(No.467) 人間を滅ぼす、三毒と五鈍使(ごどんし)とは? (1/2)
「貪(とん)」は貪(むさぼ)る心、欲望のことです。次から次へと欲望を抱いてゆく。それが人間を滅ぼすと言われます。
「瞋(じん)」は怒りのことです。人間は自分の思いのままにならないことを怒り、恨んだりします。
「痴(ち)」は愚痴のことです。なんで愚痴が出るのかと言いますと、正しいことを見極められない愚かさから愚痴が出るのです。だから「痴」という字には「知」にヤマイダレがついているのです。
仏さまは、この「貪・瞋・痴」(とん・じん・ち)の三つが絶えず人間の心の中に起こってきて、人間という生命体を滅ぼしてしまう毒になると言われております。言われてみると、なるほどなぁとうなずくばかりであります。この「三毒は我々人間の敵である」また、「敵は自分の体の外ではなく、自分の内側の心の中にいる」と考えても良いのかも知れませんね。
「貪(とん)」に関してはもう少し補足説明が必要ですが、この欲望にも、いい欲望と悪い欲望があります。いい欲望を使うと上手く行きますが、悪い欲望を使うと悪いことが起こるのです。欲望を刀に見立てて、いい欲望を正剣(せいけん)、悪い欲望を邪剣(じゃけん)と呼んでもいいのかも知れません。
ここで良い欲と悪い欲をもう少し考えておきましょう。私利私欲で自己中心で利己のことばかりでは悪い欲望になるでしょう。反対に公利公欲で世のため人のため社会のためにと考えて、他己中心で利他の精神であれば良い欲望と呼んでもいいでしょう。
しかしながら、欲望は悪いものばかりでもありません。この欲望があったからこそ、長い歴史の中で人間の文化は発達してきたのですから、一概に欲望は悪いものと全否定することもできません。その欲望をどん欲に貪(むさぼ)ろうとする時、つまり自分の欲望のままに突っ走ったときは、必ず悪いことが起こってゆきます。悪い欲望が邪剣になって、それを使ったから必ず悪いことが起こってゆくのです。逆に世のため人のためと思って、欲望を正しく正剣として使ったならば上手くいくものであります。
以上でこの「貪瞋痴」(とん・じん・ち)の三毒で話が終わるところですが、仏さまはそこにもう二つの言葉を加えられました。それを総称して五毒と言わずに「五鈍使」(ごどんし)と言われました。その意味は人間の命を鈍くして、愚かにしてしまう五つのものということです。もちろん、この「五鈍使」(ごどんし)も人間を滅ぼすものであると考えて良いと思います。
その一つは「慢(まん)」です。傲慢、高慢、慢心の「慢」です。この「慢」が人間を滅ぼすと仏さまは言われました。もう一つは「疑(ぎ)」です。すべてを疑うことが人間を滅ぼしてしまうと言われました。
「慢(まん)」を少し補足しますと、人間はどんな人でもすぐに慢心をするものです。特に経営者はすぐに慢心をします。経営者がよくかかる病というのがあります。それは「驕り」「慢心」「甘え」の三つです。経営が順調に推移して、上手く行っている時には、驕り、慢心し、甘えが出てくるものです。これらは心の病なのです。もう一つの「疑(ぎ)」というのは、読んで字のごとくで、すぐにすべてを疑ってかかるということです。
この様に「貪・瞋・痴」(とん・じん・ち)の三毒に二つを加えて、「貪・瞋・痴・慢・疑」(とん・じん・ち・まん・ぎ)の五つのことを「五鈍使」(ごどんし)と言うのです。
(次回に続きます)
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