(No.456) 仏さまの物差しに学んでみましょう (2/3)
【貧富をみる物差し】について
次に「黄色黄光(おうしき おうこう)、赤色赤光(しゃくしき しゃくこう)」の部分を考えてみましょう。黄色は黄金ですからお金持ちを意味し、赤色は赤貧(せきひん)という言葉があるように、貧乏人ととらえてみましょう。すると仏さまの物差しで言えば、金持ちは金持ちで光り、貧乏人は貧乏人で光っているのですよということになります。この場合、光っているというのは、幸せであるという意味になります。しかしながら私達は、娑婆の物差しで世間を眺めていますから、金持ちが良くて貧乏は悪いことだと思っている様であります。
もう約60年前のことになりますが、1960年に池田内閣が所得倍増論を掲げて登場して以来、高度経済成長を続けて日本は経済大国になりました。世界的な標準から見れば、贅沢な生活ができる様になりました。なるほど現在の私達は、美味しいものを食べています。いや、美味しいものを食べるために血眼(ちまなこ)になっているようでもあります。しかし、お金を払って美味しいものを食べることと、美味しくものを食べることは違うのではないかと思います。美味しく食事をするコツは、家族が揃って健康に笑顔でいただくことでしょう。そうした幸せを私達は忘れてしまったのではないでしょうか?
本来であれば、池田内閣が登場した時点で、貧しいままでも幸せになる道があることを、仏教学者や宗教の指導者たちが、国民に向けて指摘をすべきだったのでしょうが、残念で仕方ありません。あまりにも時間が過ぎてしまいました。前回にもお話し致しましたが、お金持ちであることが幸せで、貧乏を不幸なことであるとずっと思い続けているのではないでしょうか。その価値観をほとんどの日本人が持ってしまったのではないかと思われます。
バブルがはじけた頃(1989年頃)から今でも、景気回復という方向に政治は動いている様です。しかし、このまま経済成長を続ければ資源やエネルギーはなくなってしまい、環境も汚染されてしまい、怖いことですが、地球は破滅の方向に向かってゆくのではないでしょうか?ある意味では世界の行く手に大きな壁があるのではないかと考えています。このままでは色んな利害が衝突してしまいますから、こうした現状から逃れるためには、今こそ大きくカーブを切って減速して方向転換をする時期ではないのかなと思ったりしています。
お金というのは、神さま・仏さまから預かったもので、それを増やして社会のために使うというのが本来の目的ですよ、というのが宗教の考え方なのです。社会のためにお金を使いやすいようにとお金持ちにお金を預けているのですよという訳です。日本では「金は天下の回り物」とも言われていますよね。貯めるだけではなく使わないと入ってこないと解釈しても良いのではないでしょうか?
アメリカの鉄鋼王と呼ばれた大富豪のアンドリュー・カーネギーは、富は神からの委託物であるという確固たる信念のもと、事業を売り払って得たお金でカーネギー社会事業団を創りました。また、アメリカのお金持ちには遺産の大部分を大学病院などに寄付をして、人生の最後を迎える人が多いとも聞いております。
仏さまから預かったお金という考え方は、昔から教えられていますが、布施(ふせ)の思想に繋がっていると思います。預かったお金ですから受け取って有益に使っていただく誰かを探さなければなりません。その人が見つかった時に、仏さまにお返しをすることができるのですから、「ありがとうございます」という感謝の心が生まれるわけです。
もらった方ではなく、お金を施した方、与えた方が「ありがとうございます」というのが布施の心なのです。一般常識とは、まるで反対のようです。「もらって頂いて、どうもありがとうございます」という心なのです。ですから、仏さまがお金を使ってほしいと願っておられる人を捜し出すのが、お金持ちの仕事になるというわけなのです。
(次回に続きます)
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