(No.463) 布施の教えに学んで人間性を高めましょう (2/5)
布施(ふせ)とは、お布施のことで「施す」ことなのです。又「与える」ということでもあります。人に喜びを与えることになります。この「布施」はお金がなくても与えることができますよと、お釈迦さま(仏さま)は言っておられます。それを「無財の七施」(むざいのしちせ)と言います。次の七つになります。
一つ目は眼施(げんせ)。優しい眼差しで人に接することです。
二つ目は和顔施(わがんせ)。ニコッとして優しい穏やかな顔で話をすると、聞く人の心がホッとなります。それも施しだと言われています。だからニコニコ微笑んでいる人は素晴らしいのです。「あの人の顔を見たら何か知らないけど心が晴れてきた」というのは施しなのです。
三つ目は言辞施(げんじせ)。落ち込んでいる人を言葉で励ますこと。言葉で施しを与えることです。
四つ目は身施(しんせ)。捨て身になって人に尽くすことです。
五つ目は心施(しんせ)。善意の真心を施すということです。
六つ目は床坐施(しょうざせ)。席を譲ることです。
七つ目は房舎施(ぼうしゃせ)。人を自宅に一晩泊めてあげることです。
このようにいろいろとあります。要するにお金以外の行為で、人に喜びを与えてゆくことを一所懸命やっていると、さまざまな新しい気づきがあるということになります。
仏教ではあらゆる人が実践できるということを前提にして「六波羅蜜」(ろくはらみつ)を説いております。もし泥棒は布施ができないことになれば、泥棒は仏教徒にはなれませんよと言っているに等しくなってしまいます。だから、盗んだ物であっても布施にはなるわけですし、言い換えれば、仏さまの慈悲はすべての人に及んでいるということになります。とにかく自分が持っているものであれば、何であっても他人様に施した時、真の「布施」になるということなのです。
つまり、自分が持っているすべての物、自分にとって必要なものを相手に施してこそ、つまり相手に与えることが真の布施であることを教えているのです。しかし、逆に不要なものであれば人に差し上げても布施にはなりませんよと教えております。
だから自分の死後の肉体を医学の研究用に提供する献体は布施にはならないのです。臓器移植も同じであり、生きている間にするのでなければ布施にはならないというわけです。この様な医学的な事例は判断の難しいテーマだと思いますが、ここでは、医学上の献体や移植の是非を問うているのではなくて、仏教で教えられている布施には該当しないということに注意して頂ければよろしいかと思います。
この様に自分の命を他人に施したとしても「完全なる布施」をすることはできないのです。しかし、「私にできるのはこれだけです」という慈しみと悲しみの気持ちで施せば布施になるのです。それこそ「未完成の完成」であり「六波羅蜜」の六つの行すべてに共通する心になってゆくのです。心が相手に通じるからであります。
【ビジネスにおいての布施(ふせ)】について
少し横道にそれますが、ビジネスの領域においての布施を考えてみましょう。ビジネスでは利他の精神とか喜他の精神とか幸他の精神という言い方を良く致します。全てに共通なのは、まず従業員やお客様に利益や喜びや幸福感や幸せを与えること、それが引いては回りまわって、結果として己や己の会社の利や喜びや幸福につながってゆき、己の方向に戻ってくるものですとの教えであります。
この様な良循環の結果、ビジネスも順調に循環してゆくのですとの論理になります。利他・喜他・幸他は布施と言っても良いし、まずギブ・アンド・ギブで与えよ、与えよ、すると何時かはテイクであなたが掴むようになるでしょうという論理であります。
最初から利や売上のテイクを望んでビジネスをしては決していけませんよとの教えになります。「言うは易く行いは難し」かも知れませんが、この哲学は真理を含んだ原理原則だと思います。今後の経営やビジネスでの参考になさってください。
(次回に続きます)
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