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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2017/10/07(Sat)

(No.437) 洞察力がなければリーダーは失格である (2/2)

また「風地観」の「」には前述しましたが「洞察力をもって見る」という意味があります。「鳥の鳴き声を観る」という意味もあり、鳥の鳴き声を耳で聞いて鳥の存在を知ったり、鳥の状態を知ったりすることです。肉眼では見えませんから心眼という心の目で見ることになります。要するに洞察力のことになります。内側や内部に潜んでいる、ものの本質や動向や方向性を洞察力という力で察知することをいいます。

 

  「観る」とは空気を読む、その場の匂いを感じることです。「観」には理屈というものがありません。洞察のためには、現地・現場に足を運び空気を読むことが必要なのです。リーダーは常に「」を洞察し、部下にその方向を示していかなければなりません。要は洞察とは、時の変化の法則を知り、その方向を知ることなのです。

 

  また、リーダーはいつも周りから観られている存在なのです。自分の現在の「ものの観方」や真意は背中に示されているものです。だから非常に浅いものの観方や誰かの受け売りの知識では見透かされてしまうのです。私に充分な洞察力が備わっている訳ではありませんが、もし洞察力という力が備わっていなければ、考え方によっては怖いものであります。お互いに用心したいと思います。

 

その他にも「風地観」には、「風が地上を行くは観なり」とあり、風が地上をあまねく吹き渡るのを観ることが洞察であると説いています。地上の万物は全てに吹かれています。その風は私達の目には見えませんが、感じることはできますよね。風によって木々が揺れて音がしたり、草木がなびいたり、洗濯物やカーテンが風で揺れたりして、私達の顔には風が当たって、「今日は風がある」と感じることができます。その風は遠慮なくどこにでも入り込んでいきます。風に形はなくても、皮膚やからだで感じることはできるものです。

 

洞察とは、言わば風を観ることとも言えます。無形の風は自由にどこへでも、小さな隙間にも吹き入って行きます。地上では常に風が吹き、無風状態はないでしょう。は地上を吹き渡るのようなものでしょう。時は常に変化して、流れ往き、目には見えず、言葉で聞くこともできません。しかし、私たちの周りには、常に方向を示す時の風が吹いています。人の言動や起こるものごと、目に見えるものすべてが、今はどういう時か、時はどこへ向かっているのかという法則性を示しています。私達は目に映るもの、体験するすべてのことを通して時を知り、兆しを察することができるのです。

 

一般的な事例では、会社の業績が悪化したり、人間関係のトラブルの発生など、目に映る現実が苦しく厳しい時には、窓を閉めて風の流れを止めるように、時の風を観る目を閉ざしたくなることもあるでしょう。しかし物質的にも精神的にも弱弱しくなっている時には、恵まれている時には決して見えないものが、逆に見えてくるものなのです。それらの意味は、自分の置かれている時を知り、起こる現象が奥底に何を示しているのかを観る時、そういう時を我々に示してくれているのです。

 

また、成功が長く続くと人間は怠惰になりますが、吉は必ず凶へと向かい、凶はまた吉へと向かいます。たとえ恵まれていたとしても、洞察の窓を常に開き、時の風が媒体を通して示す、時の法則性を観ていくことだと「風地観」の卦は教えているのです。

 

その他にも「観」には「示す」とか「見られている」という意味もあります。それを表しているのが、「下見て化するなり」という言葉です。具体的な例をあげてみればこういうことです。会社の業績が上がっていなくても、社長やトップリーダーが本当に一所懸命になって、社会のため、お客様や得意先のため、従業員のために、喜んでもらえるだけの商品を作ろうとか、サービスを提供しようとか、そういう会社にしようと誠心誠意に努力をすれば「下」の部下や社員はそれを見て良い方向に化けますよということを意味しているのです。

 

口でどんなにきれいごとを並べても、行動が伴わなければ、バレてしまうものですよ、逆に何も口で言わなくても、働く姿やその背中に誠はしっかりと現れるものですよ、と教えている「卦」(か)であります。本当の誠を見ることによって、社員は感動して理屈抜きで心が通じるものですよと教えています。ここから「見られている」とか、知らず知らずのうちに見ている人々に自分を示し、周りの人々は化けて行くのですよという意味になりました。

 

「風地観」について色々と書いてきましたが、どれか一つでも自分に当てはまるものがあれば、意識の中に留めて生活するのも良いかも知れませんね。要は洞察力がなければ、リーダーは務まらないのですよと警鐘を鳴らした教訓でありました。

 

 

 

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2017/10/14(Sat)

(No.438) 強者が弱者に従う時とは?「沢雷随」に学ぶ 

今回も「易経」に学んでゆきたいと思います。「沢雷随」(たくらいずい)の「卦」(か)は、「従う」そして「従わせる」という意味を示している「卦」になります。「沢雷随」という時の流れの特徴は何かというと、「本来、強いものが弱いものに従う、従わされる時」を表しています。つまり、一般的な常識とは全く反対であり、「大が小に従う時」を示しております。エッと少し驚かれるかも知れませんね。

 

  舞台に例えてみますと、本当は自分の方が先輩格で演技力もあるのに、人気者のスターが主役の座をとっているような状況の時です。そのスターは、演技は下手で役者などとはとても言えないけれども、人気があるから主役になっているというケースでしょう。こういう場合は、ベテランで実力のある役者さんならば、プライドが傷つくものです。この様に「沢雷随」の「卦」(か)は、そういう力のない人に実力のある者が従う時を説いている「卦」になります

 

  ところが、この「沢雷随」が何を教えているのかというと「従わせ方」なのです。「今は従う時なのですよ」と言って、その人間関係まで書かれているのですが、結論としては「従わせ方」を教えているのです。

 

では、その従わせ方とは何かといえば、「人を従わせるためには、まず人に従いなさい」と書いてあります。これは尺取虫が、一旦身をグッと後ろに引いて縮めてから、次に精一杯に前方に身体を伸ばしてゆく動きを連想させられます。「沢雷随」の時なのに、自分の方が力があるからといって、「時」の勢いを持っている人や相手を無理に自分に従わせようとしたら、自分のほうが駄目になってゆきます。ここで必要なのはしなやかさという点なのです。まずはその相手の人に従うことなのです。「まずは従うことによって、将来は相手を従わせることができますよ」と教えています。

 

  なぜかと言えば、総てのものは変化してゆくからです。変化しないものは何一つとしてありません。今は彼に従うべき時かも知れませんが、それを素直に受け入れることによって、時がまた、めぐりめぐってきて、やがて彼を従わせることができる時が必ずやってくるのですよと教えています。

 

「沢雷随」の「卦」(か)の教える従わせ方は、竹がしなるように、まずは自分が柔らかくしなやかになりなさいということです。しなるというのは、一度自分が死んだと思って無になるという意味を含んでいます。一度死んだ様な状態から再び生き返り、次に伸びてゆくことをすすめています。

 

その「沢雷随」の「卦」(か)の説明文に書いてありますが、尺取虫の屈伸の話しの中で「尺取虫が屈するのは、それをもって伸びることを求めているからなり」とあり、その書いてある通りだと思います。将来自分が成長することを望むからこそ、一旦は忍耐して縮まって相手の人に屈するのですよというのです。一旦は死んだふりをすると思えば良いのです。

 

では、何に従うのでしょうか?「沢雷随」の「卦」(か)は、時の勢いのある相手や彼に従えとは言っていません。力のある人が力のない人に従うのではなくて、「時に従いなさい」と言うのです。今はそういうなのだから、あなたはそのに従いなさい。それによって、やがて、あなたはを従わせることが出来る様になりますよ、と教えているのです。

 

要は「人に従うのではなく、時に従いなさい」と教えています。相手に従うのではなくて、その時に従いなさいと。するとやがて、あなたが時を従わせることが出来る様になりますよと。力のない相手に従うとなるとイライラしてストレスを感じたりするでしょう。将来のことが心配になることもあるでしょう。腹が立って俺はいつかきっとこの会社をやめてやるぞと考えることもあるでしょう。

 

がしかしながら、「私は、人ではなくて、時に従っているのだ」と受け止め方を変えて、考えることができれば、ストレスは感じないし、心配することは何もありませんよ、立腹する必要もありませんよ、と教えています。上司とのあつれきなどを抱えておられる組織人にとっては、カリカリすることもなく、気がかなり楽になられたのではと思います。

 

  我々は誰でも、色んな人々と人間関係を保ちながら生活を営んでいます。最後の最後まで、関係性を保ちながら生きており、生かされております。家族、職場の上司部下同僚など、友人、知人、師、お客様、仕入れ先、外注先その他の方々など、様々な関係を持ちながら生活をしています。

 

今回の「沢雷随」の「卦」(か)は「人を従(随)わせる道、それは己を捨てて人に従(随)うことなのですよ」と説いております。最初はこちらから動いてゆきますと、次に相手が喜ぶので「」の意味になるとあります。大体、自分が虚心に他者に従えば、他者もまた自分に従ってくるものであります

 

相互に従うということになれば、当然の様に何事も通ってゆくものです。「随は、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利あり。咎(とが)なし」と書かれています。「元亨利貞」(げんこうりてい)の四徳が揃った、めでたい「卦」であります。あらゆる人間関係でご活用下さい。




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2017/10/21(Sat)

(No.439) 今なぜ世界のエリート達は東洋思想に惹かれるのか? (1/5)

  世界は今、文明の大転換期に差し掛かっています。西洋発の近代資本主義システムが行き詰り、東洋へと熱い視線が注がれています。そういう状態の中で、我々は何を成すべきなのでしょうか? 東洋思想が混迷打開の切り札になるのでしょうか? 今後の日本の果たすべき役割とか、我々にとって解決すべき課題は何なのかについて、一緒に考えてゆきたいと思います。

 

MBA(経営学修士)教育では、一流のリーダーを育てることは無理であると言われています】

 

これまでの様に知識や技術ばかりを教える教育では、一流のリーダー育成は難しいと言われているのです。もっと人間の精神を鍛えるような教育をしなければ、一流のリーダーは育ってはくれないと言われています

  経営や仕事に関する知識や技術などの、
陽の力だけの教育ではなく、人間力や人間学、徳性を含んだ陰の力の教育もバランスさせなければ一流のリーダーには育たないと言うことなのです。私がよく口にしていますが器量(陽の力)と度量(陰の力)のバランスの必要性のことになります。

 

 だから、今後求められるのは、全人格的な教育だと思います。昔を振り返ってみますと、1990年代の終わりの頃、ITバブルの時期で、株主価値至上主義に染まっていた頃でした。誰もが株を公開して、手っ取り早く儲けることにしか関心を示さない頃でした。

 

そういう中でのMBA教育は、いかにして利益を追求するかというハウトゥーばかりに終始する教育であり、どんな意味があるのだろうか? それよりも、なんのために企業活動を行うのかの経営理念や哲学を問う教育が必要ではないのだろうか? MBA教育とは異なる全人格的なリーダーシップ教育が大切であるのではないかと考えておりました。「経営学も大事だが、人間学という学問もそれ以上に大事なのではないか?」と考えていた時期でもありました。

 

 全人格とは、簡単に言いますと、立場立場で自分を使い分けないことを言います。従来のプロフェッショナル教育で欠けていたのは、プロであると同時に家庭の一員であり、社会の一員であり、世界の一員であり、自然の一部であり、社会的立場や地位を語る前に一人の人間であるという視点が欠けていたことであります。

 

そういう視点がなくて、立場立場で人格を使い分けて行動する人が溢れたら、世の中や社会は混乱してしまうでしょう。ですから、どんな立場に立っても、ブレずに貫いてゆく軸のようなものを育んでゆくこと、そう言う全人格教育が必要であるのではと考えております。

 

また、その時に重要になってくるのが東洋思想であると思っています。西洋というのはデータを分析して解決策を導き出すようなことに非常に長けていますが、そういう表層的なことをいくらやっても、人の心を動かすことはなかなかできないものです。だから西洋思想だけでは、人の心を磨いたり、人の心を育てたりすることも出来ないのではないでしょうか?

 

ここで、東洋と西洋の文化や価値観の違いについて大まかに振り返りをしておきたいと思います。皆さんご承知の様に、東洋の文化は王道中心で、西洋の文化は覇道中心と言われています。もう少し説明致しますと、東洋の王道は仁義、道徳によって物事を解決しようとします。また正義と人道によって人を感化することによって物事を進めようとします。が西洋の覇道は自らの利益のために強権を発動します。大砲を使ってでも力で人を支配しようとするものが覇道であると言われています。

 

 約150年前の明治の初め頃、日本は西洋の覇道の手先になるのか? それともアジアを大切にして東洋の王道を貫いてゆくのか? と言われておりました。大正13年にも中国の孫文1866~1925年)は、同じ様な問いかけを日本に来日してから聴衆を前にして演説を行なっています。

  私見で申しますと、現在の中国は孫文の構想した王道国家と全く逆を行っている様な気がしています。日本も残念ながら、アメリカの亜流のような国家に成り下がっている様な気がしています。欧米の物真似国家になっているのではないかと考えても良いのではないでしょうか?

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2017/10/28(Sat)

(No.440) 今なぜ世界のエリート達は東洋思想に惹かれるのか? (2/5)

【公に生きるリーダーをいかに育てるのか? 時代は東洋と西洋の知の融合という新しい課題に直面しています

 

  そもそも、人類の歴史は人間が自由になりたいという欲望によって、突き動かされてきました。その結果、到達したのが現在のアメリカという実験国家であり、急速に進行するグローバル化やシステム化というものの背景で動いているのも、個人の自由への希求の結果だと考えても良いでしょう。

 

ただし社会というものは、誰かしら個人の利益を超えて全体のことを考える人間がいないと成り立たないものであります。それが身分社会におけるエリートであり、かつての日本でも、士農工商の身分制度の中で武士がその役割を果たしていたと思います。

 

  では身分制なき現代社会において、全体のために、より多くの人々の利益のために行動するリーダーをどう育成したら良いのでしょうか? 残念ながら今の世界のビジネスリーダー教育はその様にはなっていないと思います。今のビジネススクールは、金銭とか物質とか自分の利益や欲の達成を第一義にしているようなところがあります。

 

【東洋思想に注目し始めた西洋人について】

 

  西洋近代思想の行き詰まりも、個人の自由を追求しつつ、自分を捨てて他者に対する責任を負うという、個と全体のバランスをどうするのかという問題に行きつくと思われます。米国のシリコンバレーの起業家達は、自分の欲と社会を良くして行こうという志を、いかに両立させればいいのかということにすごく関心が高いとのことです。精神性というものの重要性に目覚めてきて、東洋思想とか禅とかに高い関心を示すようになってきているとのことであります

 

彼らはようやく、東洋思想の根本である陰陽論に気づいてきたような気が致しますこれまでは成長とか利益の拡大とか、つまりばかりを追求してきたけれども、そればかりではどうしても上手く行かないと気づいたようですやっぱり物事には、それを補うの部分というものがあり、その陰の部分とは一体何だろうかと追求してきたその結果として、精神性とか心の問題というテーマが見えてきたのでしょう

 

最近、米国でマインドフルネスという瞑想法が持てはやされているのも、そういう背景があるからだろうと考えていますが、そういうものが西洋ではひどく欠落していまして、これでは人生もビジネスも上手く行くはずがないとエリートやリーダー達は思い始めているのです

 

それに比べますと、東洋はその辺のところが実に豊富であり、精神性を追求する方法論が非常にたくさんあります一刻も早く東洋から学んで陰陽のバランスを取らなければならないことに気づき始めた様であります

 

これらの動きは、東洋と西洋の知を融合する新しい時代に入ったと言っても良いのではないでしょうか。本コラムのテーマである「今なぜ世界のエリート達は東洋思想に惹かれるのか?」の答えが見えてきたような気が致します。

 

  西洋近代思想が生き詰まり、次のシーンは東洋と西洋の知の融合らしいとは、世界中のエリートや識者が言っていることであります。日本でも約150年も前に佐久間象山1811~1864年)が言った言葉ですが、「西洋は技術で勝っているけれど、人間の原理原則については断然東洋が上である」と喝破しております。だから両方の良いところを融合して活用すべしということになる訳ですが、やっとその様な時代が到来したのかと感じております。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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