに触れて参りました。

 

  そこで、社長やトップリーダーの方々は膨大な時間と労力をかけて現指導者の質の維持と向上、そして次世代の指導者の育成に努めなければなりません。事業と同じで、決して順風満帆な時だけではなく、常に課題も生じるでしょうが、一歩ずつ前に進んでいって下さい。

 

  良い経営者や指導者の元には良い社員が集まり、その良い社員の中から良い経営者や指導者が生まれていきます時間を超えて、場所を超えて、組織が継続・発展するには、トップリーダーや社長が「人を育てる」ことが是非とも必要になるのです。日々、その経験を積み重ねていって下さい。お願い致します。

 

  様々な相談にお応えして、私が気づくことは「人を育てる」ことにおいては、社外に求めて良いものと、社外には求めてはいけないものがあるということです。知識やテクニックや情報を得ることが目的であれば外部に委託してお願いしたり、アウトソーシングすることができるでしょう。むしろ、外部の専門家に任せた方が効率よく吸収できるかも知れません。

 

  しかし他方で、ビジネスにおけるマインドづくりはアウトソーシングすることは絶対にできません。自社において教育の仕組みを構築するしか方法はないでしょう。

 

  必要な情報がいつでも、どこでも簡単に得られる時代となり、安くて質のよいものが選ばれるのが当たり前の時代になりました。その中で、何によって他社と違いが生じるのかと言えば、幸福感や充足感など「形のないもの」による付加価値になるでしょう。

 

  これからの企業においては、知的に優秀なだけではなく、「形のないもの」を理解し、それらを生み出す人材が求められていきます。「形のないもの」を理解するのは五感ではありません。五感は外界を感知するための身体機能であり、私たちは五感を通して「」で理解しています。だからこそ「人を育てる」こと、もっと言えばその人が持っている「心を育てる」ことが重要になるのではないでしょうか。

 

  このときに、今まで触れてこられた「」という土台が必要不可欠になるのです。今回の「気のシリーズ」は長いコラムになりましたが、最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。活学実践を期待しまして、おしまいにしたいと存じます。

 

 

 

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2016/10/22(Sat)

(No.390) 真の人生の始まりとは? (1/2)

もし我々が、真の人生を始めるためには、ステップとか順番があるのでしょうか?

また、残された自分の人生を価値高く、有意義で格調高く生きるには、一体どうすれば良いのでしょうか?

 

  もし確たる答えがあるのであれば、もっと若い時に知りたかったものであります。今回は難度は少し高いかも知れませんが、この様なみんなに共通している人生に関するテーマについて考えを進めてみたいと思います。

 

まず第一番に考えられることは、「人生は、みな平等で一回限りであり、死んだらそれまでである。では、この二度と無い人生を、どのように生きればよいのだろうか?」という根本哲学に触れないことには、真の人生というものは始まらないと言ってよいのかも知れません。

 

この根本哲学というと何だか難しそうですが、易しく表現すれば「人生をいかに生きるのかという志を立てる」とか「人生の根本目標を打ち立てる」とかに言い換えてもよいと思います。ここで使いました“哲学という文字の意味は、学問のことではなくて、自らの経験から築き上げた人生観や世界観のことになるでしょう。

 

その次、二番目に考えられることは、どうせ長い道のりである人生を歩むのであれば、先人や賢人たちが残してくれた「人生の要諦ヨウテイ」(大事な点やポイント)や「人生の要訣ヨウケツ」(人生のコツ)を先に学んでから歩みをスタートすれば、たいしたつまずきなどをすることもなくスムーズに人生を進んで行けそうな気がすることです。

 

本来であれば、その様な順番とプロセスの準備を経て初めて、私たちの本番である真の人生が始まってゆくのでしょう。がしかし、それらとは全く異なった歩みで、を立てることもなく、また人生の根本目標を打ち立てることもせずに、その上「人生の要諦ヨウテイ」や「人生の要訣ヨウケツ」を学ぶこともなく、歩む人生とは一体どういうものなのでしょうか?

 

その様な視点で、私自身が、今じっと立ち止まって考えてみて、現代の世相を俯瞰(フカン)して眺めてみますと、私を初めほとんど大勢の人達が、人生の歩み方については、何一つ教わらず、学ぶこともなく、つまり何もそれなりの準備もせずに、無防備のまま人生を歩んで来たような気がいたします。

 

私の幼少時代を振り返って考えてみますと、小学校中学校をまじめに通い、高校大学の受験のために、必死になって知識や公式などを記憶したことなどばかりが思い出されます。その反動でしょうか、大学に進学したらバイトや遊びが中心の生活で、懸命に勉強した覚えなどはあまり残っておりません。恥ずかしい限りであります。

 

確かに知識は増えて頭でっかちにはなったと思いますが、人生を歩む際の参考になったものは、どれほどあったのでしょうか?はなはだ疑問であります。卒業後そのまま会社に就職して社会人になり、お給料を頂いて仕事を始める人生がスタート致しました。みんな似たり寄ったりなのかも知れませんね。

 

その様な、準備が無くて行き当たりばったりの自分の人生を振り返ってみまして、簡単にまとめてみますと「自分のみ」「目先のみ」「損得のみ」の三拍子を中心とした価値観だけを追い求めてきた人生と言っても良いのではなかろうかと思います。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/10/29(Sat)

(No.391) 真の人生の始まりとは? (2/2) 

  「自分のみ目先のみ損得のみ」この「人間がこしらえた、狭くて小さな三拍子だけでは価値がない」と断定はできないでしょうが、これだけを目指して生きるのであれば、あまり感心のできない価値観かも知れません。しかしながら、なんと言っても、この三拍子は「地球上のほとんどの人達が従っている価値観である」と言って良いのかも知れません。

 

やはり自分のみ・自己のみ・利己のみ・私のため(for me)ばかりではなくて、他己・あなたたちのため(for you)を中心にした利他・喜他・世のため人のために貢献したいという気持ちを持って、目の前のこと、目先ばかりのことではなく、長期的な思いを持って、子々孫々までの視点で、我・私・欲である利害得失や損得を越えた判断であれば、大きな視点、高い視座になるのではないかと思います。

 

  この三拍子の価値観では自分自身の広さからは一歩も外へ抜け出すことができない、いつも狭くて小さな世界になってしまうことでしょう。もし、その三拍子の価値観を離れたとしたら、比較できないほど広くて大きな概念になり、どれだけ人生が格調高くて有意義なものになるかも知れません。

 

この様に「この二度と無い人生を、どのように生きればよいのか?」という根本目標を打ち立てることによって初めて私たちの真の人生は始まってゆくのでしょう。

 

次に、前回述べました「人生の要諦ヨウテイ」や「人生の要訣ヨウケツ」について少し触れておきたいと思います。両方とも似たような漢字で難しい言葉ですが、簡単に言えば人生の要諦や要訣というのは、人生の大事な点やポイント、人生のコツという意味になります。

 

有り難いことに、先哲達は私たちに「人生の要訣」を残してくれています。以下に人生の要訣について二点に絞ってお伝えしたいと思います。

 

まず、要訣の第一のポイントは、夢、、理想、ビジョンを持たないならば、個人でも会社でも国であっても、絶対に発展しないということが書いてあります。あらゆる生命が発展するには、高く掲げる目標が不可欠なのだということを指摘しているのです。この点は、絶対に忘れてはいけない人生の要訣であると思います。

 

これに関しては中国の王陽明という人物が、「が立たなければ何事もなし得ません。例えば、舵カジのない船やくつわのない馬と同じであり、どこに行くのか分からない人生になってしまいます」と述べています。まさにその通りだと思います。

 

ここにという言葉がありますが、先哲は「志を立てるには、最低三つの条件が必要である」と指摘しています。私は、志は誰でも簡単に立てられるものと思っていましたが、そう簡単にはいかないみたいです。参考のために以下に示しておきましょう。

 

志を持つための3条件】とは?

人生のテーマを持つこと
」が第一条件になっています。死ぬ最後まで追い求めるテーマのことに
なります。我々はみな、仕事のテーマは各々持っているでしょうが、自分が死ぬまでずっと追求する人生のテーマを持てとなると、なかなか持てないものでしょう。よってこの条件は簡単にクリヤーするのは難しくて厳しい条件であると思います。


生きる原理原則を持つこと」です。この一点だけは絶対に譲れないぞという信念や心の背骨を持
つということになります。


③ 「
言行一致である」ことです。口と行動、言うことと成すことが一致して違わないということです。・・・以上この3つが揃ったときに初めて志が成り立つのですと教えています。

 

  今まで持っていた志の概念とはガラッと変わり、「志を立てるのは、本来はとっても厳しいものなんだなぁ」と感じてしまいます。

 

しかしながら嬉しいことに、人間というものは、「ひとたび志を立て、志を持って生きる様になれば、本当の元気が生まれるのです」とも教えています。つまり、人間は自分のことばかりに意識が向いているうちは元気が出ないもので、誰かのため、会社や組織のため、国のためと思って、志高く歩んでいく所に本当の元気が生まれるということなのでしょう。もし我々が本当の元気を得ようと思えば「志を立てること」が是非とも必要であるということなのですね。

 

次に、要訣の第二のポイントは、そこにどういう人がいるかどうかという点です。「家でも会社でも国でも、そこにどういう人がいるかによって、そこの運命が決まってしまう」ということを指摘しています。至言だと思います。小は家庭から大は国家まで、あらゆる組織はそこにいる人によって決まる。すなわち、「我の人間力づくりこそすべての根幹である」ということを教えております。

 

では、どうすれば我の人間力づくりができるのでしょうか?その要訣を、私淑している安岡正篤師が以下の様に二点を示しておられます。

 

1つ目は 「日常の出来事に一喜一憂せずに、現在の仕事を自分の生涯の仕事として打ち込むことです。そして、それを信念にまで高めなければ自己の確立はあり得ないのです」と。

 

2つ目は 「人間はできるだけ早くから、良き師、良き友を持ち、良き書を読み、ひそかに自ら省みて、自ら修めることであります。人生は心がけと努力次第であります」と教えておられます。

 

どちらも厳しい言葉ですが、胸にジーンと響くものが感じられます。さぁ、我々はみな我づくりのために、上の言葉を一つでも実践する努力をしているのでしょうか?ドキッとさせられます。

 

 

 

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