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    山口一道

    Author:山口一道
    山口経営コンサルタント事務所 代表
    YMCグループ 代表理事

    長崎大学経済学部卒
    経営コンサルタント業歴35年
    リーダーシップをはじめ幅広いテーマに対応 
    リーダーのあり方に警鐘を鳴らし、若手経営者の育成に力を注いでいます。

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2019/08/02(Fri)

(No.532) 安岡正篤師に学ぶ運と徳の高め方 (1/4)

  久し振りに、私がメンター(生涯の師)として尊敬しております、安岡正篤氏(明治31年1898年~1983年)に学んでみたいと思います。

 

【倫理的価値観の大切さについて】

 

「法律に触れていないから大丈夫だ」とか「儲かるのかどうか?」ではなく、事業や経営をすることが社会正義に照らしてみて、正しいかどうかを判断基準として事業を行うべきだと思います。よって会社というものは、ただ単に利益を上げれば良いというものではなく、「世のため人のために存在するべきである」というのが私の信念であり、真の志になります。この様に正しい倫理観を持たずに行う事業は、一時的には上手く行っても長続きすることは決してないと思います。

 

私がこの様な倫理的価値観を育む上で、非常に大きな影響を受けましたのが、安岡正篤先生の教えになります。彼は古今東西(ここんとうざい)の学問思想に通じた碩学(せきがく)であり、その卓越した見識・学識を頼って総理大臣までもが教えを請うた人であり、総理の指南番・ご意見番と言われた人であります。

 

昭和20年の終戦の詔勅、玉音放送の草案にも関わられ、政治にも深く関わってこられたばかりでなく、有力な財界人も数多く師事したことで知られた人であります。政財界のリーダーの啓発・教化に務められ、その方々の精神的支柱となった人であります。その教えは人物学を中心として、今日なお日本の進むべき方向を示しています。一口で言えばもの凄い人、人物であります。

 

各種の団体を設立なされ東洋思想、哲学の普及に尽力され、その教えは今なお多くの人々に影響を与え続けておられます。昭和58年の没ですから没後36年が過ぎても、その力は衰えを見せることはありません。

 

私は彼の著書を通じて先生の教えを学んで参りました。長い間私淑して参りました。“自得”(じとく)と言って自らを知ることで初めて大きな仕事が出来ること、良き師と巡り会うことが人間的成長を促すこと、事業を成功させるには“機”を逃してはならないこと、出処進退のあり方がその人の人生を決めること等々、色んなことを学んだことが思い出されます。

 

【古の教えを活学すること】

 

安岡先生の魅力はまず、その教養の広さと深さでしょう。中国古典は言うまでもなく、西洋の歴史哲学にも精通しておられ、あらゆる学問に一家言を持たれた碩学であるということです。その様にして先生の本のお蔭で、それまで表面的にしか理解できていなかった故事も良く分かるようになりました。

 

私は中国古典を単なる教養ではなく、人生において実践する活学として受け止めるようなりました。その本のお蔭で、知識をいかに実践に活かしていくか、つまり活学知行合一(ちこうごういつ)と言うことを真剣に考える様になりました。この活学・実践・知行合一の言葉は本コラムでも良く使っている言葉であります。陽明学の言葉であります。知っているだけではダメで、実践して初めて本当に知ったということになるとの意味になります

 

学問と実践は表裏一体、一如(いちにょ;根本においてただの一つで同じであること)。知識と実践も一如で、二つ合わせて初めて一つのものになり、表裏一体の関係で知識と実践は分離してはいけないと言うことになります。だから「知行合一」という有名な理論になっております。

 

(次回に続きます)

 
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2019/08/09(Fri)

(No.533) 安岡正篤師に学ぶ運と徳の高め方 (2/4)

 【自分を知ることが全ての出発点である】

 

安岡教学では、「運には宿命と運命がある」と説かれています。宿命は例えば日本人として生まれる、男として生まれるなど、自分の力では如何ともし難いものです。しかし運命は「命を運ぶ」と書くことで明らかなように、変えることができるものです。そして運命を変えるために説かれているのが「尽心・知命・立命」と言う自己維新のプロセスになります。

 

尽心(じんしん)」とは心を尽くすこと、心を探求して本来の自己を自覚することで、先述しましたが「自得(じとく)」とも言います。それによって天から与えられた使命を知る「知命」。それに基づいて自分の運命を創造する「立命」が可能になると説かれています。要するに「自得」こそが全ての出発点であると説かれています。

 

私もこの「自得」について考えて参りました。一体自分はいかなる使命を持ってこの世に生まれて来たのか?そのためにどの様な才能・能力を天から与えられてきたのか。あの孔子も50歳にしてようやく天命を知ったと述べている様に、自分を知ることは容易ではありませんが、知ろうとする努力だけは重ねて来たつもりであります。

 

私は、次の様な短歌を作って何回も反復して自分のものにして、当たり前にしたいと思って続けてきました。「天命と 与命と使命 知命して わが運命を 立命をせよ」 命(めい)を六つに分けて覚えました。「人生は 宿命でなく 立命だ 自分の意志で 運命立てよ」 宿命とは最初から運命は決まっているため、努力で変えようと思ってもどうしようもないとの意味になります。宿命観で諦めた気持ちで生きるのではなく、立命観を持って積極的に人生を切り開いて行きたいものです。

 

【運を良くするための心掛けとは?】

 

運命は決して固定したものではなく、変えることが出来るものであるとの教えは、私達に大きな希望を与えてくれます。ならばどうすれば良い運命を作っていくことができるのでしょうか?

 

仏教には「因果の法則」という教えがあります。物事にはすべて原因があり、善因を作れば善い結果がもたらされ、悪い因を作れば悪い結果がもたらされるということです。同様に「易経」にも「積善の家には必ず余慶(よけい)あり。積不善の家には必ず余殃(よおう)あり」という教えがあります。善行を積んだ家にはその功徳により幸せが訪れ、不善を積み重ねた家にはその報いとして災難がもたらされることを説いています。

 

従って運命を良くするためには、善因を作らなければなりません善因善果、悪因悪果を踏まえて、日々自己を律してゆくことがとても重要なのです。そして良き運に恵まれると、良き運を持った人との縁にも恵まれ、良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は誠に妙なるものがある。また良い出会いがさらに良い結果をもたらすこと、良い人に交わっていると良い結果に恵まれるという、縁尋機妙(えんじんきみょう)多逢聖因(たほうしょういん)の理(ことわり)を体現できるのです。人間はできるだけ、いい機会、いい場所、いい人、いい書物に会うことを考えなければならないということだと思います。

 

まさしく運と徳は密接不可分な関係にあり、運を良くするためには徳を高めていくこと。そのためにも日々の生活の中で善を積んでいくことが非常に大切なのだと理解することができます。積善の基本になるのが日々の仕事です。仕事という言葉を構成する「仕」も「事」も訓読みすれば両方とも「つかえる」であり、働くこと自体が、世のため人のために尽くすこと善を積むことに通じているということなのです。

 

目についたゴミを拾って歩くことも立派な善行であり、天は私達のそうした平素の行いを見ているのです。正しいと信じることをただひたすら実践すれば、結果は必ずついてくると言っても良いのではないでしょうか。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2019/08/16(Fri)

(No.534) 安岡正篤師に学ぶ運と徳の高め方 (3/4)

 【万物平衡(へいこう)の理と最善観】

 

しかしながら、ここで一つの疑問が生じます。あれほど善行を積んだ人が、なぜあんな不幸な目に遭わなければならないのか。その様な事例を私達はしばしば見聞きいたします。一体どの様に解釈すれば良いのでしょうか?それは、善行は必ずしも世俗的な成功とは結び付くものではないという考え方になるでしょう。世俗的成功と運が良いこととは別の話しであるという様に解釈しても良いのではと思います。

 

また、論語に「富貴天にあり」という言葉があります。富や名声を得られるか否かは、天の配剤であるという意味です。天が命令しているので個人の力では左右が出来ないということです。その様な浮き雲のように儚(はかな)いことを追い求める人生に心の安らぎはなく、あまりに過度に執着することで幸せさえも遠ざかってしまうとの考え方になるでしょう。「足るを知る者は富む」という言葉が浮かんでまいります。

 

世間には、野心・野望をはき違えている人が数多く見受けられます。有名になる、大金持ちになるといった目標を掲げて頑張ることは決して悪いことではありません。がしかし、大切なことは、そこに世のため人のためにという大義があることではないでしょうか。その様な志なら真の志と呼んでも良いと思います。そうした真の志に生きることを通して自らの天命を知り、良き家族や友人に囲まれて心安らかに生きてゆけることこそが幸せであり、本当の意味で良い運に恵まれたということになるのではないでしょうか。

 

ここで運の善し悪しについては、国民教育の師父と言われています、哲学者・森信三先生の教えもぜひ心に刻んでおきたいと思います。今の自分を幸せだと思っている人も、不幸せだと思っている人も、長い目で見ればあまり大きな差はなくて、ほどほどに釣り合っているものという。この「万物平衡の理(ことわり)」を理解して、自分は運が良くない、自分は不幸だと短絡的に思い込まないことが大事です。と同時に我が身に降りかかる一切のことは、「絶対必然で絶対必要で絶対最善でベストである」と思い定めて、全てを肯定して受け入れること、すなわち「最善観」をもって歩んで行くことで運命は開けてゆくのです、と森先生は説かれています。

 

こうした教えの前提になるのは、やはり何をおいても徳を高めていくことに尽きると考えられます。徳を高めなければ心の安らぎも得られませんし、世俗的な成功も得られないでしょう。徳を高めていくことこそ、人間がこの世に生まれてきて為すべき最も大切なことだと考えております

 

安岡先生は、司馬光の「資治通鑑」(しじつがん)という古典を参考にされて「才徳の弁・小人君子の弁」ということを説かれています。が完全なる調和をもって、大きな発達をしているのは聖人である。反対に才と徳が両方ともに貧弱なのは愚人である。およそが徳に勝っている者を小人といい、これに反してが才に勝れている者は君子という。人を採用する時には、絶対的に君子を採って、小人を排し、もし小人を採るのであれば、むしろ才と徳の両方とも無い愚人を採る方がまだ良い。とあります。

 

昔から「功ある者には禄(ろく;金品)を与え、良識見識ある者には地位を与えよ」と言いますが、人を登用する際にはよりもをより重視して、見識ある人が上に立たなければ組織が道を誤ってしまいますと言われています。

 

現代の企業や会社において、採用、人材の出世や登用する際の基準は、知識や技術や偏差値などを中心にして、それらを実行している所が多いと認識しております。 今まで述べて参りました、古典の教えなどは、ほとんど誰もご存知ないし、誰も重要視していない様に感じております。 一体この様な有様で問題は生じないのでしょうか?

 

いや、重要視していないからこそ、各所で引いては日本全体の企業や会社において不祥事や上手く行っていない所があまりにも多いのではと、ひとり心の中で想像しております。どこで間違ってしまったのでしょうか?不思議でなんともしょうがないですね。

 

(次回に続きます)

 

 

 

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2019/08/23(Fri)

(No.535) 安岡正篤師に学ぶ運と徳の高め方 (4/4)

 【常に難しい道を選択する】

 

ここまでご紹介してきました運と徳についての教えは、いかに人間力を養うかという話に集約されると思います。私自身も35年間以上も経営コンサルタントという仕事に打ち込んで参りまして、実感いたしますのも、やはり人間力の重要性という点であります。

 

例えば営業という仕事を一つ取ってみても、表面的なスキル以上に求められるのが、その人の持つ人間的な(魅)力であり、その源になるの有無になります。世のため人のためにという崇高な思いをどこまで抱いているのか、その志をもとに平素からいかに自分という人間を修養しているのか、それがその人の仕事を大きく左右するのです。

 

安岡先生は、自分をいかに磨くかということについて、次の様に説いておられます。「人物修練の根本的条件は怯(お)めず臆せず、勇敢に、而(しこう;そうして)して己を空(むな)しうして、あらゆる人生の経験を嘗(な)め尽くすことであります。人生の艱難辛苦(かんなんしんく)、喜怒哀楽、利害得失、栄枯盛衰、そういう人生の真実、生活を勇敢に体験することです。その体験の中にその信念を生かしていって、初めて我々に知行合一的に自己人物を練ることが出来るのであります」と説かれています。

 

艱難辛苦、汝を玉にす」とか「逆境は神の恩寵的な試練である」という言葉があります。ことさらに逆境を追い求める必要はありませんが、自分を甘やかさず、常に努力をする姿勢を貫くことは非常に大切だと思います。私が今日まで心がけて来たことは、楽な道と難しい道がある時には、常に難しい道を選択するということでした。

 

厳しい仕事や職種に身を投じてこそ、自分が鍛えられ実力が身に付くと考えておりました。転職して経営コンサルタントになろうと決心した時もその様な考えでした。その当時は寝る間も惜しんで人の数倍の努力を続けたものであります。昔から「若い頃の苦労は買ってでもせよ」というのは、まさに正鵠を射た(せいこくをいた;的の中心の点に当たる)教訓だと思います。言葉を変えて表現しますと、「苦や逆境が人を育てる」からだと言っても良いのではないかと思います。

 

安岡教学では、こうした修練を通じて自己の内面の充実を図り、世のため人のために尽くすことの大切さを、「自靖自献(じせいじけん)」という言葉を引き合いに説かれています。「これは書経の中の言葉ですが、平たく言えば内面的には良心の安らかな満足、またそれを外に発しては、何らかの意味において世のため人のために自己を献ずるということである。(中略)これなくしては人間ではない。動物となんら異ならないのであります」と言っておられます。

 

人間はもともと赤心(せきしん)、赤子の様に清らかな心を持って生まれてくるものです。しかし、そこに私利私欲が入ってくると心が曇り、を見失ってしまいます。私利私欲に溺れることなく淡白でなければ志を明らかにはできないと古典は教えております。日々真摯に自分を磨き、我私欲・私利私欲・エゴをできる限り浄化して少なくする、これこそがまさに徳を高め、ひいては良運を招く秘訣であるのではと考えるものです。

 

最後に致しますが、上の文と同じことを伝えている故事をご紹介して終わりにしたいと思います。老子の言葉に「少私寡欲 見素抱朴(しょうしかよく けんそほうぼく)」とあります。見栄や外聞を捨てて、素朴に徹して自己中心を少なくして、私欲を小さくすべしという教えです。公私混同を避けて公私をピシッとわけよと言っています。

 

これからのリーダーが持つべき一番大事な思想・哲学は、その「少私寡欲 見素抱朴」ではないかと考えております。私利私欲と志は両立が出来ないのだと言うことを我々に教えているのです。私利私欲が含まれたものは野心とか野望というものになります。真の志とは、私利私欲から離れたものを言うものになります。

 

私の若い頃にはその様なことはチットモ知りませんでした。ただの野心・野望で頑張っていたに過ぎなかったのです。真の志とはほど遠いもので努力してきていたんですね。残念ながら誰からも教えてもらえないままに生きてまいりました。恐らく本当に知った(学知ではなく覚知した)のは50歳を越えていたのではないかと思われます。振り返ってみれば反省することばかりでございます。皆さん活学を。

 

 

 

 

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2019/08/30(Fri)

(No.536) 日本の資産が売られている、資産を守れ!!(1/2)

 今だけ・目先のみ、金・損得だけ、自分だけの強欲資本主義の3拍子が日本を滅ぼす

 

【日本の水道事業の民営化やビジネス化の問題点とは?】

 

海、水、食、森、土地、介護、医療・・・私たちの生活に欠かせない大切なものに、いま次々と値段が付けられて、外国や民間企業に売られている現実に、一体どれだけの人々が気づいているのでしょうか?こうした動きは、トランプ大統領の発言や北朝鮮のミサイルや核開発など、絶え間なく届けられる世界の派手なニュースにかき消され、日常の中で見えなくなってしまっているのです。

 

中でも一番身近で分かりやすい事例は「水道事業の民営化」でしょう。日本のように蛇口をひねればいつでもどこでも安価できれいな水が飲める国は、世界でも数えるほどしかありません。その恵まれた環境に気づいている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

 

一方、世界では年々枯渇してゆく水に高額の値段が付けられ、1980年代から企業や投資家たちがビジネスとして目をつけていました。水道ビジネスの波は、アフリカなどの新興国から次第に先進国まで広がり、ついに日本にまでやってきたのです。

 

昨年2018年7月、水道事業の運営権を民間に売却する「コンセッション方式」の導入が盛り込まれた「水道法改正案」が国会で可決されました。コンセッション方式とは、所有権を国や地方自治体が保有したまま、運営権を一定期間、民間に売却することです。審議時間は委員会で9時間、本会議ではわずか2日間という短さでした。

 しかもライフライン売却を推進する重大法案なのに、国民の大半は気づきもしなかったのです。なぜでしょうか。その日は日本中のマスコミは一斉にオウム真理教の幹部8人の死刑執行の話題を流していたからなのです。重大ニュースなのに大きな話題に飲み込まれてしまったのです。

 

この法改正は「民営化の義務化」ではなく、水道運営権を売却する地方自治体に債務返済時の利子免除という特権を与え、民営化を促すものなのです。現在のような水道事業の一部委託の代わりに運営権ごと売却すれば、借金も減るし、企業の技術力を使って耐用年数を過ぎた水道管修復もできると言われています。これらは表面的にはメリットと捉えても良いでしょう。ではデメリットは一体何でしょうか?

 

まず水道は電気と同じで原価総括方式ですから、経営にかかる経費はすべて料金に上乗せができるのですその結果、ほとんどのケースで水道料金は上がってゆきます。たとえ市議会で上限をつけても、電気と違い各地域を一本の水道管が通る水道は独占市場ですから、自治体に料金値上げを拒否する選択肢はないでしょう。人件費削減で水質が悪化しても、財政の中身を「企業秘密」と言われても、行政に対する情報公開請求さえ、企業相手では徹底できそうにありません。

 

実際、海外では、水道民営化による、この様なトラブルが続発しています。1997年に水道事業の運営権を企業に売った、米国のジョージア州のアトランタ市では、毎年水道料金が上がることに加え、「濁った水が出る」という苦情が相次いだ結果、20年の契約を僅か4年で解約し、再び公営に戻しております。水道事業の株式を買い戻すための資金や巨額の損害賠償には、全て市民の税金が使われたのです

 

日本の場合、最も懸念されるのが有事の際の対応でしょう。昨年2018年9月4日の台風21号による高潮で浸水した関西空港を覚えておられるでしょうか。日仏合弁会社に売却され、2016年に民営化された関西空港はコストがかかる防災工事の投資を十分にしなかったために浸水後の対応が遅れ、大きな被害を出したのでした。

 

有事の際に被災者に水を供給する義務を企業に課す法律はありません。採算を度外視してでも国民の安全と生命を守るという公共意識を民間企業にどこまで期待ができるというのでしょうか?

 

こうした様々な問題があるにも拘わらず、2017年には静岡県の浜松市が国内で初めて下水道の長期運営権をフランスのヴェオリア社(水処理世界最大手)に売却して20年契約を結びました。対価は25億円です。熊本県合志(こうし)市や栃木県小山(おやま)市もあとに続いています。大阪や奈良も手を挙げており、民営化の流れは今後全国に広がってゆくのではないでしょうか。危惧しております。

 

自然災害大国の日本で、水道事業などのライフラインの民営化を本当に進めて良いのでしょうか?国民一人ひとりが真剣に考えて声を上げねばならないのではと思います。特に地方議会や議員さん達に多いに意識の向上と努力をお願いしたいと考えております。

 

(次回に続きます)



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