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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2016/12/03(Sat)

(No.396) 無私の精神から生まれる経営 (松下幸之助氏に学ぶ) (2/2)

幸之助氏の言葉に「経営は単なる金儲けとは明らかに違う」とあります。あるきっかけから、幸之助氏は確信されたそうであります。経営がほぼ順調に推移していた頃に、幸之助氏は何か満たされない心、何か物足りない心の状態で日々悶々(モンモン)として暮らしていたとのことであります。

 

具体的には、若いころあれだけ「腹一杯ご飯を食べたい」と思っていたのに、いざ腹一杯食べられる様になっても、何か心が満たされない。また、いつも「良い家に住みたいなぁ」と思い、一生懸命頑張って、いい家を建てたけれども、何か物足りない心境であったとのことであります。そんな時、ある知人から「幸之助氏さん、あんたには信仰心がないからだよ」と言われます。その後、その人に誘われるまま、一緒に天理教の本部を訪ねたとのことであります。

 

そこで信者さん達が働いている姿を見てびっくりします。奉仕活動に励む信者さん達の姿を見て、幸之助氏は強い感動と感激を覚えるのです。働いている姿を見れば、宗教団体の総本山にいる人達も、自分の会社(松下電器)の社員達も一緒であると考えたそうです。「この人達はなぜ、生き生きと働いているのだろうか?」「何と溌剌としているのだろうか」と素朴に思ったそうであります。

 

これだけ生き生き溌剌と働けるのは、きっと給料をたくさんもらっているに違いないと思ったのでしょう。こんな質問をしています。「すみませんが、お給料はどのくらいもらっておられるのですか?」「一銭ももらっておりません」と聞いて幸之助氏はびっくりします。給料をもらっている、うち(松下電器)の社員よりも、一銭ももらっていないこの人達の方が、こんなに熱心に働けるのは一体どうしてなのだろうか?彼は素直に疑問を持ちます。

 

また「ここに来られるのに電車賃はどうされたんですか?」と聞くと「自分で払ってここまで来ました」との答えです。これは一体何ということなのか?うちの会社では給料を払って、その上に交通費も払っているのに、これほど熱心に働いてはいない。一体これは、なぜなんだ?とそのことをずっとずっと考えていきます。

 

  この時も幸之助氏は、考えに考え抜いて答えを得ています。稲妻のごとく頭に走るものがあったと自著『私の行き方考え方』の中で述べておられます。経営者の目覚めとも言えるでしょう。要するに経営のコツを悟った瞬間だったのです。考えに考え抜いた結果、頭に走った結論とは一体何だったのでしょうか?

 

「あの宗教団体の人々が、あれだけ一所懸命働けるのは、給料とかそういうお金の問題じゃない。自分のやっている仕事が聖なる偉大なる事業であると思っている人間は自分のやっている仕事の本当の値打ちを感じた時、金銭を越える力を発揮できるんだ」という事に気がついたのです。

 

給料が多いから頑張るのではない。待遇がいいから頑張るのでもない。「自分でやっている仕事が本当に世の中の役に立っていることに気がついたら、人間はお金を越える力を発揮できるんだ」という事に気がついたのです。これは凄く大事な目覚めであります。そして同時に「我々の事業も、宗教団体の経営も形こそ違うが、尊さには変わりがない、同等に聖なる事業である」と、幸之助氏は使命感に目覚められたとのことであります。

 

それから彼は自分の経営を振り返ってみて、今まで社員に仕事の使命感をどんな風に語ってきたかという事を反省します。例えばお客様に喜ばれようとか、サービスが行き届いた仕事をしようとかの、常識的な意味において良心的な仕事をすることぐらいは教えて来たけれども、本当の使命は教えてこなかったのだと反省をしておられます。

 

真の使命に目覚めた」という意味で、この年、昭和7年(1932年)を「本当に使命を知った元年」「命知元年」として、今までの創業記念日を新しくやり変えたとのことであります。振り返れば1918年23歳で創業してから、真の使命に気づくまでに約14年という月日が経っていたのであります。年齢は37歳でありました。

 

では私達は、幸之助氏の様に真の使命に目覚め、真の使命を明らかにして、事業に携わっているのでしょうか?これを機にお互いに振り返って、考えて見ようではありませんか。松下幸之助氏に学ぼうではありませんか。

 

時を同じくして、社員全員の168名を講堂に集めると、幸之助氏は事業の真の使命とか理念について発表をします。「これからはこの地球上から貧乏を追放するために、徹底して生産活動に力をいれます。自分たちの儲けのためではなく、地球上から本当の意味で貧困をなくすためです」と。これがかの有名な「水道哲学」と呼ばれているものです。

 

「物資を水の様に豊富に生産して人々に供給し、生活の向上に貢献していく、ひいては社会に貢献することが我々の使命であります。そして将来、物資に満ちみちた世の中を作ります。そうすれば、あらゆる物資は水道の水の様に安価になり、貧困がなくなってゆくでしょう」という水道哲学を確立されて、理念的な経営にまい進されたとのことであります。

 

お金は命の次に大事だと言われています。しかし優れた経営者には、「それだけがビジネスなのだろうか?」という葛藤が必ずあるはずです。世のため人のためといった「無私の精神」が先に来なければ、共感の輪は決して広がらないでしょう。従って経営者の強いリーダーシップも発揮できないはずであります。日本の経営者のバックボーンは、本来、そこの「無私の心」「私心のない心」にあると思われますが、皆さん如何なものでありましょうか?

 

 

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2016/12/10(Sat)

(No.397) 無私の精神から生まれる経営 (稲盛和夫氏に学ぶ) (1/4)

前回は松下幸之助氏についての教えでしたが、この教えと似た教えを説いておられるのが、京セラの創業者(1932年・昭和7年鹿児島県生まれ。1959年・昭和34年会社設立27歳)の稲盛和夫氏であります。

 

今回は、現在の日本を代表する経営者であり、「平成の経営の神様」とも呼ばれておられます稲盛和夫氏に学んでみたいと思います。第二電電(現・KDDI)の設立や、奇跡的と言われています日本航空(JAL)の経営改善・再建の実現を見事に成し遂げた超有名な人であります。(現在は京セラ・日本航空の名誉会長・名誉顧問であられます)

 

最初に、彼がいつも口にしたり、紙に書いたりされている有名な言葉をあげておきましょう。「(いかに経営が順調であっても)謙虚にして驕らず、さらに努力を」「人生の目的は心を高めること(心が立派な人間であれ)」「才能を私物化してはいけない」「私心はないのか」「利己の心より利他の心を」「人生・経営の結果=考え方×熱意×能力」「心が現象を引き寄せる(すべての現象は自分の心の反映である)」などが思い出されます。本や経営雑誌で皆さんが一度や二度は目に触れられている言葉だと思います。

 

稲盛和夫氏は、経営判断をされる時は、儲かるかどうかを問う前に「人間として正しいことは何なのか?」を判断基準にしていると言われています。アメーバ経営手法で有名な、京セラの収益管理の厳しさを知る人には、きれい事のように思えるかも知れませんね。しかし、幼いころ泣き虫だった稲盛和夫氏は挫折を繰り返す中で、宗教的な体験を経て現在の確信に至ったと言われております。

 

実は、彼は十三歳の頃、結核にかかって病床に臥しておられます。隣の家の人から借りて読んだ「成長の家」の谷口雅春氏の『生命の実相』という本に大きな影響を受けておられます。そのことを自著の『稲盛和夫の哲学』に当時の思いを書いておられます。

 

『生命の実相』に書いてある「心に描いたとおりに結果が現れる」という主旨の文章を読み、「自分はやましいことを思ったことなどないのに結核になった」と割り切れない思いをしながら「病床で必死に善き想念を描こうと努力しました」と言っておられます。死の恐怖におびえながら会得した考え方ですから、嘘ではないと思われます。

 

もう一人の自分、第三者の自分である稲盛和夫がよく自分に問いかけてきましたとの話もされています。「お前には私心はないのか?」と。人間だから迷いや間違いはあるでしょう。自覚しているためか、何かにつかれたように仏教書などの宗教関係の書物を読みあさったとのことであります。その後、今から約20年前(平成9年1997年)に在家得度の儀式を受けられて話題になられました。大和(ダイワ)という法名を頂いておられます。経営者を続けながら、仏教の勉強をずっとまじめに続けられていたとのことであります。

 

  話しは転じますが、皆さんご存知であります、稲盛和夫氏の主催する盛和塾には、全国の多くの中堅中小企業の経営者約1万人が集まっておられます。海外にも拠点が広がっております。ある会員の経営者は「みんな心の支えを求めているからでしょうね」と言われます。

 

塾長であられる稲盛和夫氏が、もっぱら説いておられるのは心構えについてです。経営テクニックを駆使してどう儲けるのかのハウツーではありません。経営者にとってはハウツーもとても大事なことなのですが、ハウツー以外のテーマを通して経営者としての基本の部に焦点を合わせ、人間としての向上・育成に心血を注いでおられます。稲盛塾長の経営哲学を説かれています。

 

経営者がぎりぎりの決断を迫られた時には、単なるソロバン勘定だけではどうにもなりません。そんな時には、精神的なよりどころがどうしても必要になります。それはエゴを越えて澄み切ったものでなければならないだけに、そのよりどころは簡単には得られないものでしょう。その様な点に焦点を合わせて塾の会合が定期的に進められています。

 

その稲盛塾長の教えが、いくら立派な教祖様の教えであっても、借り物であったとしたら、塾生の心を動かす真の教えにはならないでしょう。しかし、稲盛塾長自らが悪戦苦闘した結果、身につけ会得された教えになりますから、塾生の心に響く教えになっているのでしょう。

 

稲盛塾長は宗教家ではありませんが、人間を動かして、売上や利益を追う経営者だからこそ、自らを律するための修行が必要になられたのではないでしょうか?そういう稲盛塾長の姿勢が、盛和塾の塾生に共感を与え応えているからこそ、長く続いているものと思われます。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/12/17(Sat)

(No.398) 無私の精神から生まれる経営 (稲盛和夫氏に学ぶ) (2/4)

京セラの創業当時の秘話について、稲盛和夫氏本人が語られた貴重な話が残されておりますので、以下にご紹介してみましょう。 

 

創業して3年目(1961年・昭和36年)の5月、会社は順調に発展していましたが、私(稲盛和夫氏)は自分の考えを根底から覆(クツガエ)されるような事件に遭遇致しました。

 

創業以来、研究者として、「自分の開発したファインセラミック技術を世に問いたい」ということが、会社設立に当たっての直接の動機でありましたが、そのような私の姿勢を根本的に見直さなければならなくなった体験をしたのです。

 

実は、前年の春に採用した高卒男子11人が、血判まで押した要求書を持って、私に団交を申し入れてきたのです。要求書には、定期昇給やボーナスの保証などの要求が記されています。彼らは、その要求書を私に突きつけて、「会社が将来どうなるのかわからず、不安でたまりません。毎年の昇給とボーナスの保証をしてほしいのです。もし保証ができなければ、いつまでもこの会社に勤めるわけにはいきません、みんなで会社をやめます」と言っています。

 

  私には、とても彼らの要求をのむことはできませんでした。初年度から黒字を出すことができたとは言え、会社はいまだもって手探りの状態であり、明日のことなどは皆目わかりません。1年先の保証すら請け負えるものではなかったのです。

 

しかし、彼らは自分たちの要求が聞き入れられなければ全員が辞めると言います。会社で話し合っても埒(ラチ)があかないので、私はその頃住んでいた京都の市営住宅に場所を移して話し合いを続けました。

 

  「彼らは、先々の給料やボーナスを保証しろと言うが、今日どうやって飯を食おうかと日々悪戦苦闘しているのに、そんなことができるわけがないじゃないか。君たちを採用するとき、『できたばかりの会社で、今は小さいが、一緒に頑張って大きくしていこうじゃないか』と言ったはずだ。だから、なんとしても会社を立派にして、将来みんなで喜びを分かち合えるような会社にしたいと思い、このように毎日頑張って仕事をやっているじゃないか」私は、この様に彼らに話し、懸命に説得をし続けました。

 

が、当時は社会主義的な思想が蔓延し、労使の対立という枠組みの中でしか、ものごとを見ない風潮がありました。そのため、「経営者はいつも、そんなまやかしを言って、労働者をだます。やはり、給与や賞与を保証してもらわなければ安心して働けない」と、夜が更けても頑として納得しません。結局、3日3晩ぶっ続けで彼らと話し合うことになりました、とのことであります。

 

3日目に私は覚悟を決めて言いました。「約束はできないが、私は必ず君たちのためになるように全力を尽くすつもりだ。この私の言葉を信じてやってくれないか。もし今、会社を辞めるという勇気があるのなら、私を信じる勇気を持ってほしい。私はこの会社を立派にするために命をかけて働く。もし私が君たちを騙していたのなら、私は君たちに殺されてもかまわない」と。

 

  ここまで言うと、私が命懸けで仕事をし、本気で語りかけているのがようやくわかったのでしょうか、彼らは要求を取り下げてくれました。しかし、彼らと別れて一人になったとたんに、私は頭を抱え込んでしまいました。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/12/24(Sat)

(No.399) 無私の精神から生まれる経営 (稲盛和夫氏に学ぶ) (3/4)

前回は団体交渉のところまでお話しを致しました。続けていきましょう。稲盛和夫氏は「もし私が君たちを騙しているなら、殺されてもかまわない」と口にします。私(稲盛和夫氏)が、命を懸けて本気で語りかけているのが、心に沁みたのでしょう。彼らは私に対する要求を取り下げてくれました。しかし、その後、彼らと別れて一人になったとたんに、私は頭を抱え込んでしまいました。と述べておられます。

 

  経営者である自分自身でも明日のことが見えないというのに、従業員は経営者に、自分と家族の将来にわたる保証を求めていることを、私は初めて心の底で理解したのです。私は、このことに気がつくと、「ひょっとして私は、とんでもないことを始めてしまったのでは?」と思わざるを得なかったとのことであります。

 

  本来なら、無理をして私を大学まで行かせてくれた、鹿児島にいる両親や兄弟の面倒を見なければならないのに、それさえ十分にできていない私が、経営者として赤の他人の給料だけでなく、彼らの家族のことまでも考え、将来を保証しなければならないとは。

 

  私は大変なことを約束してしまったものだ。経営とは責任重大で大変なことなのだ。経営者とは世間で想像している様な、楽な職業ではなく、何とも辛く厳しい職業なのだと考えてしまいました。

 

  実は、会社創業の時に、私が抱いていた夢は、自分の技術でつくられた製品が、世界中で使われることでありました。しかし、そんな技術屋の夢では、従業員の理解は得られず、経営は成り立たないのだということを、この事件を通して生まれて初めて身に泌みて理解することができたのです。

 

  「会社とは何か?会社の目的とは何か?ということについて、このとき初めて私は真剣に考えさせられたのです。会社とは経営者個人の夢を追うところではないのだ。会社とは現在はもちろんのこと、将来にわたっても従業員の生活を守るための場所なのだ」と、思いを新たにさせられました。

 

  私はその時、このことに気づき、これからは経営者としてなんとしてでも、「従業員を物心両面にわたって幸せにすべく、最大限の努力を払っていこう」と決意したのです。

 

さらに、経営者としては、自社の従業員のことだけでなく、社会の一員としての責任も果たさなくてはいけないのだ。そこまで考えを進めたとき、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献する」という京セラの経営理念の骨格ができあがったのです。

 

  この様な、思いもよらない突然の反乱劇で、そのときは驚き、悩み苦しみましたが、おかげで私は若いうちに経営の根幹を理解することができたと思っております。と辛い体験を前向きな言葉でもって述懐なさっておられます。一流の経営者になられる方は、いかに年齢が若くても、その辺のつかみ方が一般の経営者とは異なっているのかも知れませんね。さすが稲盛和夫氏だと感心させられます。

 

それは、経営者という者は自分のためではなく、社員のため、さらには世のためにという考え方をベースとした経営理念を持たなくてはならないのだということでありました。

  

  「このことを、創業3年目という早い時期から経営の基礎に置いた結果、京セラはその後大きく発展することができたのだと私は考えています」と述べられています。

 

  なんと、感動できるお話しではないでしょうか。こんなにも、経営理念や使命感の力とは凄いものなのですね。「理念は経営の根幹である」とは良く言ったものであります。この点は稲盛和夫氏の体験に大いに学びたいと思います。活学実践を期待いたします。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2016/12/31(Sat)

(No.400) 無私の精神から生まれる経営 (稲盛和夫氏に学ぶ) (4/4)

また、稲盛和夫氏は別の場所で、以下のような経営哲学的な言葉も残されておられます。ぜひ参考にして学んでみたいと思います。

 

私は様々な方のおかげで若い頃に京セラを軌道に乗せることができましたが、その過程で「私の技術をベースに創業し、私が夜も寝ないで経営してきた会社だ」という、一種の驕りが出たことがありました。しかし、すぐに考えを改めて、「才能を私物化してはいけない」と常々自分に言い聞かせてきたのも事実であります。

 

京セラやKDDIを立派な会社にして、JALの再建も果たして、確かに私には少しは経営の才能といったものがあったのでしょう。しかし、そういう才能を私という人間が持っている必要があったのだろうか?と考えておりました。

 

この社会は一つの演劇を演ずる劇場のようなものだと思っています。劇団には主役を演じる人、その他に脇役として大道具、小道具、衣装の準備をする人、様々な役回りがあるわけです。現代において、京セラやKDDIをつくる人は必要だったかもしれないが、その才能は別に私という一人が持っている必要はなかったのではないでしょうか?

 

私はたまたま、この世界の創造主から才を与えられ、役割を与えられただけなのです。ならば、その才を自分のためだけに使って「俺がやった」などと自惚れてはならないのだ。やはり従業員のため、世のため人のために使うのだ。それがリーダーとしての役割なのだと思ってずっとやってまいりました。

 

  最近、ことに強く思いましてね、夜、寝付いたらいつも「こんなに素晴らしい人生を与えていただいたのだから、是非ともなんとかして、世の中にお返ししたいし、お返しせねば」と思っているのです。と心境を素直に語っておられます。

 

また、彼は経営者が成功する条件としては一体何が必要なのでしょうか?と言う質問に対して、次のように答えておられます。

 

経営者の条件として、まず哲学が必要になるでしょう。ただし哲学といっても難しいことを言っているわけではありません。「人間として正しいこと」を基準にして、物事の判断をすべきであるということです。それは損得勘定でもなければ、戦略戦術でもありません。それは「人間として正しい道を歩く」ということです。それが経営者であれば条件としてまず必要なのです、と。

 人は成功していきますと、つい、うぬぼれてしまいます。「俺には才能がある、俺は切れ者だ、だから俺は成功したのだ」と思い、その才能を私物化するようになっていきます。そして、俺は会社の社長なのだから、一億や二億の給料をもらっても当然ではないかと考えるようになっていくものです。

 

ところが、そうではなかったのです。創造主は私に才能を与えてくださった。それは、それによって会社がうまくいくのだから、「私の才能を世のため人のために使いなさい」ということで与えられたのです。

 仏教では一燈照隅いっとうしょうぐう)と言って、どんな人でも何がしかの素晴らしい役割を持ってこの世に生まれてきたのだと教えています。その役割を通じて、世のため人のために尽くすことが大事なのです。

 

世のため人のために尽くすことによって、自分の運命を変えていくことができます。自分だけがよければいい、という利己の心を離れて、他人の幸せを願う利他の心になる。そうすれば自分の人生が豊かになり、幸運に恵まれる、ということを仏教は説いているのですよとお話をされています。

 

この様に稲盛和夫氏は「仏教の教えを経営にも活かしていきたいものであります」と語っておられます。経営と宗教、何だか遠く離れた無関係の次元の様ですが、人間という共通項でくくりますと、この2つの言葉は意外と近いテーマなのです。昔、当経営コラムでも書きましたが「(経営とは)人間を経営すること」という言葉を思い出しました。(当経営コラムNo292をご参照下さい

 

社長やトップリーダーは、企業や会社を経営するだけではなく、人間を経営していかなければならないということを述べた記憶があります。意外に思われるでしょうが、「経営」と言う言葉は本来、仏教語であります。

 

経営とは、一般的には計画を立てて物事を推進して成果を上げることを意味していますが、仏教において経営とは、修行修養などのことを意味しているのです。だから経営と宗教は、分離しているものではなくて、「コインと同じ様に表裏一体の関係にあり、二つで一つのものであり、決して切り離せない」ということなのでしょうね。ご一考を。

 

 

執筆者よりのご挨拶

今年も1年間、お読みいただきまして、誠にありがとうございました。来る2017年があなた様にとって、良い年であります様に心からお祈り致します。どうか皆さん、良いお年をお迎え下さい。

 

 

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