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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2017/04/01(Sat)

(No.413) 「水風井」 井戸に学ぶ危機管理のマネジメント (1/3) 

易経に学んでみたいと思います。易経には「水風井(すいふうせい)という卦(か)があります。「水風井」は井戸から学ぶ話しで、とても有名な教えの一つです。色んなことが学べる卦であります。

 

井戸の役割と特性、構造やその管理方法の教えは組織の在り方や、マネジメントについて教えています。組織を健全にするにはどのような管理をすべきなのか、井戸の構造からその知恵を学ぶことができます。

 

井戸は泉と違って自然にできたものではありません。人間が造った設備になります。「」という字は古い字では「」と書いていました。井の中に「テン」が付いています。現代の様に「どんぶり」とは読みません。この「」が本来の「井」という文字の原型になります。

 

なぜかと言うとこの「テン」がないと、本当の井戸の役目を果たさないからです。実はこの「テン」は釣瓶(つるべ)を表しているのです。釣瓶と吊り糸・吊り縄がなかったら、井戸があったとしても水は汲めませんですよね。ここは大切なところになります。

 

水風井」の卦の説明文によりますと、「井(せい)は邑(ゆう)を改めて、井(せい)を改めず」とあります。邑(ゆう)とは村や町のことです。ここは「町や都は移り変わっても、井戸は変わりません」と言っているのです。人間は水がないところでは生きてはいけません。必ず水のあるところに人は住みつきます。町を移動することはできても、井戸の場所は移動することができませんよ、と言っているのです。

 

そして井戸の水は、どれだけ汲み上げても尽きることはありません。もし汲まなくても井戸の水が外にあふれ出ることはないでしょう。井戸はその土地にあるものですから、その水を飲む人が井戸によって命を養われるのです。そこに来る人、そして行く人、万民に井戸の水は与えられます。誰もが公平に利用できるのが井戸になります。井戸が万民を養っているのです。

 

  もし吊り糸や吊り縄が井戸の底の水に届くだけの長さがなかったとすれば、新鮮な水を汲み上げることができません。それでは井戸の役目を果たすことができません。また、例え吊り糸が底の水に届いたとしても、釣瓶(つるべ)が壊れていたら、水がこぼれて漏(も)れて、人が飲むことは絶対にできません。これでは凶と言うことになります。

 

その様に井戸は人を養って窮まることがないと言われています。この井戸は人間社会にとって凄く必要なものなのです。だから、この井戸の設備から、また、この井戸の役割から多くを学びなさいよと言われているのです

 

そもそも井戸水というものは、汲み上げられて初めて人を養うものであります。また井戸は人が造る設備ですから必ず、何らかの管理が必要になります。なぜかといえば、吊り糸が届かなかったら用をなしませんし、釣瓶(つるべ)が壊れていたら人を養うこともできません。また吊り糸がもし切れてしまったら、同じ様に役目を果たすことができません。

 

それから水は澄んで冷たく、清潔で安全なものでなければなりません。泥水が混じっていないかどうかをチェックしなくてはいけません。そのためには、底の泥をきれいにさらって安全な清水がたまるように管理が必要になるのです。

 

もし井戸の内壁がきちんと瓦(かわら)で固められていないならば、汚いものがにじみ出てきて壁がはがれて泥が落ちてきて、水に混じり込むかも知れません。そういった管理も必要になるでしょう。これらの視点で、人々を養う役割を担っておられるリーダーや企業の問題として考えて行きたいと思います。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2017/04/08(Sat)

(No.414) 「水風井」 井戸に学ぶ危機管理のマネジメント (2/3) 

一般的に言って、会社は井戸と役割が同じ様なものであり、広く社会に貢献して、多くの人々を養うことが務めなのです。井戸のおいしい水とは、わが社で言えば、提供している商品サービスのことになります。そのおいしい商品を社会に提供することによって、人々を養うことが会社の役割りになるのです。会社の設備という、井戸の設備が整っていることによって、地中深くの澄んだ安全なおいしい水が汲み上げられて、広く社会の万民を養っているのです。

 

では具体的には、誰を養うのでしょうか? それは商品を購入して頂く消費者でもありますし、顧客や得意先でもあります。組織内の従業員や従業員の家族も養います。もちろん我が身も養います。そのために一番大切なことは井戸の管理、つまり組織や会社の管理になります。いい製品、安全な製品、人々に喜ばれる商品サービスが作られる所は現場になります。経営者が自ら現場で商品を作っているわけではありません。商店や小さな組織であれば仕方がないかも知れませんが・・・。

 

従って経営者には、井戸の設備が管理されているのか、井戸が役割を果たしているのかどうかをチェックする必要があります。井戸の設備というのは会社組織の内部のことを指しています。井戸の底は新鮮な清水が湧き出す現場のことであり、瓦(かわら)で固めた壁は中間管理職や取締役のことになります。最終的には社長がその全体を把握していなくてはいけません。

 

人が造った設備は、必ずいつかは老朽化して壊(こわ)れていきますこれは当り前のことです。だから必ずメンテナンス(定期的な維持管理)をしなければいけませんし、マネジメント(経営管理)をきちんとしなくてはならないのです

 

それからもうひとつ、人間の心の動きも問題になります。自然老朽化とは別に情報を隠蔽(いんぺい)するために吊り糸をわざと切る人もいます。頭のいい人は、隠蔽したことがバレるとまずいということで、情報が漏れないように吊り糸にほんの少しだけ傷をつけておきます。すると、ある日突然、釣瓶(つるべ)は下にボトンと落ちて井戸は役割を果たさなくなり、正確な情報が上に伝わらなくなります。時間が経過しているので誰が吊り糸を切ったのか全く分からない状態になるでしょう。

 

また、井戸の底は現場だと言いましたが、そこにはがたまります。泥と砂は性質が違います。と水は分離しますから、静かにしておけば、砂は底に沈んで行きます。そして上澄みのきれいなところだけを掬(すく)って汲み上げれば問題はないでしょう。がしかし、はネチネチとしていて、水と混ざり合ってしまいます。その結果、井戸の底の現場は泥(なず)みやすくなるのです。泥がたまって水が濁って人間が飲むことは出来なくなります。

 

この泥のことを私情とか私欲として考えてみて下さい。組織の人間関係が私情や私欲で泥(なず)んできた状態、これがドロドロの水になってゆきます。すると隠蔽工作や汚職が始まります。この様に泥がたまって、水が濁るのにはいろいろな理由があるでしょう。

 

  井戸の設備と同じ様に、会社組織内のシステムや人間関係など、すべてをメンテナンスしなければ必ず老朽化してゆきます現場の働きを滞(とどこお)らせたり、現場の状況を濁らせて隠蔽(いんぺい)するのは、大抵は中間管理職になります。「組織固め」とは取締役と中間管理職をしっかりと固めることなのです

 

  組織内では実際、社長やトップリーダーの目が行き届くのは中間管理職まででしょう。大企業になると井戸がさらに深くなる様なもので、現場の様子までは目が届かないでしょう。長い吊り縄がついた釣瓶(つるべ)を、井戸の中に入れて清水が汲めるかどうかで判断することになるでしょう。井戸では可能でも実際の企業では無理なことかも知れませんね。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2017/04/15(Sat)

(No.415) 「水風井」 井戸に学ぶ危機管理のマネジメント (3/3)

 社長やリーダーの志でも、いつかは、しぼむこともありますし、変容することもあるでしょう。もともと人の造ったものや、そして組織というものは、管理を怠れば必ずや腐敗してゆきます。人間は堕落してゆきます。そして次に起きてくるのは事故、事件、不祥事でしょう。

 

 権力が一定の所に集中しますと、必ず組織は腐敗し堕落するものなのです。その様になった時は、おいしい水、つまり我が社のおいしい商品は、もう提供することはできないでしょう。よい情報もよい人材も潰(つぶ)されてしまいます。会社は最大の危機を迎えてしまいます。その事例には事欠かないものです。

 

そうならないためにも、企業内でチェック体制や仕組みをつくることが大切になります。社内、社外におけるチェックシステム、外部監査が必要になる場合もあるでしょう。それをつくるには、トップが、現場で不正が行われない様なシステムづくりに本気にならなくてはいけません。

 

易経では「(じゃ)を防げ」と教えています。人間の存在は陰と陽の二つでできています。「自分に限って間違ったことはしないというのではなくて、人間は間違ったことをしやすい存在なのだ」ということなのです。自分の中には、正しく素晴らしいことも、逆に邪(よこしま)なことも両面が存在しています。人間とはそれが化けた存在であり、陰と陽が混ざり合った、交わった存在であるのです。

 

それだからこそ、そのが出にくい様なシステムをつくり、組織をつくる必要があるのです。そして、それは全てトップの仕事なのです。たとえ中間管理職が釣瓶(つるべ)を壊したり、吊り縄を切ったとしても、その責任は全てトップ・社長一人にあります。なぜならば、その中間管理職を選んで責任を与えたのはトップその人だからであります

 

最近の不祥事をみていますと、「そんなつもりはなかった」「知らなかった」という責任逃れの弁明をするトップが多い様です。どうしてその様な発言が出るのでしょうか? それはを認めていないからです。邪を防がなかったからです。「知らなかった」では済まされないのです。全ては社長一人の責任なのです。

 

では企業の危機管理はどこで決まるのでしょうか? それはトップリーダーの志の高さで決まります。正義を実行するか実行しないかという一点に尽きますこれは企業の姿勢というよりも社長・トップの姿勢になるのです。どんなにきれいごとを社是に書いたとしても、その社長・トップの本音が、名利やお金を儲けることだけであれば、社員は必ずその本音がわかるものです。

 企業がどのような状況に遭遇しても抜きがたい、しぼまない、変容しない、そういったが問われているのです。俗にいう「確乎不抜の志」のことです。そういう高い倫理観、道徳観があってこそ、初めて危機管理は成り立つのです。単なる知識とテクニックのみでは成り立たないのです。

 

最後にしますが、「水風井(すいふうせい)の教えには「水くみて覆(おお)うことなかれ」とあります。これは「井戸に覆いをしてはならないし、井戸にフタをしてはいけませんよ」と言っているのです。これはどういうことなのでしょうか?「あの人はお金持ちだからたくさん水をあげなさい。あの人は嫌いだからあまり水をやってはいけません」といったことは決してしてはいけませんよ、と言うのです。

 

常に一定の清水をいつでも誰でも利用できるような状態にしておきなさいよ、井戸に覆いをかけて私物化してはならないのですよ、と教えています。フタをすることは私物化になります。また、水が清ければフタをする必要はありません。つまり、井戸にフタをしないと言うことは、企業の情報公開や透明性を重んじることでもあります。「フタで覆わない」という事が経営管理の締めくくりになるのです

 

井戸の話しからは、本当に色々なことが学べましたね。それを教えているのが、この「水風井(すいふうせい)という卦(か)になります。2500年以上も前の古典なのに、現代の経営にも十分活用ができる教えが含まれておりましたね。これを機に普段の維持・保守の管理と事故が無いための危機・リスク管理に関して、問題点があるのか否か、現状の足元を振り返って見られてはいかがでしょうか?

 

 

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2017/04/22(Sat)

(No.416) 人生をひらくには、いくつかの鍵がある (1/2)

 人生をひらくとは、心をひらくことだと思います。心をひらかずに固く閉ざしている人には、人生はひらかないのではと思います。「ひらく」には開拓するとか、耕すという意味もあります。「心をひらいて、心を耕す」、これらは人生をひらく第一の鍵と言ってもよいのではないでしょうか。

 

人間の能力は、知識と技術そして心構え、の三点で表わされるものです。どんなに知識と技術が豊富にあっても、心構えが悪ければ能力は出てこないと思います。すべてはその人の人格をなす底辺である、心構え次第であると言うことを意味しております。さらにもっと良い心構えとは、積極性×明朗性で表わされると思います。それとは逆の消極性×陰気であっては、何事もなし得ないのでは?と考えても良いと思います。

 

よってこの様に、人生をひらく第二の鍵は、この「心構え」であると言っても良いと思います。心構えについては、社会教育家の田中真澄氏の有名な次の一言があります。「心構えというものはどんなに磨いても、毎日ゼロになる能力であります。だから毎朝歯を磨くように、心構えも毎朝磨き直さなければなりません」というものです。

 

これは、人間の心構えというものは、毎日の様に鍛錬・修養しなければ、すぐに忘れ去ってなくなるものなのですよ、と教えています。心構えとは口で言うほど、そう簡単なものではないということであり、自戒したい教えであると思います

 

確かに過去において、人生をひらいた人達には、いくつかの共通した心構えがあると思います。以下に4つに絞って述べて見たいと思います。そのつ目は「物事を前向きに捉える」ことでしょう。つまり物事を後ろ向きに捉えて人生をひらいた人は一人もいないと思って良いと思います。

 

その2つ目は「素直である」ことでしょう。批判の目があっては学ぶことは出来ないでしょう。素直でなければ本当の学問が体の中に入って行かないでしょう。もし心にわだかまりがある人は、人生をゆがめることになるのではないでしょうか。このことは多くの先達がおっしゃっておられることであります。

 

その3つ目は「感謝の念を忘れない」ことでしょう。人生の成功者に共通した資質があるとすれば、この感謝の念になるでしょう。成功者の方々は呪いたくなるような環境であっても、この環境が間違いなく自分を育ててくれたのだ、ありがたいものであると感謝しておられる様です。

 

最後の4つ目は「愚痴を言わない」ことでしょう。自分から口に出したものは自分に必ず跳ね返ってくるものです。これは宇宙の法則でしょう。愚痴ばかり言っている人は、愚痴ばかりの人生になります。愚痴がユーターンして自分に戻ってくるからです。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2017/04/29(Sat)

(No.417) 人生をひらくには、いくつかの鍵がある (2/2)

話しは転じますが、「論語」と同じくらい有名な中国古典の「大学」には、全編が人生をひらく教えに満ちております。中でも心に響く次の一文があります。「必ず忠信以って之を得、驕泰(きょうたい)以って之を失」というものです。白眉(はくび)のすぐれた一文と言っても良いでしょう。その意味は、真心を尽くして行えば何事も成功するが、逆に驕り高ぶる態度で行えば必ず失敗するということです。「驕らずに真心を尽くせ」この教えは人生をひらく第三の鍵と言っても良いでしょう。

 

大学」にはもう一つ有名な一言があります。「徳は本なり、財は末なり」というものです。財は大事なもので人間にとって宝ものでしょう。しかしその大事な宝も「本と末」から言えば、「財」は「末」であって「本」は「徳」であるというのです。枝葉末節の末、根本の本ということです。

 

私もその通りであると思います。もし徳がなければ、巨万の富を得たとしても虚しく使い果たすことで終わるでしょう。もし日本一の財を手に入れたとしても「足るを知るという徳の心」を持たなかったら、欲が欲を呼んで決して幸せであるとは感じられなくて、不幸であるということなのです。「登っても 峠を知らぬ 欲の道 知足知らねば 幸せこない」と歌われています。

 

従って、「まず徳を身に付けよ」、これを「修身」といいますが、自らの身を修めていない人に人生はひらかないということになるでしょう。これは「大学」の教えの真髄と言っても良いと思います。人間力や人間学の領域では常に指摘されているテーマであり、知らない方はおられないと思います。「徳を身に付けること」これは人生をひらく第四の鍵と呼んでも良いと思います。

 

ではどうしたら「修身」の身を修めることができるのでしょうか?そのポイントを「大学」はこう指摘しています。先述しました白眉の一文のことです。再び述べますが「必ず忠信以って之を得、驕泰(きょうたい)以って之を失」と言われている通りなのです。

 

少し補足をしてみますが、真心を尽くして己を甘やかさず、厳しく律していくことで、物事は成功するが、傲慢になり謙虚さを失うと必ず足元をすくわれて、人生に敗れますよということになるでしょう。人間の本質は2、3千年前も今も、そう変わっていないということなのですね。我々が人間学を学ぶゆえんもそこにこそあるのでしょうね。

 

最後に致しますが、人生をひらく第五の鍵は「論語」から学んでみたいと思います。「利によりて行えば怨み多し(里仁第四)とあります。意味は利益本位だけで物事を行ってゆくと、人の怨みを買うことが多いですから注意して下さいねというものです。今流に表現しますと、利己(己の利)よりも利他(他を利する)や喜他(他を喜ばす)の精神の大事さと言って良いと思います。

 

今では、ほとんど口にする人はいなくなりましたが、2008年9月のリーマンショックの端緒になりましたサブプライムローンによる経済破綻は、2500年前の孔子の忠告を無視した人間の業(ごう)の現れと言っても良いでしょう。

 

我が国の実業界の先達たちは、一様に利益至上主義の怖さを熟知していたが故に、浮利を追うことをきつく戒めております。「論語と算盤」の両方を大事にした、日本資本主義の父と言われる、渋沢栄一氏もその一人になります。彼は高尚な人格をもって得た富や地位でなければ、完全な成功とは言えないと断定しています。

 

そして、彼は人格を修養する方法は、論語が重んじた「忠信孝悌(ちゅうしんこうてい)の四つの徳目の実践であると語っております。少しだけ以下に解説をしておきましょう。

 

「忠」とは中する心で何事にも、真心を尽くす、全力を尽くすということです。この忠が人に向かった時に、恕(じょ=おもいやり)になります。

 

「信」は信用と信頼です。信がなければあらゆるものが成り立つことはありません。

 

「孝」は親孝行をすることです。孝は人格の基礎を作ります。すなわち運命を作る基となるものです。さらに言えば、孝は親子のみならず、組織においては新と旧、上と下が連続的に統一することを意味しています。二者が断続するところに生命の発展はないと言っても良いのです。

 

「悌」は目上の人に従順であることを指しています。

以上の四つの徳目の実践と修得こそが人生をひらくのですよと教えています。このことは渋沢栄一氏が自らの体験から得た哲学でありますと語っておられます。あまりにも古すぎる考え方なのでしょうか?

 

  最初からここまで、人生をひらくには、いくつかの鍵がありますよと述べて参りましたが、参考のため、まとめとしまして下記に並べて振り返りをしておきたいと思います。

 

人生をひらくには、

第一の鍵は、「心をひらいて、心を耕す」ことです。

第二の鍵は、「心構え」です。前向き・素直・感謝・愚痴などがキーワードです。

第三の鍵は、「成功を望むなら、驕らずに真心を尽くせ」です。人生の大病はの一文字です。

第四の鍵は、「徳を身に付けて身を修める」ことです。

第五の鍵は、「利によりて行えば怨み多し」です。

 

どうかご活用下さい。我々の人生は息が止まるまで修行の連続の様であります。

 

 

 

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